第2話 とある小説家たちの過去、或いは本の話

 1:白石亮【現在】

「あ、それ」

 俺は思わず呟いた。俺、白石亮は、峰蒼汰とタッグを組んで小説家をやっていて、その利便もあって同棲生活をしている。稼ぎの関係もあり、俺たちは同じ部屋で作業するのも寝るのもいつも一緒なのだが、峰の作業スペースには見慣れた本が置いてあったのだ。くすんだ赤色の表紙で、銀色の箔押しがしてある。俺にとっては苦い思い出の象徴だ。

「ああ、それね。実家に置いておいたんだけど、『邪魔だからどうにかしろ』って言われたの」

 峰は、なんでもないことのように言ったが、俺の平凡顔を見るなり、ニヤリとした。普段はひねくれた性格の俺と違って、本当にいい男なのにな。顔といい、性格といい……。俺のことを、なんだと思ってんだよ。

「なんだよ、峰」

「なにか言いたそうな顔してるから」

 峰にはなんでもバレバレなのだ。観念して語ることにしよう。

「これは、俺が小学生の頃の話だ」


2:白石亮【過去】

 小学生の頃、俺はゲームに夢中な小学生だった。友達の輪から外れても、ゲームを片時、もやめたくないような、もう廃人的な有様だった。教師や親とで何度も面談が行われ、辞めさせるように促したけれど、駄目だった。しかし、そこで転機が訪れた。小学三年を迎えた四月、あまりに美人な学校司書が入ってきたのだ。華奢で文学少女がそのまま成人の姿に変わったかのような、見事な美女だった。図書委員になればその先生とお近づきになれる、まことしやかに噂は伝播し、俺の耳にも入ってしまった。そうなれば、やることは決まっている。図書委員に立候補し、担任の計らいもあり、あっさりと就任することとなった。昼休みにカウンターの受付をするのが決められていたし、委員会の時間は司書を交えて話し合いをすることになっていた。委員会では積極的に発言し、司書先生からの覚えがよくなった。

「ねえ、きみ。熱心に活動しているけれど、本が好きなの?」

 ふと、司書先生に声を掛けられたとき、俺は言葉に窮してしまった。俺は、幼稚園の頃絵本の読み聞かせをされた時と、授業でしか文章に触れたことはない。俺が知っているのは、「おお りょうよ しんでしまうとは なさけない!」とかそういう文言である。それでも咄嗟に書架に並んでいた本から、視界に入った作家……芥川龍之介が好きだ、と答えると、司書先生は破顔した。真面目な顔をしている人で、普段笑顔を見たことなどなかったから、それが俺にとっては頗る嬉しかったのだ。

「そうなの、小さいのに偉いね」

「小さくないです、偉くもないです」

 どちらも違う、特に後半はほんとうに違う。だって俺は嘘つきなのだから。

「ふふ、小さい子はそういう風に言うの。この本を読んでくれたら、大人だって認めてあげる」

 そして、手渡してくれたのが、あのくすんだ赤色の表紙で、銀色の箔押しの本だ。当時から、表紙の色がくすんでいたのは、司書先生が書架から取り出すまで、埃をかぶったままであったからだろう。俺はその本を借りて、読むことにした。その後、後悔した。まだ、俺にはすべてが早かったのだ。


3:峰蒼汰【現在】

「先輩はいつも面食いっていうかさあ……」

 思わず僕は小言を吐いてしまう。白石先輩は、僕の容姿に一目ぼれして、「ふたりで小説家になりたい」なんていう途方もない僕の夢を叶えた男なのだから、三つ子の魂百まで、っていうやつなのだ。

「悪いかよ」

 ケッ、と言いながら毒づく先輩を見ていると、なんだかおかしくなる。

「悪いよ。小学生だよ? そんなの無理でしょう」

「小学生にそんな分別つくわけないだろうが。どうせ峰は、バレンタインデーには、全校生徒からチョコレートを貰ってたクチだろ?」

 僕のことをなんだと思ってんの。

「まあ、大概の人間はお菓子とかくれていたけれど、お返しに困るってことだよ」

「そういうとこ、おまえさあ」

「でさ、この本はさ、大昔一時期日本で発禁処分になるようなエッチな本なわけだけれどさ」

 冗談めかして言ってあげれば、

「言うなよ、司書先生にとっては俺のこと苦手だから、邪険にもできずに言ったんだろう。当時の俺は、よく意味はわからないが、いたたまれない気持ちになって、恥ずかしくなって、この本を読むのを諦めてしまった」

 眉間に皺を寄せられて、みなまで言わせてしまった。ごめんって。

「そんなことしたら、先生クビにされちゃうでしょうに」

「まあ、実際どっかに異動になったから、俺もその後は知らない。俺はそのときに、小説の楽しさに目覚めたから、ゲームをする頻度がめっきり減ったのは確かだ」

 なるほど、執着心が強い先輩のことだ。ラブレターのひとつのつもりで小説を書いていたのかもしれない。大学時代に書いていた小説に衒学的な風味が強いのは。この本の雰囲気を意識しているから、なるほど、なるほどー。先輩のそういうところがかわいいよなあ。

「な~る」

 そういうのやめろ、とはたいてくる先輩。僕は気にせず、本に手をかけて気付いた。

「ねえ、これって図書館からの廃棄本だった!」

「ああ、くすんで見えるのは古い本ならそうだろう、と思っていたが、もしかしなくてもこれは俺の学校の本だったんじゃないか?」

 蔵書印は確かに、先輩の出身小学校だ。こんな偶然ってあるんだ! 感動打ち震えている。僕が白石亮と出会うのは必然だった!

「先輩が読んだ本を、僕が読んだってことじゃない?」

 おそらく目をキラキラさせてしまっている僕に、ぼそっと先輩は言う。

「なんで、お前がこの本を持っているかも聞きたい」


4:峰蒼汰【過去】

 僕はさ、とある作家のことが大好きで、勿論著作は読み漁ったし、インタビューはひととおり目を通したし、文体模写みたいなこともしていたね。その作家の二次創作で、本を出したこともあるくらいだ。天才だと思った。この作家以外の作家みんな滅んでも、この作家が死なないで作家として生き続けてくれればそれでいいとすら、思ったくらいだ。いつもみたいに、僕はその作家の記事を読んでいた。それはエッセイで、好きな本にまつわる話を書いているものだった。それを読んで、思い立った。紹介されていた本が、欲しいと思ったのだ。しかし、大きな問題があった。それは、「稀覯本」と呼ばれる類の本だったからだ。

 最初はインターネットの海を探した。ところが、見つからないのだ。当時高校生だったので、クレジットカードなんて持っていない。在庫があったとしても、大抵のインターネット古書店はクレジットカードのみ対応だった。それか、代引き。昼間にそれが届いてしまったら、家族に僕の趣味がバレてしまう。いや、バレてしまうのは、僕の趣味じゃないんだけど、正確には。調べれば、昔に発禁処分を喰らった本だということくらいは一発でわかる。今ほど、コンビニ受け取りが発達していなかった頃の話だ。

 いっそ、現物をリアル古書店で手に入れたほうが確実だろう。そう思い立って、目指したのは神田・神保町。@ワンダーと羊頭書房を見たとき、僕は感動しちゃったな、高校生にして初めて訪れた、ミステリ専門の古書店だったから。けれど、目当ての本は純文学に該当する本だ。僕には、最初途方もない挑戦だと思ったけれど、羊頭書房の店主が優しく目星をつけてくれた。

「わかるよ。大好きな本を探したいひとに応えるために、この店をやっているからね」

 その微笑みで、僕はやる気を取り戻した。すごいよね、古書店街は人間の執念の集積所みたいなところだからさ。

 念願叶って、本を見つけることができた。嬉しかったなあ、一緒に本を探してくれた人たちとちょっとした大騒ぎになった。そんななか、おずおずとその古書を売っている店主が訊ねた。

「これ、図書館からの廃棄本ですけど、いいんですか……?」

 もちろん、俺はにこやかに答えて、大枚はたいて、その本を買った。その時までは幸せだったのだ、たぶん。


5:白石亮【現在】

「お前もさ、好きなものへの執念がこえぇんだよ……」

 俺を才能がある、と口説き落として作家に仕立ててしまった、目の前の人間に改めて畏怖の念を抱く。怖い。やっぱり、怖い。

「先輩に言われたくないんだけどなあ」

 口をとがらせるが、どんなに顔がよくても、それはかわいくないと思う。

「どうせ、後日談があるんだろう?」

「まあね、その本を読んでから僕はその作家に幻滅した。それだけさ」

 まあ、あの内容なら、幻滅もするだろうな。朧げな記憶ながら、深く頷く。

「それで、筆を折ったわけじゃないんだろう?」

「そうだけれど……僕は言ってしまえば【神】が欲しかったんだけど、【神】って思えるような作家に巡り合うことなく、失意の中行った文学フリマで見かけたのが、先輩の小説同人誌だったんだよ」

「神、か」

 やっぱりこいつ、怖い。

「そうだよ、先輩は僕にとってはそういう存在なの。理解してる?」

「……してるわけないだろ」

「何年も一緒に仕事してるのに?」

「ああ」

「じゃあ言うね。先輩、ずっと俺のために小説を書いて!」

 そのはち切れんばかりの笑顔を見てしまうと、俺は頷いてしまう。俺は物語を考え、お前はそれを言葉で彩る。そういう風に、俺たちは宿命づけられているのだ。

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