第6話
薫が寿司3貫の単品を注文したのに対し、蒼良はカレーうどんと海鮮丼という不思議な組み合わせのセットメニューを注文していた。
「追加の注文でもしますか?」
蒼良が言ってくれたが、薫は断った。薫はもともと小食で、食べることにも興味がない。
「若いのに」
蒼良が呟いた。薫は条件反射のように言い返してしまう。
「若くないわ。もう30歳なのよ」
「若いうちに入るじゃないですか」
「若いのは、あなたの方でしょう」
「俺ですか? 25です」
若い。薫は言い返せなかった。
蒼良は身を乗り出し、薫の近くにあったタブレットを取ろうとする。
「取り皿の注文もできますよね?」
「やめてちょうだい。本当に、足りるから」
不意に、手が重なった。近い距離で蒼良に見据えられ、薫は蛇に睨まれたように動けない。背中がぞくっと粟立つ。
「可愛い顔ですね」
そういう蒼良も案外可愛い顔立ちだが、雰囲気に甘さがない。むしろ、人を近づけない冷たさがある。
「おじいちゃんおじいちゃんに懐かれるのが、わかる気がします」
スリのような手つきでタブレットを入手した蒼良は、すとんと席についた。
「で、昨日のおばあちゃんのことを聞きたいんでしたよね」
ソフトドリンクを追加注文した蒼良は、背筋を正して薫をまっすぐ見る。薫は唾を飲み、耳を傾ける。
「初めてうちの店に現れたのは、昨年の年末です。最後の営業日でした。店の騒がしさに圧倒されていましたが、若いお客様に混ざってアニメグッズのコーナーを見ていました。高齢のかたが店に来るのは大変珍しいので、ちょっとマークさせてもらいました」
蒼良はスマートフォンを出し、画像を薫に見せてくれた。
「あのかたが取ろうとしたのは、3回ともこの商品なんです」
薫は、思わず眉をしかめた。
「3回とも?」
はい、と蒼良は頷いた。
スマートフォンの画面には、“アニマ”のオンラインショップのサイトが表示されている。商品の画像は、アニメらしいキャラクターのフィギュアだ。
「見て何となくわかるとは思いますが、高齢の女性に馴染みがあるキャラクターではありませんし、作品自体も若い女性向けのゲームです」
蒼良は該当の作品のウェブサイトも検索し、表示してくれた。プレイヤーが芸能事務所のマネージャーとなり、美青年のバンドを育成するゲームだという。
「棚に手を伸ばしてフィギュアの箱ごと持ち出そうとしたので、声をかけさせて頂きました。2度目に対応したのは俺ではなく別のスタッフですが、同じことを仰っていたそうです」
「コロボックル」
「そう。それです。3度目ともなると、店長が我慢の限界で、警察に突き出そうとしました。さすがにそれは可哀想なので、お身内のかたに来て頂こうと思ったのですが」
タキに、すぐに来られるような親族はいない。後期高齢者の医療被保険者証と病院の診察券は持っていたが、連絡先がわかるものは所持しておらず、財布の中から薫の名刺が見つかり、ケアマネージャーならどうにかなるだろうと星野が判断したようだ。
「店長は、あのかたが次に店に現れた時点で警察に突き出すつもりです。でも、それでは何の解決にもならないと思います。せめて、原因がわかればと思うのですが、あのかたは認知症とか」
ソフトドリンクが運ばれてきて、一度話が中断される。
薫はそのタイミングで、寿司をひとつ口に放り込んだ。
利用者の情報を部外者に話すわけにはゆかないが、認知症状のことは気づかれている。
薫が黙したまま思案していると、視界に取り皿が割り込まれた。カレーうどんが盛られている。ソフトドリンクを追加注文するタイミングで、取り皿も要求したらしい。
「こちらにも守秘義務があるので、近所の人が知っている情報と同じレベルのことしか話せないのだけど」
カレーうどんに箸をつけた蒼良は、ペーパーで口を拭い、真剣な眼差しを薫に向ける。
「確かに、あのかたは、あなたが察しているような症状をお持ちよ。でも、コロボックル発言は、あなたのお店でしかしていない。あのお店で、あのフィギュアで、気持ちのスイッチが入るきっかけがあるのかもしれないわ」
そうですか、と蒼良は呟いた。目を伏せ、また面を上げる。
「ケアマネージャーさんは、お年寄りのお家にお邪魔することがありますか?」
「あるわよ。書類にサインをもらいに行ったりとか、そのときに、最近の様子を聞いたりとか」
「次にお家を訪ねるようなことがあれば、俺も同行させて下さい」
わかったわ、と薫は返事をした。
薫も蒼良も、店に長居するような人ではなかった。20時には席を立ち、お会計をして、店を出る。
「また連絡するわ」
「はい。あの、こんなことを言っては失礼かと思いますが」
蒼良は深々と頭を下げ、顔を上げる。
「楽しかったです。今まで、誰かとご飯を食べに行くこともなかったので、今日は本当に楽しかった」
蒼良は目を細め、口元を綻ばせる。その表情が思いのほか幼く見え、薫も頬を綻ばせてしまった。
薫が自分の綻びに気づいたのは、独り暮らしのマンションに帰宅してからだった。かなり序盤から、普段の口調になっていたのだ。初対面の相手なのに、やってしまった。
こんなだから、利用者から「男の子なの? 女の子なの?」と訊かれてしまうのだ。
それに。
――ごめん。俺、薫ちゃんが好きだ。
15年近く経つのに、ありありと思い出される記憶がある。
もう、あんな目で見られるのは、御免だ。
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