雪はただ静かに郭を照らして

遊月奈喩多

分かたれた枝葉は

 若き宣教師マリオは、疾走した。

 そして己の軽はずみな言葉を悔いていた。彼らの事情を思うならば言うべきではなかったのだ。

 グレゴリオ暦でいうところの2月14日。今日という日は、想い合う者が互いに贈り物をする日なのだ――そのようなことを、どうして自分は彼らに教えてしまったのだろうか? ふたりの様子に思わず告げずにいられなかったのだ、その想い合う姿の美しさに、マリオは深く感銘を受けたからこそ……。


 よもや、このようなことになろうとは。

 予想できぬはずなどなかったというのに、なんという体たらくだろう? 己を深く恥じながら、マリオは雪の積もり始める草原を、法衣をまくし上げながら走り続けた。


  * * * * * * *


 マリオがこの極東の国にやって来たのは、単にこの地に派遣されたからだった。遥か西の新興国が訪れたことによって、200年にもわたる鎖国状態から解き放たれ、いよいよ啓蒙の機会を得ることのできた国に、尊き神の教えを広めるため。

 マリオはその任地がどこであれ、誇りを持って務めを果たす覚悟だった――遠方への布教活動は、言うなれば過去の聖人たちも通った道である。そのような道を自分も歩めるとあれば、それを喜ばぬ宣教師などどうしているだろうか?


 過酷な船旅を終えて上陸した国でまず待っていたのは、苛烈な争いの景色だった。時代の変わり目には常に付き物なのだろう、旧体制を支持するものと新体制を目指そうとするものとの争いは激化しており、またその陰に隠れるようにして、略奪や人斬りも少なくなかった。

 毎日誰かしらが路地裏で事切れている。革命期のフランスですらここまで人を殺めていなかったのではないか?などと不謹慎な言葉が浮かんでしまうほど、マリオはこの国に驚愕していた。

 とはいえ、もうひとつ驚いたことに、この国の民は、ただの平民――ここでは『町人ちょうにん』と呼ばれていたか――に至るまで、その識字率が高かった。マリオの祖国では、簡単な読み書きも難しい徒弟など大人でも少なくはなかったし、幼少のうちからいっぱしの教育を受けられるなど、教会に身を置いた者か貴族の子女でなければありえなかっただろう。

 最近でこそその状況は変わりつつあるらしいと、故郷の友人たちから聞いていたが、マリオ自身も幼い頃は学問など縁がなく、の役目に明け暮れていた。偶然近所に教会があり、その神父に実子同然に可愛がられた幸運から、今のマリオがいる――そうでなければ、数年前に起きた事故で他の坑夫たちと共に、自らの使命を全うできないまま生涯を閉じていただろう。

 非業の死を迎えた同郷の者たちに報いるためにも、自分は与えられ、自覚した使命を全うするのだ――誇りを胸にやってきたマリオを待っていたのは、“神の教え”に対する抵抗感に満ちた土壌だった。


 

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