第4話

「お待たせ致しました。特別養護老人ホーム、瑠璃の里でございます」

 薫の所属は、書類上は“居宅支援事業所 瑠璃の里”になっているが、電話を取るときは“特別養護老人ホーム ”と称している。

 社会福祉法人の同一建物内に複数の介護事業が展開されている。特別養護老人ホーム、ショートステイ、デイサービスの事務所は分かれておらず、事務職員はひとつの事務所で仕事をしている。事務所の片隅で、薫は居宅支援事業所の介護支援専門員ケアマネージャーの業務を行う。

 そのため、電話を取るときは、法人の代表的な事業である特別養護老人ホームを称している。

「……はい、の有坂です。ええ、薫ちゃんですよ」

 利用者は、些細なことで電話をかけてくる。風邪を引いた、訪問看護の担当を変えてほしい、テレビのリモコンがなくなった、内服薬がなくなったからもっとほしい、など。大半は、話を聞いてほしいだけなので、話に耳を傾けて相づちを打っていれば自己解決される。

 そういえば、新後閑しごかタキからは電話がかかってきたことがない。彼女は本日は、ここのデイサービスを利用している。仲の良い利用者とタオルを畳みながら会話を弾ませる様子を、薫は盗み見ていた。昨日のようなコロボックル発言は、ない。

 しかし、また何かの拍子にスイッチが入ってコロボックル云々と万引きをしないとは限らない。次に商品を盗もうとするなら、“アニマ”の星野はタキを警察に突き出してしまうだろう。それは阻止したい。薫の面子メンツにも関わるが、何よりタキのためだ。自宅で穏やかな生活を送ることが、タキの望みでもある。



 最優先事項を終わらせてアニマ高崎店に電話をかけることができたのは、夕方になってからだった。

『はい、アニマ高崎店、星野です』

 ぞんざいな口調で電話に出たのは、あの星野だった。

「お忙しいところ、申し訳ありません。“居宅支援事業所 瑠璃の里”の有坂と申します。昨日の新後閑タキ様の件で、お伺いしたいことがありまして」

『しごか? 誰ですか?』

「お店の商品に手を出そうとしたという女性の」

『あー……あのおばあちゃんね。よくわかんないんで、片山に代わりますね』

 薫が下手に出たせいか、星野は面倒くさそうに電話を保留にした。パッヘルベルのカノンが60秒は流れただろうか。唐突に保留が解除される。

『お電話代わりました、片山です』

 爽やかな青年の声に、薫は思わず背筋を伸ばしてしまう。星野とはえらい違いだ。

「“居宅支援事業所 瑠璃の里”の有坂と申します」

『昨日の』

 ありがたい。片山という人は、すぐに察してくれた。

『あのおばあちゃん、大丈夫でしたか?』

「ええ、無事にお家に帰れました」

『よかったです』

「片山さんにはご迷惑をかけてしまったようで」

『いえ、とんでもないです。こちらこそ、すみません。店長が』

 驚くほど会話が円滑に進み、薫はかえって本題を切り出しづらい。切り出さないわけにはゆかない。

「あの、そのことなのですが、そのときの状況を教えて頂きたいのですが」

 電話の向こうで、話し声が聞こえた。ややあって、小声で答えが来る。

『すみません、すぐにレジに戻らなくてはならなくて』

「……ですよね」

 駄目か。薫は唇を噛む。しかし相手は、でも、と言葉を続けた。

『あと1時間しないで退勤になるので、その後にお時間頂けますか? なんなら、そちらにお伺いしましょうか』

「あ、いや、それは」

 申し出はありがたいが、原則、夕方以降の来客は控えてもらっている。特養とショートステイの入居者が夕飯と就寝の時間になるため、慌ただしい雰囲気をつくりたくない、というのが施設の方針だ。

『じゃあ、どこかで待ち合わせをしましょう』

 片山が提案してくれたのは、群馬県を中心に展開されているレストランチェーン店だ。壁と暖簾で仕切られたテーブル席と、床の間を模した座敷があるため、周りに聞かれたくない話をするにはうってつけの店だ。

 電話を切り、薫はふと考えた。

 片山という苗字だけで、相手の顔を知らない。相手も、きっと薫を知らない。

 まさか、髪を染め蛇のような目つきのあの男が片山だったりして。いやいや、ないわ。



 仕事が途中だったが、定時は過ぎたので退勤する。

 約束の店に向かうと、外灯の下に若い男がいた。

 ひょろっと背が高く、暗い中でも青っぽく染めたとわかる髪色、何より特徴的なのは、蛇を彷彿させる細い目。

「有坂さんですよね」

 男は、電話口と同じ爽やかな声を夜風に遊ばせる。

「改めまして。片山蒼良そらです」

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