物語の基本構造に対する評論のようなもの
鈴木怜
物語の基本構造に対する評論のようなもの
起起承転結結。
何を言っとるんだこのポンコツは、という方もいるかもしれませんがブラウザバックするのはちょっとだけ待っていただきたく存じます。
言いたいことは『大きな物語の中で小さな起承転結が幾重にも渡り繰り返されている』ということです。
例をあげてみましょう。
『桃太郎』というお話があります。
そこに籠められた物語の真意などは置いておきまして、一般的に知られている『桃太郎』のあらすじを超絶簡単にするとこうなります。
①桃から生まれた桃太郎という人間がいた。
②桃太郎が鬼退治に出る。
③桃太郎が犬、猿、雉に出会い、旅をする。
④桃太郎一行が鬼と対峙する。
⑤桃太郎一行が鬼を退治する。
⑥桃太郎一行が財宝を手に入れて凱旋する。
これが俗に言う起起承転結結ではないかということです。
起承転結だけなら②③④⑤のみで足ります。
しかし物語として深みを与えるのは①と⑥ではないでしょうか。①から⑥の全てが揃ったときに初めて物語として完成するように思えます。少なくとも私には。違うんじゃね? と思った方はこういう考え方もあるんだよ、というくらいに思っていただければ幸いです。
そしてこの①から⑥をテンプレ化するとこうなります。
①何らかの問題(個性)を抱えた主人公がいる。
②主人公がヒロインや相棒、ライバルと出会う。
③二人が色々な人や物に出会い、触れあっていく。
④主人公やヒロインがピンチに陥る。
⑤ピンチに陥った原因が解決する(このとき良い方向に解決したか悪い方向に解決したかは関係ない)。
⑥主人公・ヒロインたちを取り巻く環境や彼ら彼女ら自身が変わっている。
これと同じような構造をしているものは多いです。とりわけ映画はこれに則っていることが多いのではないでしょうか。例をあげるとするならば『ちょっと今から仕事やめてくる』だとか『オズの魔法使い』だとか『素晴らしき哉、人生!』だとかがこれにあたります。
そして起起承転結結を応用した作品が多いのもまた事実。
例えばweb小説や連載漫画、シリーズ化したライトノベルなどは物語の根本的な起と結が最初と最後にあり、その間に起承転結を何度も詰め込みがちな傾向にあるといえるでしょう。というよりも、第○章だとか○○編、とあるものはほぼ全てこれに当てはまるといっていいでしょう。
さらに、最初と最後の起と結を増やした作品も存在します。『グランド・ブダペスト・ホテル』という映画が分かりやすい例です。
『グランド・ブダペスト・ホテル』は一冊の本をとある女性が開くシーンから始まります。その次にはその本の作者がこの本は私がある男から聞いた話だということを語り、その次に作者と男の出会いが描かれ、そこからやっと男の話が始まり、物語の終わりは真逆の順番で描かれる、という起起起起承転結結結結と表現できる構造をしています。
そこまで行くと時系列の混乱がみられることもありますがこの映画は縦横の比率を変えることでその問題を解決しています。小説でいうところの時系列に合わせてフォントを変える、みたいなイメージを持っていただければ分かりやすいかと思います。
日本映画だと黒澤映画の『羅生門』がこれにあたります。この映画は羅生門の下で『藪の中』という話が繰り広げられるという構造をしています。杣売りの視点で観るとまさに起起起承転結結結といえる構造をしているのです。
以上、大きな物語の中で小さな起承転結が繰り返されるのが物語の基本構造ではないかという話でした。
さいごに
どうやらこのようなことを『雨月物語』の脚本などで知られる依田義賢が既に言っていたらしいんですけど誰かソース知りませんかね? 映画の基本構造がどうとかこうとか聞いたおぼえがあるので映画を例として多めに出したんですけども。
あと『グランド・ブダペスト・ホテル』はいいぞ。
物語の基本構造に対する評論のようなもの 鈴木怜 @Day_of_Pleasure
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