第七楽章 少し控えめに

 就学して、まもないころから、ラルムは頭痛を訴えていた。


 木洩こもれる陽光ひかりまぶしく眼を細める様子に、母は片頭痛を確信した。

 こどもの頭痛の半数以上が片頭痛であり、その体質は遺伝性だ。

 母は自らの片頭痛を自覚して、適応する薬でしのいでいた。


 脳の興奮性が高く、音、におい、振動にも過敏なラルムは、

 ピアノ発表会の日も人混みに当てられ、控え室で眠っていた。

 暗い場所で頭を冷やして横たわる。

 そうしていると、発作は数時間で通り過ぎる。母には辛さが分かる。


「ラルムちゃんには体質が遺伝しませんように。

 願っていたのに、おかあさんのせいだわ。ごめんなさいね」


「おかあさんの、せいじゃないよ。

 おかあさんは、何も悪くない」


 うっすらと汗で湿った衣装を抜き取って、

 まっさらな吸湿性に優れた寝衣ふくを着せる。


 清潔なガーゼのカバーを付けた寝具ベッドに寝かせて、大事に育てる。

 そうして十三のよわいを数えた少年は、かそけき白百合のような姿に成る。

 その姿は母に、或る、もうひとつの遺伝性の病を予感させ、おびえさせた。


 *:..。o♬*゚・*:..。o♬*゚・*:..。o♬*


 仄冥ほのぐらい部屋で、御人形の瞳は、キャンドルのような光を放っている。


「たからちゃんを起こしてしまったね」


 少年は、寝台ベッドに上体を起き上がらせた。


「たからは御人形です。

 御人形の目覚めは、メンテナンスの終了を意味します。定刻の目覚めですよ」


 貴婦人は時間を把握しているらしい。

 ラルムには、今が朝なのか夜なのか、見当がつかない。

 窓の無い部屋に、眠気を誘うパフュームキャンドルが揺れている。


「この森でアーベントが開催されます。

 楽器に親しむ御人形が、一堂に会するのですよ」


 ラルムは、たからの他にも楽器を弾く御人形が居ることを知る。

 そんな不思議な御人形に、出逢いたいと思う。


宵闇よいやみの訪れが開演の合図です。

 たからの晴れの舞台、ラルムさんも是非、御覧くださいませ」


 貴婦人がラルムをアーベントに誘った。


 発表会の日の片頭痛を思い出す。

 人混みと明るさが、においと光が、

 怒濤どとうのような音響と共に、束になってラルムを苦しめた日の記憶。

 できることなら、絶対に安全な領分に閉じもって、

 もう何処どこにも行きたくないと願った、あの日の辛さ。


「アーベント……夜の発表会だね」

「そうです」


 母はピアノ講師として発表会を開ける立場でありながら、自ら主催者になることはなかった。定期的に、おとなの生徒と連れ立って、他所よそのピアノ教室の主催する演奏会に招かれて行く。たいてい日曜日の朝だ。


 日曜日、ラルムは好きな時間に起きる。

 キッチンの円卓テーブルに置かれた母のメモを読んで、冷蔵庫の食事を温めて食べる。

 そして、少し控えめにピアノを弾いて遊んだ。

 自制したピアノの音は脳の過敏性をあおらず、むしろ鎮静する。


「御人形さんだけじゃなくて人も、いっぱい集まるよね」

「そうですね。御人形の数だけ、保護者が集まりますが」

「僕は、明るくて人が大勢いる場所、苦手なんだ。でも」


 ラルムは、まっすぐに、たからの瞳を見る。


「たからちゃんの舞台は、観て、聴いてみたいな」


 たからの花唇くちびるは、満足気に微笑ほほえんでいた。


「そうと決まれば、お休みくださいませ。数時間後には開演です。

 私は、最終メンテナンスに集中致します」


 貴婦人は、可動域の広いラルムの手をひと撫でしてから、たからの指の動きを確かめ始めた。アーベントは数時間後、幕を開けるらしい。


 此処ここに来てからのラルムは、寝台ベッドに横たわってばかりいる。

 日曜日の明け方のように。

 あるいは、頭の痛い平日のように。



 第八楽章『少し元気をつけて』に、つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る