これは、契約の血である

 マリオが極東の国に辿り着いたとき待っていたのは、あまりにも広まりにく過ぎる土壌だった。もちろん、遥か昔にこの国を訪れた宣教師たちから脈々と信仰を守ってきたらしい民もいたが、その歓迎ぶりは極端なくらい熱烈で、だからこそ悟ったのだ。


 この国では、根幹の部分にまで自分たちの神を根差すのは困難を極めるのだろう、と。

 それでも、投げ出すつもりなどない。

 むしろ、ようやく世界に向けて開かれたこの国は生まれたばかりの赤子も同然。マリオの故郷より優れた部分も目には入ったが、やはり赤子には愛とともに導くものが必要だ。だからこそ、マリオは何故か周囲を気にする信徒たちに尋ねたのだ。


「何故、この国で神の名を唱えることは赦されないのでしょう?」

 それに対する男――名を又蔵またぞうといった――の答えは、マリオの想像を絶したものだった。

「恐れながら、きっと貴方の信仰については自由が認められているのだと思われます。けれど、我々は違います。主を信じるものは異端視され、幕府から酷い扱いを受けるのです」

 そして、又蔵が語り始めたのは、キリシタンと呼ばれた民が受けてきた、数々の悲劇だった……。


 泰平の世が築かれる直前。

 数など知れない争いの果てに天下統一を成し遂げた武将が、当時この国に広まりつつあった舶来の宗教――マリオが信じている教え――を否定したことから、全て始まった。

 そこから始まった迫害は泰平の世にも引き継がれ、西方の地では幕府の意向によって多くの信徒が鎮圧され、一派の頭目として担がれた年端のいかぬ少年でさえも死したと言われているらしい。


 そして、それからの弾圧も苛烈なものだったという――ギザギザと尖った板の上に正座の姿勢で座らされ、その上に重石を乗せられていく責めや、逆さ吊りにされて揺さぶられ続ける責め、更にマリオが耳を疑ったのは、なんと主の姿の描かれたレリーフを踏みつけることで自分が異端でないことを示すというものだった。

 当然マリオにとっては受け入れられるものではないが、それができなければ異端の者として裁きを受けなければならないのだという。マリオのように、心身を捧げたと自負している者ならまだ受容もできよう、しかしこの国はまだ、マリオの祖先たちが通り抜けてきてような苦難の道程を知らない――教会の分裂やそれに伴う混乱、異教を唱え救済者を貶める侵略者たちとの闘争、吹き荒れる悪魔崇拝の嵐……。

 それらを経験することで、また語り継がれていくことで、マリオたちは『勝ち取ったもの』として神の教えを尊ぶことができる。しかしこの国の民にはまだ、それほどの意識は芽生えていないのだ。それならば、死や罰を恐れることも仕方のないことと言えた。


 だが、そこまで苛烈に棄教を強いるような土壌で、はたして自分は教えを広げることなどできるだろうか……?

 漫然とした不安を抱えながら、マリオは農村に住み始めることにした。村民の生活に徐々に溶け込み始めたある日。


 マリオはひとりの少女――千代子ちよこと出会った。

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雪はただ静かに郭を照らして 遊月奈喩多 @vAN1-SHing

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