鎌鼬
秋冬遥夏
鎌鼬
「菊之助、風の日の戌の刻から寅の刻の間は、決して外に出てはなりません」
昔、母はそう言った。私の村では毎年、十月一日、通称「風の日」に
その容姿は名前の通りであると聞く。
と言えども、私が実際に自分の目で鎌鼬を見たことがあるわけでは無い。「外に出てはならない」という母の教えを守ってきたからである。私が見たことあるのは被害者だけだ。十月二日の朝日に、抉られた生身が照らされてるところは、この目で何度も見てきている。
兄の蘭丸だって被害者の一人だった。私が夜明けを待ってから恐る恐る外を見に行くと、兄は自分の血に
しかし兄は、自らの意思で外に出て行ったわけでは無い。そもそも命を落とすかも知れないのに外を出歩くような阿呆は、生まれてこの方見たことがない。
では何故、兄は死んだのか。
何故、鎌鼬に切られるハメになったのか。
答えは単純である。
村の人たちが兄を外に出し、鎌鼬と戦わせたのである。
この村には毎年、年頃になった男の中で特に腕っ節が強い奴が五人選ばれ、「鎌鼬狩り」として鎌鼬の首を取りに行くという風習があった。兄は小さい頃から磨いていた剣術の腕が認められ、その五人に選ばれたのだ。しかし、そんな兄でも鎌鼬は倒せなかった。いや、いままでに倒せた人などいないのだ。それどころか擦り傷の一つも与えられてないのだと思う。私が一度も鎌鼬特有の黒い血を見たことがないことが何よりの証拠だろう。
そして今年の「鎌鼬狩り」は自分になった。来る日もくる日も剣術を学び、その五人にも選んで頂けたのだ。やっと、兄の仇が討てる。
自分の心は恐怖よりも、鎌鼬に対する憎悪の気持ちで燃えていた。
いままで鳴っていた、賑やかな笛や鼓などの音が一斉に止んだ。それは私たちの健闘を祈る「黄昏の儀」が終わったという合図であった。そう言えば今日の夜飯は、村長が出してくれた肉鍋であった。貧しい家に生まれた私は昔から「死ぬ前に一度だけでもいいから鍋が食べたい」と母に言ったものだが、いざ食べてみると脂っこい上に塩っ気が強く、美味しいとはとても思えないものであった。私には母の作る握り飯くらいが丁度良いのだと改めて感じた。
時刻は戌の刻。
私は家の戸口の前に立っていた。
そろそろ、行かなくてはならない。そして兄の仇を討ち、生きて帰ってこなければならない。そんな思いを胸に抱き、刀を強く握りしめた。
後ろを振り返れば母がいる。しかし私は振り向かなかった。きっと母の顔を見たら涙が溢れてしまう、そう思ったのだ。
私は母に背を向けたまま「生きて戻ります」と言った。すると母はいつも通りのゆっくりとした口調で「菊之助、気をつけなさい」とだけ言った。
私はそんな母の声を背負い、戸を開けた。
夜はとても静かだ。上を見上げると不気味なほどの満月が浮かんでいて、その光だけが自分の足下を照らしていた。やんわりと吹く秋風が自分の心を妙に揺さぶり、深海のような暗闇が辺りを覆っている。
「この中に鎌鼬がいる」
そう思うと刀を握る手に、より一層の力が入る。そして私が切れば、これからの犠牲者はいなくなると思うと気合いも入った。
それにしても、辺りは異様なほどに静かだった。生き物の気配が全くない。きっと猫や狸なんかの小動物も本能的に危険を察知し、山に逃げたのであろう。本音を言えば、私も一緒になって逃げだしたいものだ。しかし兄の無念をはらさねばならない、という情が私をこの地に居座らせた。
人間は何故「情」なんてものを得てしまったのか、今になっては不思議でしょうがなかった。狸のように生まれつき利己主義な性格であったら、きっと戦わずして逃げられただろうに。
ふと、鋭い風が頬を撫でた。
そして暴風と共に生き物の奇妙な気配がどこからと無くやってきた。纏わりつくような暗闇のせいで視界が真っ暗な上に、周りに吹き荒れる突風が耳を塞いでしまっていたが、そこには確かに鎌鼬の「殺気」があった。
私は、兄が死んでから剣術を習った。
毎日のように道場に足を運び、夏と冬は山に籠っていた。皆も知る通り、山というのはとても危険な場所である。猪や熊などが出るのは勿論のこと、蜘蛛や蛇などの毒虫にも注意を払わなければならない。その為、気安く睡眠など取れないことが普通である。
あれは山に籠もって七日目のこと。山中で一睡も出来なかった故に、意識は朦朧としていて、目の前もはっきりと見えず、世界が歪んで見えていた。そして私はその日、山奥で寝てしまうことになる。不覚にも「私はここで死ぬのだろう」と、そう悟ってしまった。
その日の夜中のことだった。木にも登らずに寝ている者など、他の生物からしたら格好の餌食である。
そんな私の元に当然の如く大蛇が近づいてきた。そいつはのうのうと寝ている私を少しだけ警戒しながら、徐々に徐々に間合いを詰めて、やがて鋭い牙を向けた。
その時だった。私の体は反射的に持ち上がり、大蛇の攻撃をかわしたのである。
そこからは一瞬であった。私の刀の軌道はしっかりと蛇の首を捕らえ、そして撥ねた。
その日を境に私は、生き物の発する「殺気」を感じ取れるようになっていった。
そして今現在も、鎌鼬の「殺気」を感じながら攻撃をかわしている。
風が吹いているこの地はまさに、鎌鼬の独壇場そのものであった。四方八方、上からも下からも鋭い刃が迫ってくる。それは、まるで生物一匹の攻撃とは思えない攻撃頻度であった。私はそれを間一髪のところで避けていく。少しでも掠ったら骨まで抉られる、そう感じるほどの風切り音が辺りに響き渡っていた。
私はその閃光のような連撃を、かわすことしか出来なかった。太刀打ちしてもよかったが、刃が折れてしまうのが怖かった。丸腰になってしまうのも嫌だが、刀が折れることで心まで折れてしまうのは、何とかして避けたかった。
しかし相手の鎌は無慈悲である。風に乗って、切る回数が増えるたびに攻撃速度が増していく。この時点でもう、人間の目では太刀筋さえ見れないほどになっていた。
そして、ついに限界が来てしまった。
気づいた時には、かわしきれなかった大鎌が、私の頭上にまで来ていた。
私は咄嗟に刀で身を守った。とてつもない衝撃波が刀を伝い、身体全体に襲い掛かる。
しかし体より気にしていた刀の方はというと、角度が良かったのか折れたりはせず、刃こぼれくらいで済んだようだった。さらに運のいいことに攻撃を受け止めたおかげで相手の攻撃速度、攻撃頻度がともに著しく落ちていた。
「斬るなら、今しか無い」
神が言ったのであろうか。自分の心の声だろうか。暴風が吹き荒れる中に小さくそんな声が聞こえた。
私は剣を握りしめ、息を整えた。
そして周りの「空気の殺気」を、全神経を使って読み取った。そいつは私の周りを不規則に回りながら、徐々に間合いを詰めてくる。まるであの日に出会った蛇のように不自然な動きであった。さて、正々堂々と前から仕掛けてくるか、切りやすいが致命傷は与えられない背を狙ってくるか。それとも頭上か。足下か。私は色んな状況を予想しながら、相手が仕掛けてくるのを待った。
そしてその時が遂にやって来た。
暗闇の中が光ったと思うと、私の眉間にかけて鋭い突きが降ってきた。
私もこの時を狙い、身体中の全ての力を使い地を蹴り、刀に込めて水平斬りを仕掛けた。
暗闇を先に切り、剣先が相手に触れたのは私の太刀の方が僅かに先であった。
私は鎌をスレスレで避けながら、鎌鼬の懐に入っていった。ここは相手にとって鎌の届かない死角であるらしく、あとは思い切りに裂くだけであった。
私はこの村に災いを起こしたこと、毎年のように人を切り裂いていくこと、そして兄の蘭丸を殺したことへの憎しみを力に、鎌鼬を裁断した。
何事も無かったかのように、辺りは静寂に包まれる。それに対して私の心は、兄を八つ裂きにした相手を今度は私が斬り裂いてやった、という満足感で溢れ返っていた。
やっと、兄の仇をとれたんだ。
そして、家に生きて帰れる。
母の握り飯もまた食べれるし、きっとこれからは村の英雄のように讃えられ、裕福な暮らしもできる。だとしたら、こんな自分にも親孝行ができるのだろうか。
私を迎えるように山際から朝日が顔を出した。
さっきまでの暗闇が透き通るように消えて、目の前の光景が露わになった。
そこには私以外の四人の「鎌鼬狩り」が倒れているのだった。すでにもう息は無く、皆真っ赤な血に塗れていた。傷跡は深く、骨まで見えているものもあった。
しかし、おかしい。私が切ったはずの鎌鼬の姿が見当たらないのである。逃げたのか、と思ったがどこか引っかかるところがある。
それはどこか、と考えようと頭を下げた時、私は目を疑った。
陽の光を反射する私の太刀を塗らすのは、黒ではなく「赤い血」であったのだ。
その時、私は全てを悟った。本当は鎌鼬なんて存在しないことも。知らずのうちに、私たちは斬り合っていたことも。
私は人を殺した罪悪感と、母や村の人にこの状況を見られたくない思いから、完全に夜明けが来てしまう前に、自らの首を斬ることを決意した。
私は死ねど、鎌鼬は今日も生きてゆく。
鎌鼬 秋冬遥夏 @harukakanata0606
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