第395話 毬萌と新婚さんごっこ

 訪れるのは、少しの緊張感。

 見た目は完璧。匂いも完璧。俺は空腹。

 条件は整っていた。


 しかし、やはり思い出すのは地獄のカレー。

 あの時の鬼瓦くんの胸板はとても温かかったっけ。


 とは言え、大事な幼馴染が作ってくれた手料理である。

 食べないという選択肢はない。


「食べよーっ! コウちゃんっ!」


 眼前には毬萌。

 アホ毛をぴょこぴょこさせて、耳を立てて、尻尾を振っている柴犬系女子。

 良いとも。食べようじゃないか。

 大丈夫、いざって時の第一三共胃腸薬プラスエリクサーは薬箱の中にある。


「おう! いただきます!!」

 実食だ。



 一口食べる。

 続いて二口目。


 毬萌と言えば、甘いもの。

 カレーも当然、甘口派。

 結構な量入れたであろうトマトが、実にマイルドな味を醸し出している。

 それでいて、コクがあり、なんとも言えない優しい味。

 しかし、味付けは俺好みの濃いめ。

 濃厚な後味がスプーンを持つ手に止まる事を許さない。



 どうしよう。むちゃくちゃ美味い。



「みゃっ!? コウちゃん、泣いてるのっ!?」


 お、おかしいな。目からオイルが……。

 これが、涙……?


「いや、なんつーか。感極まるってこういう事を言うんだなって」

「……もしかして、美味しくなかったかなぁ?」


 天才のくせに、何という心細そうな顔をするのだ。

 合理的に考えなさいよ。


 お前が一生懸命作ってくれた飯が、不味い訳ないじゃないか。


 それを口に出してやるのが俺の務め。

 と言うよりも、長年連れ添ってきた、俺の義務かと思われた。


「むちゃくちゃ美味い! 正直、ここまで美味いとは思わなんだ。マジで、アレだよ、こんな日が来るなんてなぁ……」

「にへへっ! なら良かった! コウちゃんが泣くから、美味しくないのかと思ったよぉー!!」

「な、泣いてねぇし!? これは、カレーが辛かったからだし!?」

「甘口なのにー? にははーっ、コウちゃんを泣かせてやったのだ!!」


 普段から散々泣かされているが、これは参った。

 幼馴染に飯作ってもらうのが、こんなに嬉しい事だったなんて。


 俺は、大盛のカレーを結構な勢いで食べ終えてしまった。

 料理を食べながら、名残惜しいと思ったのはいつ以来だろうか。

 これは、毬萌にご褒美をあげなくては。


「毬萌。とっておきのバニラモナカジャンボをデザートにあげよう」

「みゃっ!? 良いのー? わたし、あれ好きーっ!!」

「知ってるよ。……ほれ」


 すると毬萌は、真ん中でバニラモナカジャンボをバカりと割る。


「はいっ! コウちゃんの分だよっ!」

「俺ぁ別に良いよ。毬萌が全部食っちまえ」

「やだーっ! 半分こした方がおいしーもんっ!!」


 まあ、所有権を毬萌に移した以上、彼女がそうしたいと言うのであれば、それを断る道理もない。


「んじゃ、半分こな。うん。うめぇ」

「ねーっ! おいしーよねっ!! あーむっ!」

「お前は本当に美味そうに食べるなぁ」

「だっておいしーんだもんっ! コウちゃんだって、カレー美味しそうに食べてたよ?」

「……だって、美味かったんだもの」


「おいしーものを二人で食べると、10倍おいしーねっ!!」

「……おう。それに関しちゃ反論はねぇよ」


 計算方法は知らん。


 デザートまで食べきって、満腹、そして満足。

 晩飯がこんなに充実していた事はいつ以来だろうか。

 そもそも、牛肉の入ったカレーを家で食べたのはいつ以来だろうか。


 うちのカレーは基本鶏肉。

 酷いときは鶏肉さえ消えて、代わりにチクワが入る。

 野菜も玉ねぎがレギュラーを張っているくらいで、あとはその時にある野菜をぶち込むだけ。


 俺の家庭菜園のな!!


 カレーの度に荒らされ、略奪されたプランターを見る悲しさたるや、筆舌に尽くし難し。

 それならばいっそカレーなんて作らなくて良いとさえ思ったものだが、やっぱりカレーは美味しい。

 認めざるを得ない。


 ん? 豪華な食材のカレー?


「毬萌。材料いくらだった? 払うよ」

「んーん! 平気っ! 今日はわたしのおごりなのだ!!」

「アホ、そんな訳にいくか! 飯まで作ってもらっといて、そりゃあ勘定が合わん」


 すると毬萌は、アホ毛をピンと立てて言うのである。


「いつもコウちゃんは助けてくれるから、これはそのお礼なのっ!!」


 そんな笑顔で言われると、こちらとしては何も言えない。

 「そうか」と答えて、感情を読み取られないように、テレビをつける。


「あーっ! コウちゃんが照れてるーっ! にへへーっ、可愛いですなぁ!!」


 すぐに看破される。

 バニラモナカジャンボ食わせるんじゃなかった。


「うっせぇ! 俺ぁ洗い物するから、お前はテレビ見てなさい!!」

「はーい! ねね、コウちゃん、コウちゃん!」

「なんだよ。もうアイスはねぇぞ?」


「違うよぉー。なんだかさ、わたしたち、新婚さんみたいだねっ!!」

「えっふぇるっ」


 フランスのシンボルみたいな声を出して、ついでに鼻水を吹いて、洗っている皿を落としそうになった。

 この子はどうしてそんな突拍子もない事を言うのかしら。


「バカな事言ってんじゃないよ。あ、毬萌! 制服のスカートにしわ付けんなよ! 今日まだ水曜なんだからな!」

「平気だよ! 見て、コウちゃんっ!!」

「なんだよふぇあっしゅっ」


「じゃーん! 裸エプロンーっ!!」


 一瞬、マジで裸にエプロンしているのかと思ったが、そんな事はないだろうと思うも、やっぱり裸エプロンに見えて、色々と思ったり思わなかったりした。


「にははーっ! コウちゃんのエッチ! 下には体操服を着ているのでしたーっ!!」

「アホか!!」


 そう言われてよく見ると、確かに袖を内側に織り込んだ体操服を着ていた毬萌。

 なに? よく見たら分かるだろうって?

 裸エプロンの可能性が残っている段階で凝視できるかい!


 そして、洗い物を終えた俺は、毬萌の寝そべっているうちの貧相なソファへと向かう。

 お前は俺の家に来てまで体操服が家着なんだな。

 別に良いけども。


「お疲れ様、コウちゃんっ!」

「今日に関しちゃ俺ぁ食器洗っただけだよ。疲れてねぇ。むしろ、毬萌の方が疲れてんじゃねぇのか? 普段慣れない事して、肩がこったろ?」

「にへへっ、実は最近お料理の練習を家でしてるから、へっちゃらなのだっ!」

「マジか! あの毬萌が……。ああ、立派になったなぁ。しかし、何で今さら?」

「そんなの決まってるじゃんかー!!」

「自給自足のためだな?」

「ちーがーうーっ!! コウちゃんに美味しいもの食べてもらうためだよぉ!!」


 今日の毬萌さん、かつてない程に乙女力が高い。

 油断すると、持って行かれそうになる。



「大好きな人にご飯作ってあげられるのって、嬉しいんだもんっ!!」



 ほら、また持って行かれた。

 なに、この可愛い生き物。

 俺の知ってる毬萌じゃないよ、こんなの。


「あー! このアイドルの子、おっぱいおっきい!! コウちゃんの部屋にあった雑誌に載ってた子だねっ!!」


 いや、やっぱりいつもの毬萌だ。


「違う! あれは、別にアレだから!! 雑誌の記事に興味があって買っただけだから!! 別にグラビア目的とか、そういうんじゃないから!!」

「コウちゃん自作パソコンに興味あったの?」


 ないけど!? 興味があったのグラビアですけど!?

 と言うか、なんで隠してある雑誌の記事まで熟知しているの、この子!?

 あれ買ったの、一昨日だぞ!?


「んふふーっ、安心して良いよっ! わたしね、旦那さんがエッチな本とかDVD持ってても気にしないタイプだから! チェックはするけどっ!!」

「それむしろ一番旦那の方が気にするヤツ!! ヤメろよ、お前!!」



 その後も台所のソファでとりとめのない話をしていると、父さんが帰って来た。


「ただいま……。公平、父さんはよく戦ったんだけどさ……。一歩及ばずだったよ」

「おう。おかえり。閉店まで軍資金がもたなかったのか」

 疲労が目に見えて分かるゲッソリ感。

 普通に仕事をフルタイムでしていた頃よりも萎れて見える。

 父さん、あんたは一体何と闘っているんだ。


「おじさん、おかえりーっ!」

「おや、毬萌ちゃん。嫁いできたのかい?」

「ヤメろよ! 晩飯作りに来てくれたんだよ!!」


 すると父さんは、目を見開いて言った。

 まだそんなにまぶたを押し上げる力が残っていたとは。


「毬萌ちゃんが、料理を!? 公平、これ、本当に嫁いできているじゃないか!!」

「にははーっ! おじさんのこと、お義父とうさんって呼んだげよっか?」

「もしもし! 母さん!? 今ね、毬萌ちゃんが嫁いできてね!! 大変なんだよ!!」

「おい、ヤメろって! 父さん!!」

「大丈夫だよ、公平。母さん、鯛買って帰るってさ! エビスビールを冷やさなくっちゃね! さあ、忙しくなってきた!!」


「コウちゃん、コウちゃん!」

「……なんだよ?」


「不束者ですが、よろしくお願いしますっ!!」



 もうヤダ、この家族。

 誰も俺の言う事聞かねぇもん。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


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目次 またの名をお品書き

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