私は何もここでジェンダー論などを解く気はない。
しかしこの小説には何かが隠されているのだ。詩舞澤沙衣氏の「わたしは知らない」を読んだ時、懐かしき、昭和の探偵小説家、木々高太郎の小説を思い出した。木々はかの江戸川乱歩と探偵小説論を繰り広げた、そんな大家だ。
閑話休題、その木々が書いた、少女小説は大人に成り切れっても、少女の心は忘れないという、彼女たちの物語であった。「わたしは知らない」の中で最後、由衣は成長する。そう、彼女との「ひみつ」を共有し……。
この成長とは、私自身が思うに少女から女性への脱皮なのだろう。だが、心の中だけではあの時の少女でありたいと思うのが、木々作品と似通っているのである。近年に目を向ければ新井素子氏や、野村美月氏の諸作などに多い成長の表れと伊吹を肌で感じれた。その様な作品である。