郵便の配達間違いが結んだ恋

井上みなと

第1話 それは間違えて開けた手紙から始まった

 明治37年のある日。


 東京市長になったばかりの尾崎行雄は、誰もいない家に遅くに帰宅した。


 郵便受けに入っていた手紙を粗末なテーブルの上に無造作に置く。


 開けるのが面倒になってしまう前に見てしまおうと、行雄は封筒の一つを手に取って破り、不意に動きを止めた。


「……誰からだ、この手紙」


 よく見るとそれは茶封筒ではなく、淡い薄紫の綺麗な横封筒だった。


 淋しい独身生活の行雄の家に、こんな手紙が来るはずがない。


 嫌な予感がして封筒をひっくり返すと、そこには自分とは半分違う名前があった。


『尾崎セオドラ英子様』


 尾崎違いである。


 郵便配達員が名字が同じ家に、間違えて配達してしまったのだ。


「さすがに開けてしまったのはまずいな……」


 配達を間違えたのは郵便配達員であるが、確認もせずに開けてしまったのは、行雄のミスである。


 行雄は直接謝りに行くことにした。


 尾崎セオドラ英子えいこは明治社交界の華である。


 男爵・尾崎三郎おざきさぶろうと英国人女性の間に生まれたセオドラは、黒い髪と黒い瞳ではあるものの、色が白く鼻が高く、その美しさと学識の高さは社交界の憧れであった。

 

 行雄もその姿を見たことがないわけではないが、話したことはない。


 少し緊張しながら、行雄は尾崎男爵邸を尋ねた。


「すみません、尾崎行雄と申しますが」


 行雄の訪問に尾崎男爵邸は驚いた。


 なにせ行雄は40歳で文部大臣になった、次の時代を担うと言われる政治家である。


 同じく次世代の政治を担うと期待されている伊藤博文の腹心・伊東巳代治いとうみよじ東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶんを使って叩かれ、内閣を去ることになったが、その後、また東京市長という地位を得た。


 その新進気鋭の政治家が、自ら手紙を持ってやってきたのである。


 セオドラはすぐに行雄と会い、手紙を受け取った。


「申し訳ありません。宛名を確認せず、開けてしまいました」

「いいえ、配達された方の間違いですから、お気になさらないでください」


 手紙を受け取り、セオドラはくすっと笑った。


「丁寧な市長さんですのね」


 使いの者ではなく、自分で届けに来た行雄にセオドラは好意を持った。

 同時にその微笑みの美しさに行雄も惹かれた。


 この出会いがきっかけとなり、二人は翌年、結婚する。


 それまで縁のなかった二人が手紙の配達間違いで理想の相手と出会う。

 結婚とは不思議な縁なものである。


 

 

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