第3話 怒気起こらば

1:白石亮

 俺、白石亮と峰蒼汰は、ふたりでひとつの筆名を使って小説を書いている。峰の熱烈なる告白によって、俺は峰とコンビを組んで作家活動をしていくことになった。峰いわく、「部長は、類まれなる創作性があり、僕と組めば作家を目指せる」とかなんとか。要するに。俺の小説は理解するのは難しいが設定やストーリー自体の面白さがあり、峰の小説には設定を彩る語彙力などの能力に長けているが中身を考えるのが苦手だ、という話だったのだ。峰は、かなり昔から、ミステリ小説の二次創作として小説を執筆していて、その結果として小説を書くのが上手くなったのだという。峰は、その頃の小説サイトを俺に決して見せようとはしない。何故だろう。きっと自分で、「内容がない」ということに対してひどくコンプレックスを抱いているからだろうけれど。峰は国内のミステリ作家で、「軟派」と俺は認識しているが、しかしやはり「売れている」小説を多く読んでいる。

 俺ひとりで小説家になることはできただろうか? そう、いつも煩悶する。できたかもしれない、が、ここまで売れることもなかっただろう。ふたりでひとつの変名を使っている話題性を差し引いても、やはり峰の才能を俺は高く買っていた。それに、そもそも俺は峰がいなければ、商業作家になることはなかった。峰がいなければ、俺は「作家」と名乗るご身分にすらなれていないのだから、感謝するべきなのだろう。

 そんな境遇の俺たちだが、仕事の利便なども考えて、部屋も同室で過ごす、まあ、俺は峰の美しい顔面や声色を堪能していたかっただけのわがままなのだけれど、峰はそんなことを知ってか知らずか了承してくれた。峰は、新聞記事に写真が載ればツイッターはじめSNSで話題になるような美形であり、俺はとるに足らない男なのだった。よくも、峰は他に女も作らず、俺に尽くしてくれるなあ、と思う。大抵の家事は峰がやってくれるし、特に俺は気に留めることもなく、プロットに注力することができる。峰のリライト作業だって、たいへんだと思うのに、峰はそんなことを顔に出すことなくやり遂げる。

「先輩が書かなければ、僕たちの物語は始まりませんからね」

と、峰は言う。峰は、才能に惚れ込んだら、とことん奉仕するものだ、と信じて疑わないらしい。しかし、俺は気づいてしまったのだ。峰が、いまだに二次創作小説を執筆していることに。

 ことの発端は、とある日、原稿でもないのに必死にパソコンで打鍵している峰の姿を見かけたからだ。ちょっと峰がコーヒーを取りにキッチンに行く途中、俺はよくないことだがパソコンの画面を覗き込んだ。そうしたら、そこには、有名小説家のキャラクターが恋愛沙汰を起こしている二次創作小説の原稿があった。これは、間違いなく峰の原稿だ。といっても、峰がプロットから考えて書いた小説を一度も読んだことがない。だから、峰の小説を俺はここにきて「初めて」読んだのだった。俺は思わずスクロールして、何度も読み返した。文体模写の上手い峰のことだ、やはり文章は洒脱でよくできている。ただ、やはり峰が言ったとおり、ミステリ小説の二次創作であるにも拘らず、「ミステリ」の要素は皆無である。ただひらすらキャラクターを動かして遊ぶ、そういうおままごと型の小説である、と言えた。

「先輩、僕のパソコン……?」

 そんな現場を峰に見られてしまった。弁解のしようなんてない。けれど、そのとき、俺の中にあったのは怒りだった。どうして怒っているのかわからないが、怒りの感情だった。

「どうして、俺と作家をやっているのに、二次創作なんてやっているんだ!」

「それを言う前に、先輩は俺のパソコンを勝手に開いて原稿を読んだじゃないか! そちらの方が責められるべきだと思うけどね?」

 どちらも怒りのポイントが違う、これはしばらく揉めること請け合いだった。


2:峰蒼汰

 先輩が、僕の原稿を無断で読んだ。そういうデリカシーのないひとだとは思わなかったけれど、やっぱり嫌だったのは、「自分のよくできていないもの」を見られたことへのショックだった。僕は、白石亮の前では「よき作家」でありたかったし、そのように実際そのように振舞ってきたつもりだった。それなのに、僕の駄作を、今僕が一番敬愛する白石亮に読まれてしまった。僕は、何を書いても駄作の集まりにしかならず、自尊心を挫かれ続けていたけれど、それを先輩は救ってくれると思った。けれど、違ったのだ。きっと、先輩もこんな駄作を書いている時間があったら、原稿にとりかかるなり、宣伝文句のひとつでも考えて出版社に売り込む方が建設的だろう、とかそういうことを考えているのかもしれない。けれど、僕はこの原稿だけはきちんと終わらせたいと願ってしまった。

 そんな不遜な願いをかなえようとする僕を、先輩は叱った。先輩の怒りは、違うところにあるのかもしれないけれど、それでもその神の怒りは僕の心を締め付けるにはじゅうぶんだった。

 先輩は続けて言ったのだ。

「お前、まだ二次創作しているんだな? 本業に差し障りが出たらどうするんだ」

「べつにいいじゃない、僕の自由だろう? 世の中にはそういう作家なんてごまんといる」

 すると、先輩は押し黙っている。けれど、口を開いて出た言葉は、更に僕を苦しめた。

「お前、自分の描くストーリーはつまらないんだろ、だったらそんなの書いてないで、仕事しろ」

 ああ、本当に怒り心頭というやつなのだろう。先輩は比較的温厚なタイプの人間だったのに、そこまでの台詞を言わせてしまう僕は愚かだ。そして、さらに加えて、僕は僕で自分を抑えられなくなっているのだ。

「そうだね、だったら僕は小説家をやめてやってもいい」

 僕は、大事なところを傷つけられたと感じた。思ってもないことを口にしてしまう。

「なんだ、俺はお前のために小説家になったのに!」

 先輩は言う、先輩の言葉はもっともだった。


3:白石亮

 峰が抵抗を始めた。峰は一人分しか洗濯も料理もしなくなった。俺も、からきしできないわけでもないものの、執筆活動をしているときはそういうことに手をつけられなくなるタチなので、これには参ってしまった。きっと互いに無駄だなあ、と思いながらもこれを暫く続けることになるのだろう。

 もういけないとわかっていても、どうして峰がそんな意地をみせたのか気になってしまって、また峰のパソコンを開いてしまう。ちなみに、峰は昼間の仕事に出ているが、俺は今日は半休とったのだ。実際締切が危なかったわけでもあるし。

 峰のパソコンにブックマークなどを辿って、辿りついたのは、小説の二次創作ファンサイトだった。間違いない、筆致でわかる。これは峰が運営しているサイトだ。そこには、最新のエントリとして、「きっと天国にいる君に、誕生日プレゼントを贈ろう」という題で、二次創作の短い小説が掲載されていた。相手が誰かは判然としなかったが、きっと峰にとっての崇拝対象のひとりだったのだろう。峰は、信仰に生きる人間だ。とある作家に幻滅してしまったときに俺の小説を読んで、とことん好いてしまった……という話を前に聞かされたが、きっと死んでしまえば「幻滅」というプロセスを踏むことなく、神になってしまうのだろう。峰は好き嫌いが激しい人だけれど、好いた存在はとことん愛するのだ。その優しさを止める気にはならなかった。止めてしまえば、峰の優しさに救われた、俺自身への否定につながるからだ。

 そういうものか、と俺は妙に納得してしまった。峰には、俺とは違ってほかのひととのつながりがあって、その幅広い世界で渡り歩いているからこそ、俺たちの筆名である、「津井果晶」(ついかしょう)という名前を売ることにも成功したのかもしれない。

 というのは、あまりに俺のことばかり考えている思考回路で、峰からしたら、今まで守ってきた世界の否定だったわけだ。俺だって、小説を読むことを禁じられてしまえば、どれだけ苦しむだろうか。峰の創作の原点を否定することは、峰のアイデンティティーの否定ではないのだろうか。

 俺は、謝ろう、と固く決めた。これは俺のつまらない意地だっただけだから。実際、調べてみたら、ミステリ作家で刀剣の擬人化や艦船の擬人化やら二次元アイドルやらとにかく二次創作をしている人はかなりの数いることが分かってしまったし、そういう見識の狭い己を恥じた。そして、気付いたのだ。峰は俺のためだけに小説を書く存在になってほしいと願ってしまっていたのだ。俺自身が、まず一番に峰のためにプロットや設定、ストーリーを書き出している、ファンのことより、最初の読者である峰がどんな顔をするのかが見たいのだ。そして、書籍化された俺たちの本を見て喜ぶところまでを共有したかった。しかし、それは、俺の独りよがりな発想でしかない。俺は誰かのために書くなら、峰のためだけに書きたいとすら願っていた存在だっていうことを、峰にひけらかして何になる? 俺たちは商業作家だ。ファンのことを考えないといけない。その乱数調整みたいな作業も、峰がやっているだけの話だ。

4:峰蒼汰

 僕が帰宅しても、まだ先輩は部屋にいた。そのうえ、僕のパソコンを開いて呆然としている。と、僕に気づくと、先輩はパソコンの画面を見せながら、謝る。

「すまない、お前の誰かを思う気持ちを踏みにじっていたことはわかった。だから、許してくれ」

 深々と頭を下げていた。ああ先輩はいつだってそういうひとだ。すぐに非を詫びる。まあ、僕のサイトまで盗み見しているけれど、それはともかくとして。

「とりあえず、先輩は頭をあげてくれる?」

 先輩が顔をあげてみれば、ぐじゅぐじゅの涙とかでいっぱいの顔で、なんだかおかしくて笑ってしまった。先輩は、ひどく感受性が高いから、そういう反応をする。いまさら、僕がそれを糾弾したりはしないけれど、でもやっぱり幼いところがあるよな、って思う。僕の反応で気付いたのか、先輩はティッシュで顔を拭いて言う。

「俺は、俺に出会う前の峰を全然知らない。知りたくなかった、怖くて。峰には峰の世界があることも、認識するのが怖かったくらいだ。俺は、峰がなんでもやってくれることが当たり前になってしまったし、それは間違いであることも、ようやく今になってわかった」

 これは先輩なりの祈りの言葉なのだ。それを僕は知っている。だから、僕は優しく笑って言うのだ。

「すべては終わったことで、どうしようもないことだった。僕にはなにもできなかったのに、何かしてるつもりなだけだから」

 僕が大昔に交流していた同人作家は、創作元の作品を深く愛していたし、あの人が創作した作品を僕はたいそう愛していた。そして、あの人はいつも僕を褒めてくれた。だから、うれしかったのだ。ずっとこのままでいられると思った。だから、会うこともなかった。けれど、そういうあいまいな関係には終わりがやってくる。あの人は、僕に「もう生きていても楽しくはないから、首を吊ります」とメッセージを送ってきた。僕は気が動転して、どうにも動けなかった。もし、すぐに警察に通報していれば、なんとかなっていたかもしれない。幸い、あの人が直通販で同人誌を出していた関係もあって、本名も住所も分かっていた。すぐに動けば、きっと救えたかもしれない命だ。

 作品を読むことで人が救われるわけでもないし、創作することで人が救われるわけでもないことを、そのとき僕は知った。だから、僕の信仰は稚拙で薄っぺらなものに過ぎないのかもしれない。僕は、人を信じていない。人はいつか死ぬ。作品はログがなければ、なかったことになってしまう。だから、白石亮だけを信仰することは、僕にとってはつらいのだ。僕を裏切るかもしれない。僕を捨てるかもしれない。僕より先に死ぬかもしれない。そういうリスクを背負いながら、僕は先輩を崇拝している。この話は、先輩にはしないようにしようと決めている。だって、先輩はそういうことを言ったら、「他のひとのところに行った方が幸せになれるだろうよ」と投げやりに、そして悲しそうに言うのだ。決まっている。それこそが、僕にとっては「裏切り」なのに、先輩には僕の気持ちはわからないのだ。

「峰、お前が小説を愛してくれている、読者を愛してくれていることがわかってよかった」

 先輩は笑って言う。ほんとうは、まだ感情を噛みきれていない癖に。僕も言う。

「大丈夫、先輩のそばから離れないし、僕たちは先輩のファンであり続けるから、書き続けてね」

 それは、ぎりぎり先輩に届くか届かないか、わからないけれど。僕なりの祈りなのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ゆめゆめ 詩舞澤 沙衣 @shibusawasai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ