ライヴの借りはライヴで返す

第30イヴェ 冬人、いつもと違う福岡の特別なソワレ

 秋人と冬人の佐藤兄弟は、第三ターミナルまでは一緒だったのだが、福岡に向かう弟の冬人の方が、兄の秋人よりも一足早く、オレンジ色のLCCに乗って、成田空港から飛び立った。


 冬人は、飛行機が福岡空港に離陸し、電波の出る機器の使用が許可されるや否や、手に持っていたタブレットの機内モードを素早く解除し、大学のLMS(ラーニング・マネージメント・システム)、すなわち、学習管理システムにアクセスした。

 実は、冬人が履修している第二外国語のオンライン・中間・理解度確認(テスト)が、一時限目に行われる事になっていたのだ。

 冬人が乗った飛行機の福岡空港への到着時刻は九時十五分で、テストの開始時刻は九時ちょうど、つまり、物理的に冬人はテストの開始に間に合わない。とはいえども、テストそれ自体は、リミットである十時半までに解答を終えれば、受験開始が多少遅れても然して問題はない。だが、それでも、少しでも早く解答を始めたくて、冬人の気は急いていたのである。

 それにしても、今の状況は、オンラインさまさまである。

 もし、オンラインでなければ、福岡からテストを受ける事などできなかったのだから。

 とまれかくまれ、結局、冬人は、飛行機を降りてから、空港内で受験する事になったのだが、事前に十分に対策をしておいたので、問題なく、問題を解き終える事ができたのであった。


 一限のテストを終えた冬人は、空港線に乗って赤坂駅に向かった。札幌でデイ・ユース・サービスのホテルを利用している秋人と同じように、冬人も、赤坂駅近くのホテルを予約していた。

 三時限目に履修している演習講義にオンラインで参加予定なのだが、演習中には頻繁に発言が求められるので、列車やカフェで受講するのが難しく、どうしたものかと考えあぐねていたところ、兄が札幌のデイ・ユース・ホテルから、卒論ゼミの発表をするという話を聞いて、冬人も、秋人の真似をする事にした次第なのである。


 赤坂のデイ・ユース・ホテルで、オンライン演習に参加するための準備をしながら、冬人は、福岡への遠征前に、高校時代からの同郷の友人と交わした会話の事を思い出していた。


「ねえ、フユッチ、遠征先でオンライン・テストを空港で受験したり、わざわざデイ・ユースのホテルを利用してまで、オンライン演習に参加して、しかも、福岡まで行っているのに、翌日もライヴだから、まったく福岡観光もせずに、ただライヴに参加するためだけに遠征って、ぶっちゃけ、意味あるの? ライヴに行くだけならさ、東京や神奈川とか、近場に行けば、それでいいじゃん」

 これは、冬人がアニソン系のイヴェンターを始め、さらに、遠征までするようになってから、何度繰り返してきたか分からない〈一般人〉の友人とのやりとりであった。しかし、冬人は、「ある」としか応えようがなく、その自分のモチヴェーションを上手く説明できずにいた。

「でもさ、フユッチ、春のツアーで、嫌な思いをしてから、会場でまた誰かに絡まれるかもってプルプルしていて、なんか、心からライヴを楽しめていないって、たまに愚痴っているじゃん。それでも、福岡に行くの?」

 これには、冬人は明確な理由を述べる事ができた。

「だって、十月二十九日の福岡は、長崎出身の〈LiONa(リオナ)〉さんにとって、いわば、地元・九州への凱旋ライヴなんだよ。しかも、それだけじゃなくって、この日は、リオナタソの誕生日なんだ。だからさ、いつかどこかの会場に行けなくなって、今年のリオナタソのワンマン・ライヴの〈全通〉が途絶える事になろうとも、この十月二十九日の福岡の〈現場〉だけは、何があっても外せないんだよ。

 そのためなら、遠征先からテストを受けるというリスクを犯したり、課金しても、デイ・ユースのホテルからオンラインで演習に参加もするんだよ」

「うっ、うぅぅぅ〜〜〜ん?

 でも、そこまでの熱い想いがあるのならば、フユッチには何も言えんかな。願わくば、福岡で誰にも絡まれず、楽しいライヴにならん事を、東京から祈っているよ」


 三時限の演習を終え、デイ・ユースのホテルをチェックアウトした冬人は、福岡ドームがある唐人町に移動した。そして、駅のコインロッカーに荷物を預けて、身軽になると、ドーム近くのライヴ・ハウスに向かった。

 開場までは、まだ少し時間があったのだが、物販で買い物もしたかったし、それより何より、会場前で、兄・秋人の知り合いで、福岡在住のイヴェンターである〈ボウクン〉さんと落ち合う手筈になっていたのだ。

 結局、兄・秋人は、今回の晩秋のツアーは、〈A・SYUCA(ア・シュカ)〉の方を選び、この日も札幌に行っていた。

 冬人は、元々は、LiONaのライヴでは、秋人と連番の予定だったのだが、空いた兄の席の譲り先は、全て、行かないことにした秋人が見付けてくれており、この福岡公演に関しては、ボウクンさんがその譲渡相手だったのである。

 実は、冬人は、一年前の秋に、東京のカラオケボックスで配信ライヴの鑑賞会が催された時に一緒した事があったので、ボウクンさんと、すんなりと合流する事ができた。これが、顔が分からない相手だと、まず、声掛けと人物確認から始めなければならず、人見知り気味の冬人には、それが、ややプレッシャーなのだ。

 だから、知り合う所から始めずに済んだ今回の福岡は、それだけで、冬人にとっては精神衛生上良い場であった。


 LiONaのステージ・パフォーマンスは、どんなにステージの横幅が広くとも、その端から端までを動き回るようなアクティヴなものではなく、ステージのど真ん中に位置し、その〈〇〉ポジションから微動だにせず、あたかもバスケットボールのピボットのように、身体の向きだけを変えて、視線や歌声を放ってゆくというスタイルである。

 だから必然、観客席にいる参加者たちの眼差しは集中線のようになって、ステージの中央部のみに注がれる。

 冬人が引き当てた福岡公演の座席は、前方部の上手の最端、通路すぐ横の席であった。だから、そこからステージの中央点に視線を送るためには、身体の向きをかなり斜めにしなければならない。

 今回の福岡公演の座席配置は、密を避けるための一席空けで、ボウクンが上手端の左、冬人がその隣の右で、ステージの真ん中を観るために、身体を斜めにした場合、角度的に、冬人の背後は通路と壁になる。

 つまり、後に誰もいないというポジションは、手振りをしたとしても、身体を動かしたとしても、誰から何も文句が言われない事が約束されている分けで、この位置のおかげで、冬人の心は、だいぶ楽になった。


 やがて、LiONaの九州凱旋公演のライヴの幕が上がった。


 福岡の御客も、地蔵のように微動だにせず、演者の御歌を聴いている者が多かったのだが、それでも、中には、小さくはあったが、身体や腕を動かしている者の姿も見止められた。そして何より、全国を股に掛けているイヴェンターで、ライヴの楽しみ方を熟知している、隣のボウクンさんが、LiONaの御歌に合わせて、楽しそうに全力で身体を自由に動かしているのだ。

 この姿を目にした時、冬人は、四月から自分を悩ませ続けてきた憑き物が取れたような気持ちになった。

 周りの知らない観客の事なんて気にし過ぎる必要なんてまるでないんだ。

 ステージの演者だけに気持ちを向けて、ただ音〈楽〉を、好きに楽しめばそれだけで良かったんだ。

 周りを気にしない、という事と矛盾しているようにも思えるのだが、近くに知っているヲタクが居て、同じような音楽のノリ方をしているだけで、何と心強いのか。この周囲への安心感を覚えたからこそ、この日の冬人は、ステージの演者の御歌に、憂いなく没入する事ができたのであった。


 純にライヴが楽しい、この気持ちを抱けて、冬人は至福であった。

 そして、LiONaのステージは、いつものように、進行していった。

 いつものように、というのは、ツアーのセット・リストは基本同じで、原則、どこの会場に来たとしても、エコ贔屓なく、観客に同じ曲を楽しんでもらえるようなコンセプトになっているからである。

 

 福岡は地元・九州での公演という事もあってか、LiONaはリラックスして、終始、伸び伸びとパフォーマンスをしていて、その楽し気な様子が観客全体にも伝わってきていた。

 さらに――

 この日の福岡公演だけを、いつもと違って、LiONaは特別扱いした。


 十月二十九日、この自身の誕生日の日、LiONaは、他の会場では歌わなかった「御誕生日」という曲を歌唱したのだ。


 福岡公演に来た観客だけが、エコ贔屓された。


 やはり、この日、この時、この場所、十月二十九日に福岡に来て本当に良かった、そう感じる冬人であった。


 たとえ、同じセトリのツアーだとしても、一つ一つが特別なのだ。

 だから、遠征は止められない。






「今日この頃の御話」(〈ディーズ・デイズ〉の章) 〈了〉

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