第02イヴェ 大きなタマネギの軒下で
「ふっ、ふうううぅぅぅ~~~、とりま、こんな感じかな」
アウトドア用の折畳み椅子に座して、一心にタブレットに文章を打ち込んでいた、大学三年生の佐藤冬人(さとう・ふゆひと)は、手にしたタブレットに視線を落としたまま、かくの如く一息ついたのであった。
「おはようさん」
そんな冬人に頭上から声を掛けてきた者がいた。
声を掛けられた、イヴェンター・ネームとして〈イヴェール〉を名乗っている冬人は、タブレットのディスプレイから、声がした方に顔を向けた。
「人違いやったら、どないしよって思っとったけど、やっぱ、イヴェ君やん。物販でも最前管理なんて、今日もヲタクの朝は御早いね」
「あっ! おはようございます。〈グっさん〉だって、御早いじゃないですかっ!」
冬人は、そう初老のイヴェンター、〈グっさん〉に挨拶を返したのであった。
「ところで、イヴェ君、今日は何時から、物販、並んどるの?」
「五時、始発前ですね」
この日のライヴ会場である武道館が入っている「北の丸公園」は常時開放されているのだが、神楽坂在住の冬人は徒歩で会場に赴き、午前五時、東西線や半蔵門線の始発が九段下駅に到着する前には会場入りし、この日のライヴ・グッズ購入のために、大きなタマネギの下に身を置いていたのである。
「ほへえええぇぇぇ~~~、えらく熱心やな」
「七時にいらしているグッさんも、五十歩百歩ですよ」
「で、待っとる間、何しとったん?」
「実は、春休み中に、卒業研究の『序論』を書いておくように、担当教員に言われていて、ブレイン・ストーミング、えっと……、思考の赴くままに文を書き散らかしていたのです」
「で、イヴェ君は、どんな事をテーマにしとるの?」
「やっぱり、自分が最も興味を抱いているのはアニソンなので、実は〈アニメ・ソング論〉なのです」
「大学の卒論なのに、アニソンとかでオッケーなん?」
「その点は無問題です。自分が所属しているのは〈文化構想学部〉の〈表象メディア論系〉ってとこなのですが、ドラマや漫画、アニメやゲームを題材にしている人もいるので、アニソンも大丈夫なのですよ」
「まじかっ! えらい自由やね」
「指導教員曰く、『正当な資料を利用して論理的に思考しさえすれば、どんな題材でも研究対象になる』のだそうです」
「でも、アニソンが分かる、そんな先生、大学におるん?」
「まあ、色んな事を題材にする学生がいるので、テーマが何であれ、論理的に書かれていて、説得力がある内容になっているかってのが学部レヴェルの論文のポイントらしいので、担当が題材について詳しいかどうかは、あんまり指導には関係ないみたいなのです」
「そんなもんなんか」
「しかし実は、幸運な事に、自分の指導教員は、ライト・ノヴェルやアニメ、さらにはアニソンにまで造詣が深い御方なので、内容に関しても具体的で適切な指導が受けられそうなのです」
「でも、先生が詳しかったら、逆に、下手な事は書けんちゃうの?」
「そこなんですよね。それが、ちょっとプレッシャーなので、だからこそ、三年の春の今から準備を始めて、コツコツと書き進めている分けなのです」
このように、イヴェールとグッさんが会話を交わしているのは、東京都の千代田区、靖国神社の近くに位置している〈日本武道館〉の軒下であった。
実は、東京都内には、〈東京武道館〉と〈日本武道館〉という二つの武道館が存在している。
東京武道館は足立区の綾瀬に位置し、一方、日本武道館は千代田区の九段下に在る。
両武道館ともに、様々な武道の試合や大会の会場として利用される事が多い。
だがしかし、〈一七二八〉席を有する東京武道館・大武道場に対して、日本武道館の大道場の最大収容人数は、アリーナが〈二九四六〉、一階席が〈三一九九〉、二、三階席が〈七八四六〉、合計〈一四四七一〉席といったように、東京武道館の約十倍を誇っているのだ。
すなわち、ライヴ参加者が「武道館」と呼ぶ場合、それは、綾瀬の東京武道館ではなく、九段下の日本武道館の大道場を指すのである。
二〇二三年現在、武道館よりも多くの観客を収容できる都内の施設としては、東京ドームや国立競技場などがある。しかし、半世紀以上前には、日本武道館こそが最大規模のライヴ会場であった。
日本武道館の開館は、東京オリンピックの柔道場として使われた一九六四年で、その翌年の六五年には、レオポルド・ストコフスキー指揮による日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートが、続く六六年には、ビートルズのライヴが、そして、六八年の三月十日には、日本人初となる〈ザ・タイガース〉によるライヴが行われ、以降、日本武道館は、〈武道の聖地〉であるだけではなく、〈ライヴの聖地〉としてアーティストにとっての憧憬の地にもなり、これまでの歴史において、九段下の日本武道館の大道場では、国内外の様々なアーティストのライヴが催されてきたのである。
それゆえに、バンドであれソロであれ、アイドルであれ声優であれ、いわんやアニソンシンガーであれ、その多くが、武道館のステージでワンマン・ライヴを行う事を目指してきた。
だが、メジャー・デビューを果たしたアーティストの全てが、必ずしもその目標を果たせた分けではない。つまり、日本武道館でのソロ・ライヴは、こう言ってよければ、アーティストにとっての〈夢の舞台〉なのだ。
二〇二三年三月九日・木曜日——
五十五年前に、ザ・タイガースが日本人バンドとして初めての武道館ライヴを行った、その記念日の前日に、冬人やグッさんの〈おし〉である、アニソンシンガー〈LiONa(リオナ)〉が、デビュー五年目にして初の日本武道館でのライヴを催す事になっていた。
冬人とLiONaの出逢いは、三年前、二〇二〇年の二月、感染症が全世界的に拡大する直前に、北海道の札幌市で開催された〈さっぽろ雪まつり〉でのアニソンのミニ・ライヴであった。
イヴェンター・ネーム〈イヴェール〉こと冬人は、自分が〈おし〉続けてきたアニソンシンガーとの、この三年の日々に思いを馳せながらも、いつしかその意識は、三年前の雪まつりの、あの出会いの日へと跳んでいったのであった。
〈参考資料〉
〈WEB〉
『東京武道館』、二〇二三年二月十六日閲覧。
「【前編】日本武道館 ~若手とベテランの二極化。インフレする”聖地”の理由とは?~」(二〇二〇年十一月十日付)、『カルチャ』、二〇二三年二月十六日閲覧。
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