第八楽章 少し元気をつけて

「まぁ、ラルムちゃん。

 そんなに可愛かわいく被ってもらって、帽子も私も喜んでいますわ」


 編み物が趣味の優美エレガントな生徒は、母より齢上としうえの婦人だった。

 しかし若々しく、西洋人形のような出で立ちをしていた。


「ありがとう。奥様の帽子も可愛かわいいよ。

 羽根飾りが付いているね。どんな鳥の羽根?」


 様々に考えた結果、ラルムは婦人を『奥様』と呼んでいた。


「どんな鳥でしょうね。小夜啼鳥ナイチンゲールか、あるいは幽霊鳥トラツグミかしら」


 ラルムは、奥様の帽子の飾りに指を触れた。

 孔雀くじゃくの羽根のような虹色で、とりわけ翠色みどりの比率が高い。

 気のせいか、森林の香りが漂った。

 ラルムが入浴剤でおぼえた森の香りより原初的な、におい。


 *:..。o♬*゚・*:..。o♬*゚・*:..。o♬*


 森の木々の翠々あおあおとしていることが、においから伝わる。

 貴婦人がともす幾多のフェアリーランプは、屋敷の周囲、アーベントに参加する客人を道案内するように、等しくきらめいている。


 眠りから醒めたラルムは、寝台ベッドではなく、森林の片隅に設えられた野外サロンの揺り椅子に掛けていた。其処そこに集う人々の、何処どこか懐かしい声を聴いている。


「奥様、本日の御召し物も素敵ですこと。私も、めかしこんで参りましたの。

 けれども、とんでもない事態ですわ」

「エマージェンシーです。メインのドールが動かない。

 残念なこと。今夜のアーベントは、お流れですわね」


 そんな遣り取りを聞き逃せず、少年は揺り椅子から跳び起きた。

 円卓テーブルに身を乗り出してたずねる。


「あの、もしかして今、お話されているドールって、

 たからちゃんのことですか?」


 豪奢ごうしゃな羽根飾り付きの帽子を被った奥様が答える。


「まぁ、お若いのに、よく御存知ね。

 ドールの愛好者と言えば、私たちのような、

 おとなの女性と相場が決まっておりますのに」


 もうひとりの奥様が、前下がりボブの少年に、悪気なく言う。


「壊れてしまいそうな女の子さんですこと」


 壊れてしまいそうな、とは初めて言われたが、女の子に間違えられることには慣れていた。少年は、たからが動かないという非常事態を追究する。


「僕は女の子じゃないよ。それよりも、たからちゃんは何故、動かないの? 

 今、何処どこに、いるんだろう」


「あら、僕ちゃんだったの? 失言、ごめん遊ばせ。

 たからちゃん、屋敷でメンテナンス中ですって。

 充電をやり直しているのではないかしら」


 ラルムは椅子から降りて、一目散に屋敷の中に駈けた。

 髪が風になびく。耳の空洞が露になるが、気にしない。


 まなじり秘匿かくした御人形たからは、安楽椅子あんらくいすの背に身を預けていた。

 近傍かたわらに困り果てたかんばせの貴婦人。


「たからちゃん?」


 駈け寄った少年に、貴婦人は心細そうに言う。


「どういったわけか、ぴくとも動かないのです。

 先刻さっきまで完璧な演奏を仕上げていたというのに、本番を間近に、こんな……」


 眼鏡の奥で底光りしていた貴婦人の瞳は、別人のように自信なさげに潤み、泣いている。だが、その審美眼を少年に定めた途端、なみだは流れなくなった。貴婦人はラルムの両手を掌で包んで、ひたすらにねがう。


「ラルムさん。たからの代わりに舞台に立ってください。

 代役をこなせるのは、あなただけです」


 驚くラルムの横で、貴婦人は自慢のホームメイドドレスを、衣裳ケースから取り出してひろげた。


「あら、あつらえたように丈も、ぴったり」

「冗談はしてください。僕は御人形でもなければ、女の子でもない」

「性別なんて些細ささいなこと。誰も気にしませんよ。

 美しければ、それで、いいのです」


 貴婦人は腕をふるい始めた。ラルムは愈々いよいよ、御人形に変貌しようとしている。

 少女人形は時を止めたまま。

 なかば強引な熱意で少年を彩る貴婦人の表情は、少し元気をつけて、

 希望をたたえた色をしている。



第九楽章『幸せの調を響かせて』に、つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る