四人心中(その7)

「女房には致死量を呑ませ、じぶんだけは死なないぎりぎりの量を呑んだのです」

八丁堀の地蔵橋たもとで、岡埜同心の帰りを待った浮多郎は、役宅に上がり込むなり、晋二郎の悪事を告げた。

「この企てのために、あらかじめ毒を仕込み、銭高屋の別宅で飼っている三頭の犬を使って致死量を確かめたのです。銭高屋はこの日暮里の別宅を自宅と兼用で、大口の融資先相手の店として使い、晋二郎はここに毎日午後から詰めています。犬もなついていたので、毒を呑ませやすかったでしょうよ」

浮多郎の話を黙って聞いていた岡埜は、

「それだけでは、晋二郎を獄門にはできんぞ」

と言ったが、立件をあきらめる風ではなかった。

「やつをしばらく泳がせておけ。お前と与太で別宅を見張れ。黒門町の甚吉には毒薬の入手先を当たらせる。金を積めば、毒薬でも何でも処方する医者がいるらしいぞ」

岡埜は、唇の端に薄笑いを浮かべた。

―ある日の夕方、板塀の内側で、ひそひそ話が・・・

「お嬢さんは、あきらめろ」

低いが、ドスの利いた声。

「どうしてそんなことを?」

こちらは晋二郎。

「女房を殺した男が、銭高屋の箱入り娘の婿にはなれんぞ」

「ひと殺し呼ばわりは、止めて下さい」

「犬に毒を盛るのを見た、と言ったらどうなる。浮多郎とかいう岡っ引きが、嗅ぎ回っておる」

「犬が死んだのと、ひと殺しとは関係がないでしょうよ」

「あるんだなぁ、これが・・・」

ドスの利いた声の主が、門を出た。

ふところ手で詩吟など唸って、いい気持ちで根岸方向へぶらぶらと歩いて行く姿を見て、これが銭高屋の用心棒だろう、と見当をつけた。

しばらく、あとをつけると、牢人はやおら振り向き、

「お前も辻斬りに遭いたいのか?」

と、ドスの利いた低い声で脅した。

「『犬を洗え』と投げ文をしたのは、先生でしょ。ちょいとそこいらで、一献いかがで」

そう誘いをかけながら、浮多郎は柄にかけた牢人の手に小粒を握らせた。

「晋二郎が犬に毒を盛るのを・・・ご覧になったようで?」

近くの蕎麦屋の奥座敷に上がり込んで升酒をふるまってから、浮多郎はいきなり切り出した。

「お前、さっきの話を聞いたな!」

「なに、ちょうど表を通りかかったら、聞くともなく・・・。『お嬢さんの婿にはなれない』とも、聞こえましたが、どうして婿にはなれないのでしょう?」

牢人は、浮多郎を長いこと睨みつけていたが、顔を寄せて酒臭い息を吐きかけながら、

「泪橋のお役者目明し浮多郎。・・・じつは写楽の大の親友、と聞いた。まことか?」

と真顔でたずねる。

「親友など滅相もございません。ちょいと見知っているだけで」

「拙者と立ち会うよう頼んでくれ。引き受けてくれれば、知っていることはすべて教えよう」

ひとの大事な秘密を洩らすときは、大金と引き換えというのが相場だが、・・・命がけの果し合いがお望みとは!

こいつは相当な変わり者だぜ。

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