第12話 小田原評定

 市内各所へ挨拶に回っている途中、携帯電話に父から連絡が入った。

「すぐに事務所へ戻って来てくれんか。町内会のもんらが話がある言うてるで」

 苦々しい声の調子から、あまり良い内容でないことが伝わった。

 市内じゅうを回ることに一生懸命だったので、事務所の様子については詳しいことを知らない。慌てて戻ると、父の姉である中畑のおばさんが一階で僕の帰りを待っていて、その場で簡単に事情を聞かされた。

 事務所は、妹の純子が経営している輸入雑貨店の店舗を片付けて使っていた。当然、選挙が終わるまでの間は、閉店休業である。毎晩そこに、町内会の面々十数名が集っている。暖房が効いた二階の部屋で、うちが用意した缶コーヒーを飲み、お菓子をつまみながら話をしている。「エアコンだけでは寒い」と言われ、ストーブも用意したそうだ。

 そのあいだも、僕は挨拶に回っていた。頼んで歩くことで、はじめて票につながる。ストーブの前で手をかざしているだけでは、票は集まらない。何も先に進まない、そんな話し合いは無意味じゃないかと憤りを覚えた。小田原評定の末に、難攻不落の堅塁も落城したのだ。

 さらに、「会議用に喫茶店を準備してほしい」とも言われたそうだ。飲食代はもちろん、うちのツケである。そして今度は、「候補者本人と話がしたい」と要望が出た。

「市内を回るのではなく、もっと町内に住む自分たちと一緒に話し合ってほしい」

 その求めに応じて急遽挨拶回りをやめ、町内会の人たちの前に顔を出すことになったのだ。

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