●atone-13:追憶×フォゲットミーノット

 ドァァァクッ、のような吠え声のような苦痛によると思われる叫びが、突如、下の方から発せられた。驚いてそちらを覗き込む。そこには、首の後ろ、銀白の毛皮に包まれた「うなじ」の辺り(と思われる。何というか、先ほどよりも輪郭がはっきりしていた)から、硝煙のような薄桃色ピンクの霧のようなものを立ち昇らせている「獣」のうつ伏せに力無く倒れ込んでいる姿が見て取れた。いったい何が……とにかく捕食されてしまうという脅威からは遠ざかることが出来たと、そういうことだろうか……


 それはそれで驚異の展開だったので、僕はカエルのような格好のまま、下を向いて固まるばかりなのだけれど。と、その動かなくなった「獣」にゆっくりと近づいてくる人影が。そう、遠目からでも二足歩行するヒトの影であることは分かった。あの人が……助けてくれたんだ。僕はやっと少しほっとする。その、かなり背の高そうな(上から見ているので推測だけど)人影は、右手にライフル銃のような長い得物を携えており、背中側に回された銃身の先からは、「獣」の首から今も発せられているのと同じ、「薄桃色の硝煙」がたなびいているのが見て取れた。やっぱり、この人が仕留めてくれたわけだ。あああああ、よかった助かったよぉぉぉぉ……と、


「……テビレ、モレノコバラス」


 上空で情けなく木の幹にしがみついていた僕のこともちゃんと認識されていたようだ。落ち着いた女性の声は、言葉の意味は分からなかったけれど、僕に向けられているんだろうな、ということはニュアンスで分かった。意を決し(というほど大袈裟なことではないけれど)、掴まっている幹に手足の力を慎重に配分しながら、ゆっくりと下に向けて降り始める僕。


「セロテマ、ジンソネ? メロゥゼシ、ジカルネィ!!」


 大事を取って1mくらいの高さまでよじ下がった僕は、幹を必要以上に強く掴んでいた両手を離すと、青い草がまばらに生えた地面へと着地する。草いきれは、あまり嗅いだことはないけれど、どこか、嗅いだことのない匂いがした(自分でも意味は分からないけれど)。


 でもやっぱり、この身体にかかる「重力」の感じが、僕が思っていたのと違う。定まらないフワフワ感は、僕の体調に因るものではなく、この「場所」のせいだったこと、そのことは分かったんだけれど、一方でそう認識した途端、「慣れた」みたいな感覚もある。自然と身体の重心を下に持っていって、不必要に浮き上がらないように、無意識で制御できている自分に気づく。


 どういうことだろう。ここは地球では無いってこと? 


 僕に近づき、驚きの(と思われる)声を発してきた長身の女性に関しても、そうなんじゃないの的な考えを強くさせられる。


 僕の知っている、地球上のどの人種・民族とも異なるだろうという、言葉ではうまく説明出来ないんだけれど、そんな異質感を、対峙していて感じているわけで。


「エサジンゥ!! ジンエィ? ネセセハラァ!!」


 女性は何故か興奮した声を上げて僕の両肩に手を当ててくる。向こうは面識ありそうだけれど、僕の方に皆目心当たりがない……という非常に気まずい雰囲気の中、何とか僕は記憶を呼び戻そうと、悟られないようにその華奢な姿をじっくり観察し始めるのだった。


 黄土色の土だろうかが所々に塗れた感の、長い布を頭に巻き付けている。両目を覆うゴーグルのようなものを掛けていて、その黄味がかった黒、みたいな色の滴型のレンズは不透明で、その下にあるだろう眼は透けては見えず。ごつめのそれに遮られて顔貌の半分くらいは窺えないものの、褐色の艶めいた肌と、僕に何事か尋ねていると思われる、よく動く肉感的な唇は、中東辺りの人を彷彿とさせるけど。


「えーとあの……ちょっとですね……翻訳する奴も持っていなくてですね……」


 しかし目線を下にさげてみると、その首から下は、やはり見慣れないほどのフォルムを有しているわけで。顔は小ぶりで、首は細く長め。肩幅はかなり狭くて、手足もすらりと細長いのだけれど、特に肘から先、膝から下が目を引くほどに長い。


 「軍服」のような、深緑の丈夫そうな生地で作られた服は、上下二つのパーツに分かれており、それは僕の見知った構造の「服」ではあったのだけれど、その腰の位置が僕の目の高さのすぐ下くらいにあるよ……


 八頭身、いやそれ以上かも。何というか、漫画フィクションでしかお目にかかれないような、そんな細身の体型。こうして面と向かってみるとやはり実感する。その存在自体に説得力の無いような……いや、この「重力」に適応した、その結果と言えなくもない?


 異様な生物、重力の軽さ、どことなく浮世離れした形態のヒト。


 以上のことから鑑み、僕は悟った……自分が、今まで生活していた地球とは、「異なる世界」にいるということに。


 うぅぅん、その手の古文書ラノベ愛好家たる僕は、残存データを買い漁っては読みふけっていたものだけど……そんな典型的テンプレたる境遇に、まさか自分自身が陥ることになるなんて、予測することすら出来なかった。


 転生か、転移か、それは分からないし、分かったところでどうともしようがない。夢なら覚めてぇぇ、との切なる願いが、先ほどから大脳から脊髄辺りを行ったり来たりしているのだけれど。


 そんな顔面から脳髄までが硬直状態の僕を尻目に。


 その八頭身オーバーの細身女性は、仕留めた獲物を軽くその革靴の先で小突くと、その傍らに軽い所作でしゃがみ込むのであった。そして細いザイルのような紐の束を、その細い腰に巻いていたベルトポーチのようなものから取り出すと、地べたに横たわっている「獣」の、大きくだらり開いた口の部分に掛けようとする。


「ジンサァ、オルモホペ、セクレアレニオ?」


 そして顔だけをこちらに向け、またも何かしらを問うてくるのだけれど、言葉はやっぱり理解できない。英語であれば、翻訳機セベロ無しでも何とか意思疎通できるくらいの自信はあるんだけれど。


 いまや英語さえ出来れば、地球上どこへ行っても、あるいは宇宙に飛び出したとしても、ほぼ事足りてしまうわけで。翻訳機に頼るのは、その他言語がどうしても必要な場合に限られる。でもそれを持ってたとしても、ここが「地球上の国」であることは、ちょっと紙のように可能性が薄くなってきてしまっているから、たぶん、翻訳不能とかになってしまうんだろうか。どうしよう……


「あのぉぉ、ええとですね、僕はその、自分でもよく分かっていないのですが……」


 でもこちらからも何か喋らなくちゃあダメだ。例え意味が通じないとしても、ひとまず意思の疎通を図ろうとしている意志があることは伝えておいた方がいいよね……と、困っている感を言外に匂わせつつ、あまり意味を為さない言葉を紡ぎ出した。その時だった。


「アォ~、ひサしぶりに『アソォカゥ語』聞きましたのコトねぇ~。そウ言えば、ジンさんはソコの出身でシたのよねぇ~ワタし思い出したのコトですヨ~、とてモ美し言葉ですヨねぇ~このアソォカゥの言葉はァ~」


 !? ……いきなりその女性の口から飛び出した、カタコトもカタコトで、どこの郷かも分からないような訛りを全体にまぶすかのように帯びていたのだけれど、確かに認識できたそれは、まぎれも無い「日本語」だったわけで。えええぇ!?


 それにやっぱり、僕を知ってるかのような気さくな物言いだよ……「ジンさん」って呼ばれているけど、それってやっぱり僕のことなのかな……ここってやっぱり地球のどこかにある、重力の弱まっている何らかのパワースポット的なところなのかな……? いやでも、そんなパワースポット聞いたことも無いし、ましてやパワースポットとは呼べないだろうし……僕の頭は混乱を極めていく。


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