ばたばた 落語台本版

中嶋條治

ばたばた 落語台本版


江戸からほんの少し外れにある村に、世にも珍しい七色の羽を持らった蝶が居るという噂がまことしやかに囁かれまして、一時は大変な人出があったそうなんでございます。それこそネッシーが出たってんで観光客が押し寄せたネス湖のような状態だったようですが、ある日を境に全く七色アゲハは見られなくなってしまいました。

 こうなりますと、アゲハ見物に来ていた客を狙っていた商店は大変でございます。お客が来なくなったので商売ができず、次々と店を閉めていってしまいまして、残っているのは茶店を入れて数件だけになってしまったそうで…

 

主人「あ~あ~、暇だねえ。人どころか猫の子一匹通りやがらねぇ。2月と8月は客の入りが悪いって言うが、こちとら一年中ニッパチだよ。

しっかし空が青いったらねえな。こんな天気の時は、七色アゲハ見物に来たお客のおかげで大忙しだったんだけどねぇ。今じゃこれだもんよ。これじゃ閑古鳥だって来ちゃくれねえや。裸足で逃げるよ。まあ鳥だから履物なんか履いちゃいねえんだが。

おい婆さん。……聞こえねえのかな。おい、婆さん!」

 

婆さん「なんですか、大きな声を出して」

 

主人「お。お茶を入れていたのかい。情けねえ茶店だぜ。ここ最近淹れてるのはまかないの茶ばっかりだ。このお茶をお客に出してぇもんだぜ」

 

婆さん「おやめになったほうがいいですよ。このお茶はおじいさんに出すために淹れたんですから」

 

主人「何を飲ませようとしてるんだよ。まぁいいや。おい、婆さん。今日はもう客もこねえだろうし、早めに閉めようや」

 

婆さん「あら、そうですか。ねえそれより聞きました?」

 

主人「なにをだい」

 

婆さん「あの山の向こうの話ですよ」

 

主人「ん? 山向こう? そっちは確かおめえ、お稲荷さんのある村か」

 

婆さん「そうなんですよ」

 

主人「まさかお参りに行くってんじゃないだろうな。やめとけやめとけ。あそこのお稲荷さんはご利益がねえんだ。頑張って山を超えていったところで、くたびれ儲けって事になっちまうぜ」

 

婆さん「それがですね、ご利益があるっていうんですよ」

 

主人「どっか別ん所のお稲荷さんの話じゃねえのか? ご利益があるも何も、あそこはずっとお参りするやつなんざいなかったんだぜ。だから修理するやつもいねえ。おかげで祠は荒れ放題よ。誰が好きこのんで手を合わせに行くってんだい」

 

婆さん「お稲荷様の近くのお茶屋さんだって言うんですよ。お参りをしたらその御利益で売れ残りの草鞋が一足売れたそうなんですって。すごいのはその後で、なんと売れたはずの草鞋が後から後から同じ場所から出てきて、かなりの評判だそうですよ」

 

主人「この婆さん、耳にきてたのは前々から分かってたが、ついにオツムもいかれちまったか」

 

婆さん「なにか言いましたか?」

 

主人「あのなぁ、そんなに草鞋がぞろぞろ出てくるわけがねえだろ。落語じゃあるめえし」

 

婆さん「それがお稲荷さんのご利益なんですよ。ですからおじいさん。もしお店を早く閉めるんでしたら、その足でお稲荷様へでもお参りに行ってはいかがですか?」

 

主人「山を越えてかい。オレにそんな体力なんざないぜ」

 

婆さん「違いますよ。この先の林に古いお稲荷さんがあったじゃございませんか。そこへ行くんですよ」

 

主人「ああ、そういえばあったねぇ。でもあっちこそ荒れ放題だぜ」

 

婆さん「ですから、おじいさんが掃除をしてきれいにしていけば、お稲荷様もおじいさんに感謝をして、お願いを叶えてくださるかもしれないじゃないですか。信心は大事ですよ」

 

主人「そんな面倒臭いことができるかってんだ。(茶を啜る)……うわっ本当だ。こんなものお客に出すわけにいかねえや。“お薄”なんて言葉があるけども、これはお薄なんてもんじゃねえ。白湯飲んだほうがマシってもんだぜ」

 

婆さん「貧乏所帯なんだから仕方ないですよ。これから先もこんなお薄を飲まされたくなかったら、お稲荷様へ行ってみてくださいな」

 

主人「わかったよ。じゃ、ちょっくら行ってくるから。店の方は頼んだぜ」

 

(歩き出す主人)

 

主人「全く何だいあのババアは。稲荷の回しもんじゃねえかな。あーいう何でもかんでも信じちまう了見は直したほうがいいよ。まああの年だからもうしょうがねえのかもしれねぇな。

 いやー、しっかしこの辺りの寂れ具合ったらないね。ここまで寂れちまうってのは、疫病でも流行ってんじゃねえかって疑われちまうよこれじゃ。

うっぷ。砂が口に入っちまった。砂埃がひどいね。ここ数日雨が降ってなかったからな。ちょいと風が吹くとこれだ。前まではそのへんの店に丁稚が奉公に来てて、打ち水なんかしていたから良かったんだ。今じゃ丁稚なんてどこにもいやしねえ。ああ~嫌だねぇ。居るのはオレみてえな年寄りだけだよ。

お。ついたな。ここもきったねえ祠だねおい。陽の光もろくにささねえから余計不気味だ。

千社札もビリビリだねぇ。ん?何だこりゃ。ひょっとして徳利の供え物かい。ひどいねぇ。白けりゃまだわかるよ。茶色になっちまってるもんなぁ。瓢箪だって言われても信じちまうぜ」

 

主人、周りのホコリをフーッと吹き、モワリと舞い上がった塵芥にむせる。

 

主人「うーん、蜘蛛の巣も張ってやがんな。ホレ。といっ。よっと……へぇ、ずいぶんあるねぇ。徳利も賽銭箱も少しは磨いといてやるか」

 

(主人、賽銭箱や徳利を手ぬぐいで拭いている)

 

主人「さてと。まだまだこれじゃ粉落としみてぇなもんだけど、今日のところはこれくらいでご勘弁を願いたくってなもんよ。

 えーと、お、あったあった。ひーふー……。一文で勘弁してくだせぇよっと。

(柏手を打つ)

 お稲荷様。私、吉野という茶店を営んでおります欣衛門と申します。全然来たこともなかった不信心な野郎ではありますが、今後は何度かお参りさせていただきたいと思っておりますんで、何卒よろしくお願いいたします。はい。

(一礼する)

 さてと、んじゃ帰るとすっか」

 

主人「おう、ただいま」

 

婆さん「おかえりなさい。どうでした」

 

主人「別にどうもねえよ。しかしあれだね。たまにはお参りするのもいいもんだな。なんとなく気持ちが軽くなった気がするぜ」

 

婆さん「そうでしょう。ひょっとしたらじきにご利益があるかもしれませんよ」

 

主人「だといいんだけどねえ」

 

客1「おう、開いてるかい」


主人「ひええええええええ」


客1「うおおおおおおおお、何だ何だ、どうした!」


主人「おきゃ、おきゃおきゃおきゃおきゃお客様ですか?」


客1「そのつもりで来たんだよ。何だい、開いてないのかい」


主人「いえいえ! どうぞいらしゃいまし。いえね、ここんところめったにお客様なんて来てくださらねえもんですから、失礼いたしました」


客1「そうかい、あんたらも苦労してるんだね。茶でも一杯貰おうかと思ってたんだけどね」


主人「へい、すぐにお持ちいたします」


客1(お茶をすする)「なぁ、このあたりには何かい。珍しい七色の蝶ってのが飛んでるんだって?」


主人「へえ、たしかに昔はよく飛んでおりましたが、近頃めっきりお目にかかれねえんで。おかげで私らも商売上がったりでございます」


客1「そうかい。いや、俺は虫きちがいでね。珍しい虫には目がねえんだ。七色アゲハなんて今まで見たこともねえ。一度は見ておきてえと思ったんだが、どうやら無駄足だったかもしれねえなぁ」


主人「誠に、申し訳ないことで」


欣衛門さん、申し訳なさそうに頭を下げまして、ふっと顔をあげると、その前をひらひらと一羽の蝶が飛んでいきます。羽は綺麗な七色模様で、欣衛門さんはひと目見て七色揚羽だとわかりました。


主人「ひえええええ」


客1「うおおっ!何だ、飛んでるじゃねえか」


主人「ここ三年姿を見せてなかったんですよ!なんでまた」


客1「あ、逃げちまうぜ。おやじ、勘定ここ置いとくかんな」


 お客はそのまま脱兎のごとく駆け出して、蝶のゆく方をひたすら走っていきました。

 さて、これを見て最も驚いたのはこの茶店の老夫婦でございます。


主人「おい、まさかこれか? お稲荷様のご利益ってやつは」


婆さん「さぁ、分かりませんよ。でも本当に久しぶり」


主人「だよなぁ……。おい、婆さん。あの蝶どっから出てきた?」


婆さん「いえ、実はあそこから」


主人「あそこって天井裏かい? おいおい、あそこは毎年大晦日にちゃんと掃除してるんだぜ。蝶どころかネズミの糞も落ちちゃいねえや」


婆さん「それじゃ、一体」


主人「……ひょっとしたら、本当にお稲荷様のご利益なのかもしれねえなぁ」


婆さん「あら、おじいさんもついに信心に目醒めましたか」


主人「ついに目覚めましたかって、おめえが勧めたんじゃねえか」


客2「おう、ちょっとお茶飲ませてくれ」


主人「あ、お客だよ。嬉しいね二人も来るなんて。へい、只今」


客2「ん? 爺さん、肩に珍しい蝶乗せてるね」


主人「へ?」


言われて右の肩を見ると、そこには七色揚羽が止まっております。


主人「ひえええええええ」


……なんて、お茶屋は大騒ぎになっております。

この茶屋の向かいに、与兵衛と言う男が営む髪結い所がございます。しかし揚羽が出なくなってからお茶屋と一緒に客足が減ってしまい、今では閑古鳥が一番の常連客という始末で、この日も外をボケっと眺めております。


与兵衛「なんでぇ、向かいの茶店、嫌に景気が良いね。なんだかんだで二人も客が来てるよ。まぁ、旅のやつが通れば茶店にも寄るか。問題はこの床屋だよ。こんな田舎にわざわざひげを剃りに来るお客なんかそう居ねえもんなぁ。ああ、退屈だ・・・・・・(あくびをする)

んん!?何だありゃ!七色揚羽じゃねえか! い、一体今までどこに隠れてやがった」


 与兵衛さん、立ち上がろうとしましたが、あぐらを長い時間組んでいたためにうまく立ち上がれません。終いには囲炉裏の灰に頭からズボーッと突っ込んでしまいまして、真っ白になりながらもなんとか向かいのお茶屋へ走っていきます。


与兵衛「おい、茶屋!」


主人「へ? うおっ! 何だてめえは。砂かけ爺か?」


与兵衛「馬鹿野郎、まだ爺って年じゃねえや。床屋の与兵衛だよ」


主人「あれぇ? どうしたんだ与兵衛さん。灰なんか被っちまって。床屋がそんなんじゃおめえ、信用に関わるんじゃねえのかい」


与兵衛「そんなもんどうだっていいんだよ! それよりなんでぇあの揚羽は! てめぇどこに隠していやがった!」


主人「隠してなんかいねえよ。いいかい、あの蝶だがな、俺がついさっき向こうの寂れたお稲荷さんにお参りしたら、いきなり出てきやがった。あそこはすげえききめだよ」


与兵衛「稲荷だぁ? おい、そりゃ本当だろうな」


主人「蝶も出てるし客も来てるじゃねえか。お前さんも早く行きな。今ならまだ願いが聞き届けられる時分だぜ」


与兵衛「よーし、そうとくれば行ってくらあ!

いやー、驚いたね、たしかにあれは七色揚羽だよ。あの羽の模様は忘れねえな。しかし本当に稲荷なんかに参拝して効き目があるのかね。お、着いたかな。……うわっ酷ぇ。何だこりゃ。これなら俺んちの神棚のほうがまだ綺麗だよ。まぁ神棚の方だって何年も掃除しちゃいねえけど。本当にご利益があんのかね。もしかしてあのたぬきおやじ、口から出まかせ言ったんじゃねえかな。まぁ、せっかく来たんだ。神頼みだけはしていくか。えー、お稲荷様、私この近所で髪結いを営んでおります与兵衛と申します。どうかあちきのところからも、あの七色揚羽を一羽……いえ、出来ますれば十羽でも二十羽でもバタバタっとお出しくださいますよう、平に、平にお願い申し上げまする!」


職人「おおい、与兵衛さん!」


与兵衛「うおお、何だよ熊五郎じゃねえか。今俺はお参りしてんだ。邪魔しないでくれ」


職人「そんな場合じゃないってんだよ。お前さんのところ、お客さん来てるぜ!」


与兵衛「なにっ!早速ご利益が。お稲荷様、ありがとうございます。おう、今行くぜっ!おうおう、三人も並んでるじゃねえか。嬉しいねえ。へへ、欣衛門のやつあっけにとられた顔してやがる。ざまあみろだ。はい、お待ちどうさまでした。一番先に並ばれていたのは、ああ、あなたで。ささ、こちらへお願いいたします」


客3「おう、待ってたんだ。早いとこ頼むぜ」


与兵衛「はい、ウグッ何だろうね、なにかこみ上げてくるぜ。あ、いや、早速かからせていただきます」


(与兵衛、カミソリを持つ)


与兵衛「ん、何だこりゃ。喉の奥でなにか動いてやがる」


与兵衛さん、もはや髭を剃るどころではありません。胸の方からなにかうごめくものが喉を上がってくるかと思いますと、七色の羽を持ったアゲハチョウが、口の中から、ばたばたっ!

 

『ばたばた』の一席でございます。

 

 

終わり

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