LV1.1 〈現場〉ヲタクはじめました。なのに……
はじまりは雪まつり
第03イヴェ 雪まつりで見かけた〈最前さん〉
佐藤冬人が、〈イヴェール〉というイヴェンター・ネームでアニソンのイヴェンターになってから三年が経過していた。
イヴェールとはフランス語で〈冬〉の意味で、冬人の二つ名は、名前の一部を仏訳した物なのだが、仲間内のほとんど全ては、彼を「イヴェ」と呼び、〈イヴェント〉から来ていると思い込んでいるようだ。
とまれ、イヴェがアニソンのイヴェンターになる、その切っ掛けとなったのは、感染症のパンデミック直前の、二〇二〇(令和二)年の建国記念日の二月十一日火曜日の事で、当時、イヴェと名乗る前の冬人は未だ高校生であった。
*
札幌在住の高校三年生、佐藤冬人が、さっぽろ雪まつりが催されている〈大通り公園〉に到着したのは昼過ぎのことであった。
さっぽろ雪まつりの大通会場は、西一丁目から西十二丁目までの全長約千五百メートルにも及んでいるのだが、冬人が訪れたのは、会場の中でも最端部に位置している十一丁目会場である。
西十一丁目会場には「国際広場」という名称が付けられており、そこでは、十二の国と地域による「国際雪像コンクール」が実施され、また、「雪ミク」の雪像が設置され、その関連グッズも販売されていた。
しかし、冬人の目的は、国際雪像コンクールでも、雪ミクでもなく、毎日のように十一丁目会場のステージで催されているFM放送局の生放送と、その放送終了後に三十分間行われるアニメ・ソングのスペシャル・ライヴであった。
高三生の冬人は、二月のこの時期は受験シーズン真っ只中であり、本来ならば、雪まつりを毎日訪れる事は難しいはずなのだが、実を言うと、推薦で東京の私立大学への進学が決まっており、上京までの間、冬人は可能な限り好きな事をしようと考えたのであった。
冬人は、小説、漫画、アニメ、ゲームといったヲタク趣味の持ち主、いわゆる〈二次ヲタ〉なのだが、その中でも特に、冬人が好んでいるのは、アニメ・ミュージックで、しかも、声優よりも、声優アーティストよりも、アニメ・ソングを専門にしている、すなわち〈アニソンシンガー〉が歌う曲こそが彼の感性に合っていた。
実を言うと、冬人の地元である北海道は、アニソンに特化した歌手を数多く輩出しており、そういった地元意識もまた、冬人が、アニソンシンガーに強い関心を抱いている理由の一つでもあった。
しかし残念ながら、受験生でもあった冬人は、受験勉強もあって、雪まつり以前には一度たりとも、〈生〉で、アニソンシンガーが歌うアニメ・ソングを聴いたことはなかったのである。
さっぽろ雪まつりでは、ほぼ毎日、アニソンシンガーのミニ・ライヴが催されている。しかも無料でだ。
すでに東京の大学への進学が決まっていた冬人に、ようやくライヴに参加できる機会が巡ってきた。こんな絶好のチャンスを、〈生歌〉未経験の冬人が逃がす道理はなかった。
実は、雪まつり開始と同じタイミングで、それまで暖冬で記録的な雪不足であった札幌は、一転して、記録的な大雪と寒波に見舞われてしまったのだが、幸いな事に、雪まつりのミニ・ライヴは中止されることはなく、かくして、冬人は大通り十一丁目会場に、毎日、足を運んでいた次第なのである。
「あああぁぁぁ~~~、生で聴くアニソンって、最っ高うううぅぅぅ~~~」
冬人は、このようなメッセージを「LINE」で、連日、東京にいる兄・秋人(あきひと)に送りつけていた。
雪まつりの初日こそ、ラジオの生放送開始の十五分前に会場に到着し、〈生〉で歌を聴けさえすれば充分と思っていた冬人だったのだが、日を追うごとに、少しでも良い位置でステージを観たい、という欲求が高まってゆき、日に日に、冬人の会場到着時刻は早まっていった。
そうした日々の中で分かった事は、公開生放送開始前の一時間前に会場に到着しさえすれば、二列目、運が良い場合には、端っこでも最前列をとることができ、しかも、リハーサルの観覧さえできるという事であった。
かくの如く、至近距離から大好きなアニソンシンガーの歌唱を味わえる、そんな毎日は、冬人にとって、まさに夢のような時間であった。
そしてさらに、ミニ・ライヴが終わった後で毎回、運営側は、演者と観客の記念写真を撮影し、それをSNSにアップするのだが、帰宅後、その写真を眺める事もまた冬人の日々の習慣になっていたのである。
その際、冬人はある事に気が付いた。
毎回、四十歳位のおじさんが最前列に写っているのだ。
雪まつりの十一丁目の公開生放送とミニ・ライヴは、三時から四時にかけて催されていた。
例えば、最も〈おし〉ている演者が出演するその当日だけならば、平日に有給をとって観に来ている社会人もいるかもしれない。しかし、そのおじさんは、一日や二日ではなく、毎日、しかも、毎回、最前列で写真に写っているのだ。
仕事はどうしているの?
最前列って何時から並んでいるの?
冬人の内で、疑問が次々と湧いてゆき、いつしか、その毎回最前列で陣取るおじさんの事が気になって気になって仕方がなくなってしまっていた。そこで、冬人は、密かにその人を〈最前さん〉と呼び、動向を追う事にした。
そして当然の如く最終日にも、冬人が、開始の二時間前の午後一時頃に到着した時には既に、例の〈最前さん〉は、当然の如く最前列の、しかも真ん中に陣取っていたのであった。
最終日に公開生放送に出演し、その後にミニ・ライヴを披露する演者は、その数日前に、関東で開催された〈ヒヤアニ!〉というアニソン・フェスにおいて、大ヒットアニメ『剣技イン・ザ・ネット』の最終クールのオープニングを務める事を発表したばかりの人気急上昇中の若手アニソンシンガーで、彼女こそが、冬人が最も気になっている歌い手〈LiONa(リオナ)〉であった。それ故に、雪まつり期間中の中で最も早い、開始二時間前に、冬人は会場に到着したのである。それにもかかわらず、冬人は最前列を取ることはできなかった。
だから、最前さんの背中に視線を送りながら、冬人は思ったのだ。
二月の北海道において三時間も屋外にいる事さえ、通常では考え難い異常行動なのに、一体全体、〈最前さん〉は何時に会場に到着していたのであろうか?
冬人の視線の先にいる〈最前さん〉は、同じく最前列に並んでいる初老の方と親しげに話し込んでいた。そこで、冬人は、不躾とは思いつつも、二人の会話に聞き耳をたててしまったのである。
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