ゆめゆめ
詩舞澤 沙衣
第1話 奇妙な小説家の出会いと現在
1:白石亮
作家は自分を売り込むことが要である、と先輩作家が言っていた。例えばツイッターでおもしろおじさんのように振舞い、それとなく自作を売り込むことが大事である。面白いコンテンツを紹介していく、というのもアリだし、惜しげもなく面白い話をするのもよいだろう。
「って言ってもなあ」
「ねえ」
俺たちは小説家というものを生業にしている。といっても、兼業作家だし、まだまだ駆け出しである。小さな出版社の新人賞でデビューしたものの、小さな出版社なので、売り込みというものの決定打に欠けるところがあり、イマイチブレイクする兆しはない。自分たちの小説は面白い、という気持ちは誰にも負けないが、それはそれとして、という話である。
「二人で一人のペンネームってだけで、話題性があると思っていたんだが」
俺、白石亮がぼやくと、向こうで「それな」と返すのが峰蒼汰だ。ミステリ小説も手掛けることの多い僕らは、当然のようにクイーンや岡嶋二人、最近なら降田天が好きだ。共通するのは、二人で一つのペンネームを共有していることだ。もっとも、クイーンは正確には二人だけの名前ではないし、岡嶋二人は言ってしまえば解散したし、降田天はそれぞれのペンネ―ムを持っているけれど。細かいことを言ってしまえばキリがないのだが、とりあえずそういうペンネームのありように憧れていて、それを見事現実のものにしたわけだった。僕がプロットを考えて、峰が小説に起こしていく作業をする。
津井果晶、と書いて、【つい・かしょう】と読む自分たちのペンネームもそれなりに気に入っている。降田天のペンネームの由来は、「仮面ライダーダブル」のダブルを並べ替えたものだけれど、自分たちのペンネームは、「津井」で「対」を意味している。果も晶も左右対称の漢字である。そういう意匠を凝らしたつもりのペンネームでも、見向きもされないのだから、もう打つ手なし、という状態だ。
「峰、これからどうすれば俺たちは売れると思う?」
「兼業作家で、それなりに食べていけるわけだし、そんなに根詰めなくていいと思うけどな、僕は」
峰はいつも俺に優しい。黒髪中肉中背、身長も成人男性平均程度、特に目立った特徴もない、いわゆる「フツメン」の俺が、長身で色白、すらっと背の高い、そして茶色がかった地毛でとにかく「イケメン」を絵にかいたような峰と同棲している、というのは甚だ奇異に見られているかもしれない。ついでに言うと、声もいいのだ。声優で言うなら、諏訪部順一みたいな、聞いていて落ち着く。俺は、つい聞き惚れてしまうわけだが……。それでも、峰は自身のことを過小評価して俺のことを過大評価するきらいがある。マンションに二人で暮らしているけれど、俺は峰とのシェア生活でなければ、到底やっていけなかっただろう。神経質な俺に最大限譲歩して生きているかのように映るのだが、俺にはその真意がいまいち測りかねていた。
「デビューしたからゴールっていうのはやっぱりよくないと思うんだな」
俺は語気を強調して伝えようと必死になる。先日、久しぶりに予定がかみ合ったので二人して出版社主催のパーティに行ったけれども、先輩から浴びせられる叱咤激励の嵐に、辟易してしまったのだ。
「そんなに気に病むこともないと思う、弱小出版社出身だからみんな気に留めてくれているのはありがたいと思うんだけど」
僕はそれでいいし、と笑顔で峰は言ってくれる。
「取材の依頼、来てなかったか? だって、峰のまわりにはたくさん人がいたし」
思いだしたように俺は言ってみたけれど、峰は渋面になった。
「取材、ね。まだ断ってはいない。僕のまわりに人がいたって、ただのひやかしだよ。ほとんど」
そう、俺たちがパーティに行かないのはいくつか理由があって。その中に一つに、峰がちやほやされすぎるところがある、というものがあった。峰は心優しい男であるだけではなく、顔といいスタイルといい、抜群なのだった。僕は美辞麗句を伝えるのが下手なのだが、街を歩けば男女問わず振り返るほどのイケメンなのだ。だから、取材、というのも僕たちの作品への取材というよりは、峰蒼汰への取材に他ならない。
「名前が売れるんなら、峰が顔を出してくればいいだろう?」
俺は平凡な、というより、峰と並ぶと不細工に思えてしまってなんだか気後れしてしまうし、そうやって顔を並べた取材をしたくない。
「僕は峰蒼汰でしかないし、津井果晶としては顔を出せない」
困っているんだろう、そういう時の峰は大体ベッドに寝っ転がって逃げようとする。
「俺が、峰に行ってきて欲しいっていうのに」
俺もダブルベッドになだれ込んで、ぺしぺしと峰の頭を撫でる。
「部長に言われると、仕方ないなあって思っちゃうんだよな。いいよ。受ける」
「部長はよせよ」
やはり取材依頼はちゃんとあったらしく、俺は安心する。
2:峰蒼汰
僕が白石亮に惚れ込んだきっかけは、一冊の同人誌だった。文学フリマ東京という、一次創作文芸を主に取り扱った大きな同人誌即売会があり、そこで手に取った一冊。第一志望の大学で活動している文芸サークルだということで、受験生の身の上ながら、会場に赴いて買いに来たのだ。粗削りな装丁で、如何にも学生が作った同人誌だなあ、と思っていたし、学園祭には足を運ぶことが出来なかったから、これくらいの土産物でちょうどよかったのだ、とちょっと落胆していた。けれど、ひとたび、白石亮の作品を読んだとき、一変した。読みにくい、とっつきにくい。確かにそうかもしれない。それでも、僕の大好きな物語の要素を的確に押さえている傑作というほかなかった。僕は、何よりミステリ小説が好きだったし、豊富な知識に裏打ちされた読み物が好きだったし、人間の感情が揺れ動くさまを活写しようと試みた意欲作に、心が震えた。こんな天才がいるのなら、僕はこの人に会ってみたい。そうつよく願った。
猛勉強の甲斐あって、無事第一志望の学校に入学し、早々サークルオリエンテーションで、僕はまっさきに文芸サークルを探した。
「白石さんは、いらっしゃいますか?」
恐る恐る話しかけてみた、こういうところの勝手がわからなかったからだ。
「俺だよ」
目の前の男性はそう答えた。僕の瞳はきらきらと輝いていたように思う。そして、それに驚いている白石亮。すると、周りの学生が眉をひそめた。
「駄目部長に興味があるなんて、変わったやつだな」
どうやら、白石部長は誰もやりたくない仕事だからと、二年生ながら、部長の責務も同人誌の編集長の責務も、すべてすべて背負っているらしかった。同人誌の中身の出来も考えてあわせてみても、このサークルでまともに創作をやろうなんて考えている人は、白石部長のほかにはいないのかもしれなかった。白石亮の作品に気を取られていて、飲みサーだなんてことは考えてもいなかったのに、女の子とちゃらちゃら飲むことしか考えていない他の部員の話を聞く羽目になるなんて。ミーハーな小説でそれなりの読書会をして誤魔化しているのか、小説の話ができなくもないのは、救いに思えたけれど。
「僕は、白石さんの小説が好きで、この大学に入る決意ができたんです」
それは僕の一世一代の告白だった。
「君、名前は?」
「峰蒼汰です」
僕は、この人の為に人生をなげうってもかまわない。そう思った。
「峰、俺は俺の物語をきちんと読んでくれた人に会えたのかもしれない」
呟いている声は儚げだった。白石亮はひとりぼっちの綺羅星だったのだ。
その後、僕と部長は二人きりでファミレスに籠っていろいろな話をした。
「ミステリが好きなんだろう、作家だと誰が好きなんだ? 俺の小説ってぺダンチックというかとっつきにくいところがあるし」
部長は、気恥ずかしそうに言うので、少々面喰ってしまった。
「殊能将之が好きで読んでいました、麻耶雄嵩も好きだし、法月綸太郎も」
「日本人が好みなのか」
ふむ、と言いながらも、チョコレートパフェを確実に崩しにかかっているので、さっきの気恥ずかしいと思われたのは気のせいなのではないか、と思う。
「不勉強で、国内作家しか読んでいないんです」
僕は実に申し訳なく思ったけれど、部長は途端にいい笑顔になった。
「なら、クイーンを読むといい」
思わず、僕は噴き出した。何故って……。
「麻耶雄嵩のメルカトル鮎みたいなこと言うんですね」
すると、こほん、と咳を鳴らしている。やっぱり恥ずかしかったのかもしれない。けれど、チョコレートパフェはすっかり片付いていた。よくわからない人だ。
「基礎は大事だろう。法月綸太郎の著作をクイーンなしで語るのは難しい。小説もそうだが、評論を読む足掛かりとして特に重要だ」
「後期クイーン問題、ですね」
そのとき、僕は閃いた。こんな愚鈍な思いつきを気にも留めずに言ってのけた己が、今になってみると恐ろしいのだけれど。
「ねえ、僕と部長でクイーンを目指すって言うのはどうですか?」
すると、「はて?」という具合に疑問符を頭上に浮かべている部長の手を僕は握り。
「二人で一つの変名を分け合うんですよ! もしこの喩えがよろしくないのでしたら、岡嶋二人、と言えばいいですかね?」
これは不遜で、よろしくない思いつきであることは僕自身痛いほどわかっていた。
「何故、そう思う?」
静かに、部長は僕の眼を見つめていた。そのまっすぐな眼光は、僕を突き刺しかねないと思うほどだった。
「僕は、部長の小説がとても好きです。けれど、今の部長の書きぶりでは読者が限定されてしまう。ならば、僕が筆記者となって物語を紡ぐ方がいいんじゃないかって……」
「君の小説を俺は読んだことがないから、素直に応じることができない」
「それなら、部長の小説をリライトして持ってきます。それで、納得して貰えなかったら、僕はこの部活とも縁を切ります」
「まだ、入部届も出していないのに?」
きょとん、とした顔で部長は訊き返す。
「ええ、僕はそれくらいの覚悟であの学校の門をくぐったんですもん」
一瞬、間が空き、部長は何事か考えているようだったけれど、
「ああ、一週間後の入部期間が終わるまでに顔を出してくれ」
と、諾してくれた。
翌週、僕はリライトした原稿を持って部室に行ったけれど、他の部員はボードゲームに興じていて、僕のことを一瞥するだけですぐにまたゲームに没頭していた。
「白石部長は……」
僕がつぶやくと、「あっちだよ」とうざったそうに上級生らしき男が答えた。そこには、小説の書き方指南書の山があった。その中に、レーモン・クノーの『文体練習』や、『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』なんて本まで紛れていた。
「なんですか、この本の山は?」
さっきの男に訊いてみると、
「部長をけしかけたのお前なんだろ、文体にケチつけたとかなんとかって」
と返事が来た。けれど、
「あいつの文体がアレなのは今更言うことかよ、って思うけど」
と追従した嘲る声が増していく。ああ、このサークルでの部長の立場なんて本当に底辺なのに、それを更に追い詰めてしまったのは、ほかならぬ僕なのだと気づかされて、じんわり瞳が濡れた。
「そんな、部長の小説に惚れ込んで僕はここまで来たのに、」
しかし、僕はそのあとの言葉を繋げることが出来ず、押し黙ってしまった。
「峰は悪くない、誰も言ってくれなかったことを言ってくれただけに過ぎない」
本の山に埋もれながら、白石部長は僕に話している。
「原稿、持ってきました」
軽妙な文体には自信があった。小説の二次創作を足掛かりとして、有名ミステリ作家の文体模写をしながら、高校生活を送っていたのだ。この作家であればこの語彙を用いるだろう、みたいな推測のもと、物語を組み立てることを、僕は何より得意とした。
しばらくの沈黙。かさかさと原稿を読む音だけがするように感じた。後ろのボードゲームによるうるささを僕はそのときは忘れることができた。
「峰、これだけ洒脱な文体で小説を組み立てなおすことができるのに、何故自分の小説も持ってこなかったんだ?」
その言葉は、嬉しくもあり、悲しくもある。
「それは……」
僕は言い淀む。致命的に欠けているものは、トリックの構成力にあった。からきしトリックやロジックを一から思いつくことができないのだ。ミステリ小説の二次創作を趣味で書いていた身分でありながら、僕はミステリというジャンルの小説を書いたことが一度たりともないのだ。ラブロマンス的な小説を書いてみたりはしたが、そこに謎はありはしなかった。他人の小説をリライトすることは、よく副業的にやっていたので、それは大したことではなかった。ただただ、僕には閃きが足りなかったのだ。
「峰には足りないものがあって、ある才能があって。俺には足りないものがあって。ある才能があるとしたら、確かに岡嶋二人は、名案かもしれない」
言い淀む僕の気持ちを汲み取って、白石亮はそう言った。言ってくれた。心底僕は嬉しかった。僕の力が、大好きな白石亮に費やされることを考えたら、どきどきが止まらなかった。
「それなら、あの賞に応募してみませんか?」
それが、今もお世話になっている中堅出版社の新人賞だった。
3:白石亮
俺を小説家にした神様みたいな人が、峰蒼汰だったわけだ。大学の新入生歓迎のイベントに颯爽と顔を出した美男子に、俺はすっかり心奪われていた。俺は今まで外見でいじめられがちな傾向もあったこともあり、美というものへの断固たる嫌悪感が存在していたのにも拘わらず、それを見事に峰は打ち砕いていった。瞳が大きく、顔が小さくて、全体にすっきりとした姿かたちで。チャームポイントを挙げようと思っても、とりとめがなくなってしまうくらい、俺は峰に魅了されていた。峰は、何故か俺の小説だけ読んで俺に惚れ込んでくれたという変わり者で、その滔々と俺について語りつくそうとする様もまた、美しく愛らしかった。ああ、だから、俺は、俺の話をきちんと聞いてくれるこの美神のことを、ただ愛でることができるのなら、大学二年目にして筆を折ろうとしていたのをすっとやめようと思えたのだ。
ファミレスで峰と話をしている時は、俺はドキドキしながら、気のやり場に困ってチョコレートパフェをぱくぱく食べてしまったが、気取られたくなくての行為だった。ただ、俺はきっと顔に出やすいタイプだと思うから、無意味なことだったのかもしれないが。
しかし、全肯定してくれていた峰が、提案をしてきたのには驚いた。今まで、小説をきちんと読んでもらったことなどなく、そんな初歩的な指摘すらもらったことがなかった。だからこそ、人一倍困惑した。話をしていくにつれ、一週間ほど峰と会えない、ということになり、そのことに対してひどくショックを受けたし、嬉しくもあったしで混乱した。峰という存在を眺めているだけでも幸せになれそうだった俺にとっては、一週間後に会えるという確約だってありがたいものだったし、しかし裏返せば一週間は会えないということでもあった。峰の指摘も気に懸ったし、何より峰と話をするタネが欲しくて、小説の指南書を改めてあらいざらい読んでみたりもした。けれど、俺には結局からきし小説のことなんてわかりはしなかった。
峰はきちんと一週間後に来てくれた。俺の心はどれだけ高揚したかしれない。リライトされた小説を読んで、俺は気が狂いそうになった。天は二物を与えず、なんて嘘なのではないかと思ったが、峰は言い淀んでいる。峰には欠けたものがあり、それを埋め合わせたかったのかもしれない。そのために俺はパーツになり果てるのなら、それでもいい。峰に奉仕することができるのなら、俺の発案したトリックでもロジックでも使い倒してくれるがいい。そう思った。だから、俺は小説家になった。俺が峰に求められるために。
4:峰蒼汰
いつからか、「部長」と呼ばれるのが嫌なのか、「先輩」とだけ呼ぶように、と厳命した。僕は時々それを破るけれど、まあ笑って許してもらえている。僕は先輩の名前を呼ぶのが気恥ずかしくて、なかなか白石亮のなかから文字を抜き出して綽名を考えることもしない。ずっと、「先輩」で通している。
ただ、先日のパーティはよくなかったのかもしれない。先輩のためにだけ働きたいと思うがために寝食が安定する兼業作家を続けているのに、「作家」で売れることを志向するように、変わってしまった先輩が気になって仕方がなかった。
「先輩は、どうして作家で売れたい、だなんて考えているんです?」
と尋ねてみても、先輩は知らん顔をした。お前には解らない、そう呟いたのはきっと気のせいじゃないだろう。
「取材受けてみるけれど、そんなに売り上げは変わらないと思うなあ」
そう言いながら、僕はパーティでもらった名刺から、とある新聞記者に連絡をとった。
一週間ほど経った頃。件の新聞記者から返事が届いた。ぜひ、写真付きで紹介記事を書きたいから、と。そのことを先輩に伝えても、「そうか……」としか返事をしないので、そこまで気にも留めずに待ち合わせ場所を指定して会うことにした。
「峰蒼汰さんですね?」
相手の新聞記者は僕にそう訊ねてきた。
「津井果晶の片方ですよ」
僕は律儀に訂正すると、相手はちょっと間の抜けた顔をした。その後も、読書遍歴などを問われ、僕は、
「読書はミステリ中心でしたけれど、僕は相方の影響が強いですね。クイーンを読み始めたのも、相方のお蔭でしたし。本当に多くのものを彼から学びました。相方の方はもっと衒学的なものを好むと思いますよ。……あの、やっぱり僕だけが質問に答えるのは納得できないから、同じ質問内容を白石の方にも投げてもらえません?」
などと返していた。
「いえいえ、お手間でしょうから大丈夫ですよ」
と新聞記者は言うけれど、そこにはありありと「作家・津井果晶への無関心さ」が表れていた。この取材を受けたことを改めて後悔してみたものの、特にそこから見出されるものもないので、粛々と取材を受けることにした。
「好みのタイプはどんな人ですか?」
そこに作家として何かを宣伝する要素は特にないように思われるし、人となりとして知られるとしてももっと他になにかあるだろうに……と思うのだけれど。
「才能がある人、ですよ」
本心から僕はそう答えた。僕は、白石亮の才能に惚れたのだから、そう答えるのが最適解だと思う。そうじゃなくて、と新聞記者は他の答えを要求するけれど、僕は人間の造形の美醜に特段興味を覚えたこともないので、答えに窮してしまう。しばらくして、「普遍的」な回答をひねり出した。
「真摯な人が好きですよ。何事に対しても、真摯に愛を語れるくらいの人が好きですね」
そう、たぶん物語を、小説を愛する白石亮のその姿を、僕は愛しているのだ。新聞記者も、この答えには納得したらしく、その後もアイドルに訊ねるような質問を連発した。
「ありがとうございました、記事の素案はあとでメールをお送りするのでご確認くださいね」
もうそんなこんなで一時間を浪費してしまったのだけれど、これは自分たちが招いたことなので仕方がない。
『予定より遅くなる、ごめんね』
と、僕は連絡を入れる。すると、『わかった』とだけメッセージで返された。そこに一抹の不安を覚えつつ、僕は家路を急いだ。
帰ってみると、「原稿確認した」とだけぼそっと呟かれる。なんの、というまでもなく、PCを見てみるとそこには作家名義の共用メールアドレスのメールボックスが開かれていた。僕も見るよ、と言ったら、もう返した、と答えられる。
「ちゃんと確認してから返事をしたかったのに」と未練がましく言ってみたものの、「ああそう」と返されると言葉に詰まる。なにか、なにかを隠されていることはわかるのだけれど、もう考えていると気になって仕方なくなるので、考えるのをやめた。あとでメールボックスを一応見たけれど、跡形もなく削除されていた。
一週間後、新聞記事が届いていた。カラーの文化面を使ってもらっていて、割に大きな記事だったと思う。普段新聞なんてからきし読まないから、本当にそうかはよくわからないとしても。案の定、僕の好みのタイプのくだりなど、小説に関係のないパートが大半を占めており、落胆の念が強く残った。しかし、これで話が終わらなかった。実家に住む家族に伝えると、たぶん親戚の誰かしらがtwitterといったSNSで拡散していったらしく、翌々日くらいには「イケメン作家現る!」みたいなキャプションでネット記事になっていた。自分のことをただただ顔面で評価されるのは釈然としないと思ってきた人生だったし、またくり返しなのか、と気づかされた。もう、僕は作家という二人だけの共同作業に、割り込まれた感覚を、冷や水を浴びせられた感覚を、覚えた。それから、プロットを先輩から渡されても、手につかなくなってしまった。昼間に働いている方の仕事はほどほどにこなして、大体早めにベッドにもぐりこんでいる。先輩からの視線が痛い気もするけれど、毛布にくるまってしまえば、こっちのものだ。ごめんね、先輩。僕はどうやっても、案山子であって作家ではないみたいだね。
5:白石亮
峰蒼汰が寝込んだ。その事実を突きつけられた俺は、途方に暮れた。俺と峰の輝かしい軌跡を見てもらいたい、というくだらないことに、峰の見目を利用してしまったことの罪悪感を覚えた。そして、峰を独占できなくなった、という卑しい感情にも気付かされていた。峰の顔形の良さがために、俺は峰を手放せないということ。勿論、人格すべてを好きだとしても、それでも最初に惹かれたのは顔だったのだから、SNSなどで騒いでいる人間と、俺には大して差がないのだ。それが分かっただけで、収穫と損失ならば損失が圧倒的に上回っていた。
俺はインタビューに答えるのは一人でいたほうが都合がいいと思っていた。峰の顔にだけ惹かれるのであれば、記事も目に留まると思ったし、俺には尊大な羞恥心ばかりがあった。万一、俺が取材に答えてしまって、峰の見目に一目ぼれしていた事実を、結局峰の顔ばかり見ていたことを、他でもない峰にバレたくなかったわけだ。
「すまない、峰の好きなハーゲンダッツ買ってくるから」
と、話の糸口を見いだせない俺は寝込んでいる彼がいるベッドに向かって独り言を言う。
「要らないから、そっとしておいてよ」
珍しく、峰は俺に冷たい声色を浴びせる。
「ごめん」
俺は、黙って峰が一番好きなイチゴ味を買いにコンビニに走った。もう、師走の季節だった。吐く息は白く、クリスマスケーキも並んでいた。アイスだけではきっと駄目だろう。いや、多分必要なのはもっと別のことなのだろうけれど、それが浮かばずにいるもどかしさに耐え切れず、クリスマスケーキも買ってしまった。
「ただいま」
「……遅かったね」
反応してくれるだけありがたかった。峰の声は、誰の声よりも好きだったから。
「峰、もう俺みたいなのに付き合わなくてもいいから」
このことばではない、と思っても止まらなかった。なんと弱弱しい声だったのだろう、抗えない自分の感情の奔流に口がついてまわる。
「……部長のいうことは突然すぎる」
「出会った頃の峰の突然さには負ける」
布団にくるまっていた峰が、そういわれたときにひょっこり顔をのぞかせた。ちょっと笑顔で、俺の眼を見つめている。
「なんで作家で有名になろうって躍起になってたの?」
峰に訊ねられて、俺は応える。
「だって、峰に捨てられる気がしたから。才能があって、名誉があるようでないと、峰は俺のことなんかどうでもよくなっちゃうだろう?」
「そんなこと、」
「俺はもう才能に限界を感じている。峰の顔の良さってのも才能みたいなもんだろう?」
自嘲している俺を、潤んだ瞳で峰が見つめる。そして、声を荒げた反論が来る。
「ちがう、ただ、僕は先輩が物語を書き続ける世界にいたかっただけだから!」
「インタビューでも、才能がある人間が好きだって。俺は、才能ないからさ」
峰は、はっとした顔になったけれど、言葉を継ぐ。
「プロにならなくちゃ、貴方は物語を書き続けてくれないと思っただけで、僕のために物語を書いてくれるなんてことはないと思ったから、プロの作家にふたりでなろうとしただけで、」
「俺は、お前の見目に最初惹かれた凡人だからさ、峰に頼まれていたらいくらでも物語を書いたのに、な」
そう俺が言う頃には、峰はすっかり泣き崩れていて。
「だって、僕は白石亮という人に作家であってほしかった、だから僕は努力を惜しまなかった、それだけなのに」
「だから、おしまいにしような」
俺は、出来る限りの笑みを浮かべて、ベッドで茫然としている峰を抱き締めた。
「……しばらく、このままでいて」
峰の甘い声が、俺の耳朶を打った。
6:峰蒼汰
結局、僕たちの関係は「おしまい」になどならなかった。しばらく抱きしめれたときに、もう僕たちは才能だとか見目だとかで好きあうことを超えて、ずっとずっとそばにいたいと願ってしまっていた。
「作家をお休みしたい」
僕は絞り出した答えはそれだった。ただ、わかった、とだけ答えてくれたのがよかった。その後、クリスマスケーキが出てきたときには噴き出してしまったっけ。
「まだ、クリスマスイブでもないのに」
「そうだっけか」
あまり頭が二人とも回っていないうちに、ホールケーキを男ふたりですっかり食べきって、一緒にベッドで寝転んで、すっかり眠った。こんな小さいことでも幸せだと思えるうちは、それでいいか。そう思えたので、よかった。
クリスマスの日。インターネット上で記事を載せたい、という依頼が正式にニュースサイトから連絡が来た。休業する気でいた作家業ではあったけれど、先輩は二人でインタビュー改めて受けたい、と言った。それは僕たちの決意であるならば、そうすべきだと思った。結果として、これが津井果晶という作家ユニットが真の意味評価されるきっかけになったのだ。
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