私の大好きな人。私の大嫌いなバレンタイン。

今福シノ

短編

 バレンタインなんて、嫌いだ。


 チョコレートをもらえる予定のない男子なんかがよく言うセリフ。


 でも女子の中にもそう叫びたい人はいると思う。


 例えば――私とか。


 その日は、2月14日は、いつもより教室が浮き足立っていた。男子も、女子も。

 朝からいきなりチョコレートを渡しているお惚気カップルもいれば、クラスのムードメーカーは義理チョコを配り歩いている。友チョコと称して女子同士で交換している子もいる。


 まるで地球の重力が小さくなってしまったみたいに、誰も彼もがふわふわしている。


「ゆい、おはよ」

「おはよー、りーちゃん」


 にっこり笑いかけてくれる、ピンクのマフラーを巻いたかわいい子、りーちゃん。私の一番の友だち。


「どしたの? 頬杖なんかついて」

「いやー、バレンタインだなーと思って」

「あー」


 りーちゃんも、いつもと少し違う教室の様子を肌で感じ取る。


「たしかに、さすがバレンタインだ」

「ねー」

「ゆいは誰かに渡さないの? 気になる男子とか」

「もー、そんなのいるわけないじゃん」


 私に男の影がないことは、りーちゃんがよくわかってる。はず。


「りーちゃんはさ」

「うん?」

「渡すの?」


 訊くと、しばしの間隔を置いて、


「……うん。そのつもり」


 さっきよりも小さな声。それだけで、わかってしまう。


 ああ、彼女もふわふわしているんだ。


「あ、そうだ」


 りーちゃんはカバンをゴソゴソし、リボンのついた小さな袋を取り出す。


「これ、友チョコ」

「おー、ありがと」


 私が受け取る様子を見るりーちゃんは、にこにこ笑顔だ。


「……」


 にこにこ。


「……」


 にこにこ。


「もー、わかってるってば。はい、これ私からも」


 私はカバンの中に手を入れ、用意していたものの片方を、りーちゃんに渡す。シンプルな包装のチョコクッキー。


「やった! ゆいのお菓子、おいしいから大好きなんだよね」


 さっきよりもにこにこが輝く。やっぱり明るい表情がよく似合う。


「それで、いつ渡すの?」

「あー……うん。やっぱり放課後かなって」


 部活終わりのタイミングを狙っているらしい。


「じゃー今日は私、先に帰るね」

「ええー?」


 ええーって。


「うまくいったら、私いない方がいーんじゃない?」

「でもでも、ゆいには待っててほしいよ。背中を押すと思って、ね?」


 必死に拝んでくる。


「お願い!」

「うーん」

「このとおり!」

「まー、りーちゃんが言うならいいけど」

「わーい!」


 がばぁっ!


 抱きつかれた。りーちゃんの匂いがして、こっそり目を細める。


「じゃあまたLINEするね。やっぱりともが友だちでよかったよ、ありがと」

「はいはい、りーちゃんこそがんばってね」


 にこにこ笑顔のまま自分の席へと向かうのを、小さく手を振って見送る。


 私の身体からは、まだ抱きつかれてるみたいにりーちゃんの匂いがした。



 図書室で時間を潰していると、スマホがふるえた。りーちゃんからだ。


 校門を待ち合わせ場所にして、合流する。


「どーだった?」


 訊くと、りーちゃんはVサインをつくって、


「渡せた!」


 が、すぐにうなだれて、


「でも他の子もたくさんいたあ……」

「あー」


 その他大勢の1人になってしまったわけか。


「ゆい、慰めてー」

「はいはい、よくがんばったよー」

「うう、ゆいってば投げやりだよ」


「ていうか、なに持ってるの?」


 訊くと、りーちゃんは曇りから晴れへと表情を変えて、


「そうそう! これ、わたしの下駄箱に入ってたんだよ!」


 きれいに包装された赤色の小さな箱。側面には、有名ブランドの名前が書かれている。


「この前テレビでやってて、食べたいなあって思ってたんだよね。誰がくれたんだろ」

「逆チョコってやつかもねー」

「うそだあ。わたし、そんなにモテないもん」

「わからないよー? りーちゃんのかわいさは私の折り紙つきだからね」

「またまたあ。ゆいは口がうまいんだから」


 話しながら歩いているうちに、小さめの公園までやってくる。放課後よく寄り道する場所。いつも座る古びたベンチに、私たちは腰を下ろした。


「なんか悪いなあ。こんな高級チョコもらうなんて」

「いーじゃん。食べてあげた方が、あげた人も喜ぶんじゃない?」


 言うと、うーんと1回唸って、


「じゃあお言葉に甘えよっかな……」


 ゆっくりと、きれいに包装を剥がしていく。細い指で、ガラスの結晶に触れるみたいに。


 フタを開けると、きれいな模様の入った色とりどりの形のチョコレート。


「おお……」


 りーちゃんの目が輝く。


「なんか食べるのもったいなくなってくる」


 その気持ちはわからなくもない。


「それじゃあ、いただきます」


 ぱくり。


 同時に、りーちゃんは一層目を輝かせた。


「おいしい!」


 ぱたぱたと足を振っておいしさを表現する。犬のしっぽに錯覚しそうだ。


「よかったじゃん」

「ようし、もう1個食べよっかなあ」


 ひょいとマーブル模様のチョコをつまむ。


 と、りーちゃんの足はぴたりと止まった。


「どーしたの?」

「……私があげたチョコも、さ」

「うん」


「おいしいって思ってもらえてるかな……」


 前を向くりーちゃんが言う。その瞳には、きっと別のものが映っている。


「好きなんだね」

「……うん」


 小さくうなずく。ピンクのマフラーに、唇がすっぽり隠れた。


「大丈夫だよ」


 私は、声をかける。りーちゃんの友だちとして。


「りーちゃんが気持ちを込めて渡したんだから、きっと大丈夫」


 無意識に力がこもりそうになるのを、努めて抑えて、言う。


 すると、


「そう……だよね」


 赤い唇が、再び見える。潤んでいて、宝石みたいに輝いて見える。


 りーちゃんはこっちを向いて、


「ありがと、ゆい」

「お礼は10倍返しでよろしく」

「ええー。じゃあ、ゆいに好きな人ができたら全力でサポートさせていただきます!」

「あはは、期待してまーす」

「その顔は信用してないなあ?」


 りーちゃんが、笑う。私も笑う。


「あ、そうだ」

「うん?」


 聞き返すと、りーちゃんは持っていたチョコを差し出してきた。


「はいこれ。お礼じゃないけど、ゆいにもおすそ分け」

「い、いやいや悪いよ。りーちゃんがもらったものなんだし」


 両手を振って断ろうとするが、りーちゃんは折れない。


「まあまあ遠慮しなさんな。それとも、わたしのチョコが食えないのかない?」

「じゃー……ひとつだけ」


 私の返答に満足した様子のりーちゃん。


 そして、さらにずいっとチョコを近づけてくる。


「はい、あーん」

「り、りーちゃん?」

「照れちゃってかわいいなあ。女子同士なんだし、ノーカンノーカン」


 ぐいぐいくるりーちゃんに、逃げ場を失う私。


「ほら、あーん」


しょうがない、か。


「あ、あーん」


 眼前に迫るチョコ。意を決して、食べる。


 その拍子に、私の唇が、彼女の指に触れて。



 瞬間、私の身体は宙に浮きかける。


「おいしい?」

「うん……」


 だけど、すぐに私の足は地面をしっかりと踏む。


「甘くておいしいよねー。さっすが高級チョコ!」

「うん……」


 甘い。


 甘くて。


 けど苦い。


 苦い。


 泣きそうになるくらい。


「ほんと、ゆいが友だちでよかった」

「うん、私も……」


 まだチョコが溶けきらない口をマフラーで覆い隠す。誰にも見えないように。


 きっとこの苦さは、私だけのもの。


 だからやっぱり、私はこう思う。


 バレンタインなんて、大嫌いだ。

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私の大好きな人。私の大嫌いなバレンタイン。 今福シノ @Shinoimafuku

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