リスト・カット・ウィルス
加恋は、いつも自分の左手首を大切にしていた。
窓際の机で儚く空を見上げる加恋の、慈しむようにもう片方の手で左手首を包み込むその仕草が、僕には子供を抱きかかえる母親のように見えた。
僕は加恋のことが好きだ。
しかしその恋は決して成就することは無かった。
彼女は死んだ。
原因不明の死だった。
彼女の慎ましやかな胸に、横一閃。鋭利な刃物……巨大なカミソリか、あるいは日本刀の様な物でつけられた傷によって、出血多量で死んだのが発見されたそうだ。
原因が分かっているじゃないかって?
違うんだ。
高台にある公園で死んだ加恋の身の回りには、そんな巨大な傷をつけるものが存在しなかったんだ。包丁でさえそんなにきれいな切り傷をつけられない、というのを、僕は人伝いに聞いた。
色んな噂が流れたよ。
かまいたちに殺された。辻斬りに遭った。工事車両が事故を起こした。エトセトラエトセトラ……。
何よりそんな噂が出てしまう一番の原因は、パトカーや救急車に混じって、何やら曰くありげな黒スーツの人々が外国人も含めてやってきていたという事実だった。
怪しい。
怪しいものには噂がつきまとう。
僕は知らないし、これからも知ることの無い何かが、加恋の身に起こっていたのかも知れない。
だから、画面の向こうの人。
これは僕が彼女について知っているほんの一部のことだ。それを、ちょっとだけ、ツイッターの未投稿文程度に書き記しておこうと思う。
別に、僕だから知りえた、ということではないからね。
誰かのことを好きになったなら当然そのくらいはするだろう、っていう、ごく当たり前な話をするだけだ。
だから、このことは誰にも話さないでほしい。
雨宮加恋は、どこにでもいる普通の女子中学生だ。
やや内側にカールした真っ黒なボブヘアに、群青色のセーラー服が似合う女の子。彼女のシャンプーはボタニスト、柔軟剤はランドリン。朝食はトースト派で、吹奏楽部は木管楽器が難しくて諦めた。合唱部に所属しているけれど、歌は実はそんなに好きじゃない。運動部に入って日焼けをするのが嫌なだけ。
女の子らしい丸文字ではなく、結構かっちりした文字を書くし、成績は良好。消しゴムはカスが出るからあんまり好きじゃない。交友関係は、幼なじみの友人と合唱部の同じパートの仲間。男子とはあんまり話す機会がないし、話しても楽しくない。
趣味は読書。
最近は名作SFなんかが好みらしく、学校図書館に置かれていた『たったひとつの冴えたやりかた』をつい先日読み終えた。
あれ、いいよね。僕も好きなんだ。
少女が仲良くなった地球外生命体は、悪意なく宿主を乗っ取る寄生型。寄生されれば意識を失い、操られてしまう。地球外生命体はなまじ友好的なため、そんな寄生型の地球外生命体を持ち込まないために、少女は苦渋の決断でそれと心中することにする。心中する一部始終を、情報として母星に伝えながら。
今度加恋と話す機会があったら、一緒にその少女の行った自己犠牲の精神の尊さについて語ろうと思っていたんだけどね。ついにその時は訪れなかった。
まあ、そんな感じで彼女はごくごく普通の女子中学生だ。
普通の女子中学生だから、僕は彼女に恋をした。
まず名前が可愛いよね。加恋。恋をするために生まれてきたような名前だ。
彼女は男の子とほとんど接点がない。加恋のことを遠巻きから見ている人は僕以外にも結構いたけれど、僕以上に彼女のことを好きな人はいなかっただろう。だって、僕以外に彼女の部屋に盗聴器を仕掛けるような人はいなかったもの。
え?犯罪だって?
まあまあ、それのおかげで僕はこれから話す彼女の秘密を知ることが出来たんだ。それに、好きになった子のことは何でも知りたいと思うのは当然だろう?
とにかく、僕は彼女が部活にいそしんでいる間に(もちろん学校の方にも盗聴器は仕掛けてある、当たり前だろ?)彼女の部屋に侵入して色々と仕掛けたんだ。
不思議な部屋だったよ。
まずベッド。ふかふかで、加恋の匂いがして、時間がないと分かっていなければ、きっといつまででも潜り込んでいただろう。あ、いや、そんなことはどうでもいいよね。
何が不思議って、シーツがちょうど真ん中で不自然に縫い合わせた跡があったんだ。まるでそこからスパッと裁ったものを縫い直したかのようにね。
次に机。普通の勉強机なのだけれど、これも天板に深い切り傷があった。彼女の机のどこを探しても、そんな切り傷のできるような刃物は一切ない。ハサミの一つさえないのが逆に変だと思うくらい普通の机なんだけどね。
とにかく、僕はその机の足元に盗撮カメラを一台と、部屋の片隅にあるハットハンガーに盗聴器を仕掛けて帰った。
この時もっとよく見ておけばよかったのだけど、部屋のあちこちに切り傷があったらしいんだよね。彼女が亡くなった後、仕掛けていた盗聴器と盗撮カメラを回収したときに偶然母親に見つかってしまって、そこでお茶をいただいたときの会話で聞いたんだけど。
彼女の全てを知りたいと思った僕の、唯一の失敗かな。
自室っていうのは秘密の塊だ。
そこには母親にも知られたくないようなものが詰まっている。それをのぞき見して、加恋の全てを知りたい。
そんな僕が知った、彼女の母親さえも知らない秘密。
それは、彼女が自室でくりひろげる独り言にあったんだ。
「ねえ、ヨグアムール」
盗聴器が盗み聞いた彼女の独り言のなかに、そんな意味不明な音の羅列があったんだ。
ヨグアムール、あるいはイョグヮムーとでも言えば良いのかな?日本語にはないような発音だったよ。
とにかく、加恋は誰かに語りかけているように言うんだ。もちろんその日は彼女の部屋に誰一人としていないということを僕は知っている。加恋は以前から誰かに語りかけるような独り言をすることを知っていたし、その日も彼女の独り言を聞いて急いで彼女の家の前まで行ったけれど、結局彼女の家の部屋には誰もいなかったのを確認した。
スマホに接続した盗聴器からは、彼女の独り言がずっと聞こえていたんだ。
「あなた、なんで私にとりついたの?」
「偶然だって?」
「あなたの他に、ヨグアムールはいるの?」
「いない?それじゃあ……えっ?ヨグアムールは個の名詞?……固有名詞っていうこと?それじゃあ、種全体の名前は?」
「種っていうのは、ほら、私と私の他にいる同じような形の生き物、いるでしょ?そういう一つのまとまりとして……」
「レイシスト?違うわ。ええと、何て言ったらいいのかしら……」
「……そう、私と他の人との違いがあなたには分からないのね」
レイシストって何だろう?
スマホで調べてみると「人種差別主義者」と出てきた。彼女は人種のことについてしゃべっている?
と、よく分からないけれど、きっとその時に読んでいるSF小説の影響で、彼女は独り言をしゃべってしまうのだ。
もちろん、その日だけじゃなく、別の日には別のことをしゃべってもいたよ。
「あなたは、私だけじゃなくて、私以外のものも傷つけるのね」
「傷つけるという意味が分かっていないのは、あなたが物質世界から隔絶されているからかしら?」
「あら、私はあなたを悩ませるのは嫌いじゃないわ。あなたは悩んでいる間だけ私を、あるいは私の周りのものを傷つけずにいられるんだから」
「あなたは、切るという現象そのもの」
「それだけじゃあ、何の役にも立たないわ」
切るという現象そのもの?
加恋は学校では絶対に表に出すことは無いけれど、普段からこうやって興味深い妄想を繰り広げているのだろうか。
僕は心躍ったよね。
中二病みたいじゃないか。彼女は自分の中に何者かを(邪眼のようななにかを!)飼っていて、それに向かって「切るという現象そのもの」とまで言い切るんだ。妄想の中で彼女は切るという現象を飼い馴らし、悩み困らせることで現象の起こる確率を減らしているなんて言うんだよ。
なんて可愛らしく、面白い子なんだろう!
彼女のことをいよいよ好きになってしまうんだ。でも、さすがにそのことを彼女に突然話しかけるなんてことはできない。だって、僕はこれらの話を盗聴によって聞いていたに過ぎないんだから。
突然、
「ねえ、加恋さん。あなたの精神の中に飼っている『切るという現象そのもの』について、僕に詳しく教えてほしいんだ」
なんて言ったら、警戒されるに決まってるだろう?
だから、言わない。言えない。
でも、ああ、なんて可愛らしい妄想の中に生きているんだ、加恋は。
そう思って、でも彼女と話す機会は作れなかったんだよね。
残念。
彼女が死んでしまう直前に盗聴した内容を聞きたい?
でも、どうしようかな。それを聞いたらさすがにいよいよ彼女のことを変な目で見てしまうんじゃないかな。
そんなことはない?
それじゃあ……まあ、うん、教えるよ。
僕が加恋の部屋に盗聴器その他を置いて四カ月が経った時のことだ。彼女が『たったひとつの冴えたやりかた』を借りたのが死ぬ日の三日前なのは知っているよね?
え?知らない?
彼女の独り言はいつからだって?
独り言は盗聴をし始めた時から始まってたよ。
何か変化はなかったか、って?……変化かあ……変化……独り言はずっと続いてて、最初は刺々しい感じの会話だったんだけど、だんだんと、何て言うのかな、長年連れ添った夫婦っていうか、魔法少女とマスコットみたいな?切っても切れない関係になっていった感じはあったよね。
相変わらず彼女の独り言なんだけど、ヨグアムールって言ったっけ?その相手に対する当たりが弱くなっていった感じ。
代わりに、他の人と話す機会が減っていったようでもあったかな。
特に学校でそれが顕著でさ、部活も行かないで先生に怒られるようになるし、幼なじみの子……は引っ越しちゃったんだったっけ……他の彼女と仲の良かった人たちも、だんだんと彼女のそばを離れていった。
いや、別に彼女が嫌ったり嫌われたりっていう様子はなかったんだけどね。
何か、いつの間にか孤独になっていた感じはあるかな。
ほら、人間関係って、蜘蛛の巣みたいに複雑に絡み合っているじゃない?でも彼女だけ、その関係からチョッキンって切り取られてしまったみたいに。
その代わり……なのかな。加恋は、ヨグアムールとの会話を楽しんでいるように見えたんだ。
でも、そのヨグアムールとの会話を楽しむ彼女の声は、時々苦痛に歪むこともあった。盗聴器の向こうでそういう風に聞こえるって、相当だよね。
あ、盗撮カメラの話、今する?
いや、だって今までしなかったじゃん。机の下に仕掛けたカメラのことなんて。
その調子じゃ何かあったんだな?なんて疑ってかかっても、教えないよ。
……ダメ?ああ、そう。
いや、でも画面の前のあなたが想像するような映像はなかったよ。これは本当さ。加恋が椅子に座るとすぐ真っ暗になっちゃうからほとんど映像は撮れてないんだ。え?それなら何でずっとそこを撮り続けてたんだ、って?
……いやまあ、それはロマンっていうか、さ?
撮れてたのはいくつかあったけど、なんか変だなって思ったのはあったよ。盗聴している際に苦痛に歪む声が聞こえるって言ったでしょ?その時に足をもじもじさせるんだけどさ、突然そのもじもじさせている足の、パジャマの腿の辺りがパックリと切れてね、血が滲んでくるんだ。
最初はさ、女の子の日なのかなって思ったんだけど、どうもそれとも違うみたいなんだよね。で、それは何だって聞かれたら何も分からないんだけどさ。
え?
「切るという現象そのもの」が彼女に与えた切り傷なんじゃないか、って?
彼女に寄生したヨグアムールが彼女を傷つけたんじゃないか、って?
ちょっとさ、空想と現実をごっちゃにしすぎじゃない?さすがに僕でもその辺の分別はあるよ?
まあいいや。とにかく加恋はヨグアムールと仲良くなっていったんだ。
「たまには悩ませてみろ、って?そんなこと言ったって……もう無理よ」
「ねえ、あなたは私とどうなりたかったの?」
「私のことを知りたいって……一緒になりたいってこと?」
「最近は、私の方があなたに悩まされてばかり」
「私ね、ちょっとあなたのことが可哀想に思えてきたの、ヨグアムール」
「きっとあなたは寄生先を間違えたんだわ」
「だって、私は……普通の女子中学生で、ただの人間だから。あなたの言うような、空想の生き物よりもずっと弱い、ちょっと傷つけられただけで、すぐに死んじゃうような」
「……ダメよ。それではあなたが死んでしまうじゃない。それに……」
「私のせいでこの世から『切る』がなくなるなんて、ありえない」
加恋の最後の独り言だよ。
……なんだろうね。加恋も君たちと同じようにヨグアムールが実在(どういう状態を実在というかは別として)していると信じていて、どう扱うべきか悩んでいたのかな?
「ありがとう、斬間凪子さん」
「ありがとう、ってどういうこと?」
「あなたが……あー、黙認するが、犯罪行為をしてまで雨宮加恋を観察していてくれたおかげで、全ては未然の中に処理することができそうだ」
「……未然?加恋は死んだんですよ?」
「いや、ああなってはもう死ぬしかなかった」
「死ぬしかなかった?人の死を前によくそんなことが言えますね。あなたは身内の死に際しても同じようにドライでいられるのですか?」
「……じゃあ言わせてもらうけれど、わざわざ引っ越ししたと嘘をついてまで彼女の下を去ったのはなぜだい?幼なじみの仲良しの、斬間凪子さん」
「……ッ」
「あなたは、本当は知っていたのでしょう?彼女が何者かにとりつかれていたことを。知っていてあなたは逃げ出したんだ。遠巻きから観察することで、自分に害が被らないようにしながら」
「……違います!」
「他人事なのはどっちだい?まるで自分に罪はないように予防線を幾重にも張っておきながら、雨宮加恋が呪いにとり殺されるのを待っているキミの方が、僕なんかよりもずっと他人事として見てるだろう」
「やめてください!」
「だってなあ、ヨグアムールを喚び召したのは他でもないキミだもんなあ、斬間凪子さん」
「そんな世迷い話!」
「……たった今連絡があった。キミが喚び召した彼女は全て捕まえたそうだよ。正確には、彼女にとりつかれた女の子たち、だけどね。……恐ろしい話だねえ、彼女に悪い虫がつかないように『縁を切る』ためだけに彼女を喚び召すだなんて」
「あなたは大人なのにそんな与太話をするんですか!?」
「まあ、キミのような覚悟も何にもないバカに喚び召されたおかげで、ヨグアムールを根絶できたんだ。それだけは本当に感謝しなければいけないね」
「ふざけないで!」
「ふざけてなんかいるものか。斬間凪子さん、キミの中途半端な恋慕の情がヨグアムールを召喚し、矛盾と揺らぎに染まった覚悟が彼女を弱体化させた。それでいて、雨宮加恋さんの意志の強さだ。斬間凪子の心の弱さと、雨宮加恋の意志の強さ、そのギリギリの綱渡りが、『切るという現象そのもの』という呪いを根絶することを可能にしたんだ。……ありがとう」
「何に感謝してるのよ!この変態!」
「さあ、私はもう行こう。……最後に一つだけ。キミの中途半端に愛する雨宮加恋の最期の言葉をだけ、教えておこうか」
「私に憑いてくれてありがとう、ヨグアムール。ほんの少しの間だけど楽しかった。……愛しているわ」
殺伐百合 雷藤和太郎 @lay_do69
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