第38イヴェ ハイシン・ライヴを楽しむ為の冴えたやり方

 十一月の初旬――

 秋人と冬人は、JRの秋葉原駅に降り立った。


「アッキッハッバッラぁぁぁ~~~」 

 駅の改札を通り抜けて、右折し、広場に出るや否や、冬人は両腕を〈Y字〉に挙げながら、隣にいる兄にだけ聞こえる程度の大きさで声を上げたのであった。

「『オレイモ』かよっ!」

「アキバにきたら、一度、これ、やってみたいって、ずっと思っていたんだよね」

 実は、冬人が秋葉原に来たのは初めてだったのだ。


「とにかく急ごうぜ。俺のヲタク仲間と合流し、〈おし〉の配信が始まる前までに、セッティングを済ませておかないといかんしな」

 そう言って、秋人は、カラオケ・ボックスに入っていった。


 秋人が発想したのは、どこかの会場を借りて〈配信〉ライヴを視聴する、というものであった。

 そして、パソコンの画面をそのまま映し出すことができる会場をネットで探したところ、カラオケ・ボックスがヒットしたのである。

 昨今のカラオケ・ボックスのサービスの中には、〈歌わないプラン〉というのがあって、他者に邪魔されない防音性の高い空間で、パーティーをしたり、オンライン・ワークをしたり、あるいは、ヲタク仲間で集まって、ライヴDVDの視聴会をする、というプランさえ存在するのだ。


 秋人が求めていたものは、まさにこれであった。


 可能な限り大きな画面という要望を、予約の際に、カラオケ・ボックスに提出したところ、佐藤兄弟が通されたのは、百インチのスクリーンが左右の壁面にあり、正面に六十インチのモニターがあって、どの方向に視線を向けても、〈おし〉がいる、というタイプの部屋であった。


 秋人は、せっかく、カラオケ・ボックスで配信を観るという企画を立てたので、弟の冬人と二人だけで利用するのは、スペースがもったいないように思え、とあるイヴェンター仲間に、「一緒にカラオケ・ボックスで〈配信〉ライヴを視聴しませんか?」と声を掛けたのであった。


 そのイヴェンターは、〈ぼうくん〉さんという名のイヴェンターで、彼は、四国に住んでいるのだが、パンデミック以前には、毎週のように東京の〈現場〉に来ていたので、アニソン界隈のイヴェンターならば、その名を知らぬ者はいない程の猛者であった。

 その〈ぼうくん〉さんが、久方ぶりに、都内に来るとの情報を掴んでいたので、秋人は声を掛けた次第なのである。


 ぼうくんさんは、とあるイヴェントから、アキバのカラオケ・ボックスを〈回し〉てきたので、何人か他のヲタクを連れてきた。

 秋人は、そのほとんどと顔見知りだったのだが、駆け出しのイヴェンターである冬人の方は、当然、有名系イヴェンターである、ぼうくんさんとさえ初めましてであった。


「で、弟君、何て言うの?」

「へっ?」

「フユ、呼び名の事だよ」

「僕、何って付けたっけ?」

 冬人は、二月に、自分で自分に付けたヲタク・ネームを完全に忘れてしまっていた。

 そして、秋人の耳打ちによって、冬人は自分のイヴェンターとしての二つ名を、ようやく思い出したのであった。

「イ、イヴェールです」

「イヴェンターの〈イヴェ〉にも通じる名前だね。覚えやすいわ。よ・ろ・し・く」


 その後、人当たりの良いぼうくんさんが、冬人こと、〈イヴェール〉を、連れてきたヲタク達にも紹介したのであった。


 カラオケ・ボックスで配信を観るための準備には、だいたい三十分を見積もっていたのだが、セッティングをして、受付に飲み物を注文して、それらがピッチャーで届くと、「まじで配信五秒前」と言っても過言ではないくらいギリギリの時刻になってしまった。


 佐藤兄弟は、折角の〈閉鎖空間〉にて配信ライヴに参加できるという事もあって、最近の〈現場〉で強要されているように、〈着席〉し、大人しく視聴する気は毛頭なかった。

 たとえ佐藤兄弟がスタンディングをしていたとしても、画面は三面もあるので、秋人たちの行為が他の参加者の視聴の邪魔になるかもしれない、と他者を気に掛ける必要もなく、リアルな〈現場〉と同じように、思いっきり手ぶりをしたり、頭を振ったり、とび跳ねたり、そしてさらに、「ウォー、ウォー」と声をあげることさえできたのであった。

 秋人などは昂まり過ぎて、机に膝をぶつけてしまった程であった。


 百インチで演者がアップになり、リアル以上の大きさになってしまった際には、逆にリアリティーがなくなってしまったのだが、カラオケの大画面は、自宅で配信を視聴した時とは比べられない程の臨場感であった。


 演者の真城綾乃の方も、スタッフ以外に人がいない、という無観客ライヴだとはいえども、カラオケではなく、バック・バンドを入れての歌唱で、さらに、ほぼ一年ぶりのワンマン・ライヴということもあってか、すさまじい気迫のパフォーマンスを見せてくれた。


 最初に二曲歌った後、一度MCを入れると、そこから十曲、MCを挟むことなく、休み無しに、一気に歌い上げたのだ。通常のライヴでは、三曲か四曲ごとにMCを入れて、休憩をしながら、ワンマン・ライヴというものは構成されることが多い。秋人もそのつもりで、頃合いを見計らって休もうか、と思っていたのだが、休む間が全くない。


 そりゃあ、〈現場〉ではなく、配信なんだから、休みたければ、勝手に休めばよいって話なのだが、より〈現場〉に近い状況を再現する為に、わざわざカラオケに来ているというのに、疲れたから休んだのでは、ライヴ・ハウスに近い〈現場性〉を自ら放棄するって話だし、それより何より、おしろんが気合を入れて歌っているのに、自分が休める道理はない。


 そして――

 ライヴ本編が終わって、真城たちが一度ステージから掃けた時には、秋人はぐったりしてしまった。

 冬人の方は、まだイヴェンターとしての身体ができていないのだろう、途中でへばってしまって、早々に着座してしまっていた。

 その際に秋人は、弟に「まだまだだね」と言い放ったのであった。


 アンコールでの再登場までの間、秋人は、歌い上げられた本編のパフォーマンスを反芻していたのだが、真城は途中で声が潰れることなく一気に歌ったパフォーマンスも力強かったのだが、それに加えて、歌詞の間違えもほとんどなく、その結果として、時折、起こり得る歌の途切れなどもなかった。

 秋人は、自分の〈おし〉のライヴにかなりの本数通っていて、真城綾乃は〈現場〉を重ねる事によって、つまり、トライ・アンド・エラーを重ねながら、パフォーマンスを向上させてゆくタイプだと思っていたのだが、二月以降、人前で歌う機会が全くと言っていい程なかったにもかかわらず、この質の高さ、綾乃は、相当、準備してきたのであろう。

 そう考えただけで、秋人の胸は熱くなってしまった。


 配信終了後、カラオケの予約時間が未だ余っている、という事もあって、ヲタクたちと、この日の配信ライヴのことだけではなく、様々なことを、とりとめもなく語り合った。 


 あっ、この感覚だ。

 〈現場〉の楽しさってのは、生の歌唱や演奏を直に味わうっていうだけではなく、ライヴが終わった後に、気心が知れた仲間内で集まって、打ち上げをして、こんな風にワイワイやるって面もあったんだよね、と秋人は思った。


 その会話の中で、秋人は、ぼそっと本音を呟いてしまった。

「配信で、こんな風に楽しめちゃうと……」

「え、何、もう、〈現場〉いらんって事?」

「逆ですよ、ぼうくんさん。ますます、〈現場〉で、生のおしろんに逢いたいって気持ちがましましになりました。もう、自分、逢いたくって限界っすよ」

「じゃ、後で、その気持ちを、そっくりそのまま、〈限界ツイート〉しておいて」

「さすがに、それは堪忍してくださいよ」

 そう秋人は、ぼうくんさんに応えたのであった。

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