四人心中(その2)
「夫婦者が、仲人に立ち会ってもらって祝言のやり直しをしようとしたらしい」
下谷広小路のしもた屋の前で岡埜同心が、生あくびをこらえながら言った。
「その仲人が、夫婦が座敷でのたうち回っているのを見つけて、すぐに近くの医者に運んだが、女房は死んだ。亭主もダメらしい。夫婦の別れ話が、一転して祝言のやり直しになり、さらに暗転して夫婦心中の結末となった」
岡埜は、「仲人の話を聞いておけ」と浮多郎に命じると
「くだらん。じつにくだらん」
と、吐き捨てるように言い残して、八丁堀へもどって行った。
―土間の上がりはなに、仲人役の大家が、しょんぼり座っていた。
「どうして、話が二転三転したのでしょう?」
浮多郎がたずねると、よくぞ聞いてくれたとばかりに、
「上州からでてきた親戚の娘を、蔵前の札差に女中奉公に出したのですが、そこの番頭に惚れ込んで、ついに押しかけ女房に収まってしまいました。そこまではよかったのですが、この番頭、若いのに口八丁手八丁で、そのうえ色男ときたもんで。まあ、もてること半端ない」
しょんぼりしていたのが嘘のように、この大家の喋ること喋ること・・・。
『焼きもちが昂じて別れ話になったが、この亭主の晋二郎という男のほうが折れて、出直しするので、祝言の真似事に立ち会ってくれと頼まれ、向島からやって来たら、このざまだ』
あらましこんな話をして、しきりに嘆いた。
ふた間続きの奥座敷を見せてもらうと、祝言と言うにはお粗末なお膳が三つしつらえてあったが、のたうち回ったせいで、お膳は部屋中に散らばっていた。
祝言の前にお茶でも呑んだのか、夫婦茶碗が転がり、その周りにふたりの吐しゃ物がまき散らされていた。
「祝言などというものは、だいたいは夕刻にやるものでしょう。どうしてまたお昼どきに?しかもきょうは仏滅です」
首だけ突き出し、こわごわと座敷を覗き込む大家にたずねた。
「この間の大雨で大川が増水し、橋場の渡しが日暮れ前にはなくなります。それで、昼にしてもらったのです。すると晋二郎さんが、いっそ分かりやすく今日の正午にしてくれと。・・・仏滅なのは知っていましたが、これも忙しい晋二郎さんが仕事を休めるのは半日だけということで、この日に。ただ案の定、橋場の渡しがなかなか出なくて、正午を一刻も遅れてここへ着いたのです。もっと早く見つけていたら、助かったかもしない。残念です」
『初めから覚悟の心中と決めていたのなら、むしろ仏滅がよかったのだろう』
ふたりが運び込まれた、一乗院の裏の医院へ向かいながら浮多郎は思いをめぐらせた。
「女房のほうは、即死だ。亭主もおそらくダメだろう」
作務衣姿の老医師は、首を振った。
「おそらく、猛毒でもあおったのだろうよ」
ふたりとも口から泡を吹き、胃液まで吐き出してすごい形相で担ぎ込まれた、ということだが、
「その毒薬は草木系ですか、それとも鉱物系ですか?」
と、浮多郎がたずねたので、この若造けっこう分かっているなという顔で、
「よく調べてみないと・・・。毒物の残りがあれば分からんでもない」
と、答えた。
―泪橋へ帰ると、与太が上がりこんで、政五郎と世間話をしていた。
「今、先代と話していたのですが、深川の芳町の自殺した女郎も、ちょうど正午の鐘が鳴り終わるのを合図にしたように、じぶんの座敷で喉を突いたそうで」
「ということは、吉原の角町の女郎、深川の芳町の女郎、下谷広小路の札差の番頭夫婦の四人が、同じ仏滅の日の正午に、同時に自殺したということかい。こいつは・・・驚いた」
大げさに目を剥いた政五郎が、見栄を切る所作をした。
『四人心中』ということばが、浮多郎の頭の中で勝手にぐるぐる回っていた。
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