第386話 心菜ちゃんと水泳

 潜入ミッションにおいての最難関とは。

 言わずもがな、入口をいかにして突破するかである。


 アリエル女学院は、生徒の父兄以外の男性の侵入を禁ずると言う、どこに出しても恥ずかしくないお嬢様学校だった。

 普段の俺ならば、「そうか、縁がなかったなぁ」と小石でも蹴飛ばしながら家に帰るところであるが、今日はそうも言えない。



 天使がね、この中にいるんだよ。天使がさ。



 そこで俺は考えた。

 嘘は他人につかれても自分でつくな。

 これは、俺の長年共に生きて来た信条である。


 そいつを今、粉々に砕いたのち、北風に乗せてサヨナラした。

 大丈夫、そのうち帰って来るよ。うちの信条は賢いから。


「では、こちらに記帳お願いします」

「はいはい。氷野、こうへい、っと! これで良いよね、お姉ちゃん痛い痛い痛い」

「は、はい。ありがとうございました。では、入校証をどうぞ」


 姉さん、受付のお姉さんが引いているから、ヘッドロックは一旦ヤメて。


「ありがとうございます。いやぁ、可愛い妹がね、待ってるんですよ! デュフフ」

「あの、すみません。一応、スマホ等の記録が可能な媒体はお預かりしてもよろしいでしょうか?」


 何が悪かったのかは知れないが、お姉さんの俺への警戒度が一段階アップした。


「あ、分かりました! どうぞどうぞ。もう、お好きなだけ預かって下さい!」

「ご、ご協力ありがとうございます」

「ああ、もう……」


 お姉さんと氷野さんと、俺の温度差が結構な違いを見せつけてくるが、まあ、アレだろう、俺は長男だから。

 長男は特別に出来てるって、大ヒット漫画にも描いてあった。



「おう! こいつぁすげぇな! 氷野さん、絨毯じゅうたんだよ、絨毯!!」

「分かったから! 騒ぐな、このバカ!!」


 だって、昇降口に赤い絨毯が敷いてあるんだもの。

 うちの学園はすのこじゃん。

 普段からすのこの上で汚いスニーカーを上げたり下ろしたりしている身としては、騒がない訳にはいかないと思うの。


「あー……。やっぱり、こんなの連れてくるんじゃなかったわ……。私としたことが、一時の気の迷いでなんてこと……」

「まあまあ、氷野さん。そう気を落とさんでも。誰しもミスってあるよ」

「……ミスの根源が口を開かないでくれる? 口に粘土詰めるわよ?」

「そんなことより、お姉さま! 早くプールに行こう! プール!!」


 なんでもアリエル女学院には、一年中使用可能な屋内温水プールがあると言う。

 そこで本日、心菜ちゃんが泳ぐとか。

 水温が低いと言うことならば、沸き増しのためにボイラー室に馳せ参じる構えである。


「あー! マル姉さん、公平兄さん! 待ってましたよー!」


 綺麗な下駄箱に俺の薄汚れたスニーカーを入れても良いものか逡巡しゅんじゅんしていたら、聞き慣れた声がする。

 振り返ると、美空ちゃんがちょこんと立っていた。


「おう! 美空ちゃん! なんだ、もしかして案内してくれるのか!?」

「はい! 任せて下さい! 心菜ちゃんから、兄さまたちを連れて来てほしいのです! って言われてますんで!」

「ははは! 氷野さん、聞いたかい? 兄さまたちだってさ! 姉さまじゃなくて! いやぁ、申し訳ないなぁ痛い痛い痛い痛い痛い痛い」


「ごめんなさいね。このバカ連れて来たばっかりに……。なんだか、注目を浴びているわね」

「そりゃそうですよ! 学校に男子が来はるなんて、滅多にないですもん!」

「ふふふ、氷野さん、今日の俺は希少価値の塊のようですぜ?」

「……早く行きましょうか。こいつと一緒に注目を浴びていると、最悪私まで何かしらの被害を受けそうな気がするわ」

「あっはは! ほんなら、ついて来てください!」


 俺がウルトラソウルをキメるまで、あと数分。



「はわわ! 公平兄さまー! 来てくれてありがとうございます、なのです!!」



 あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!!!!!



「はわー? 兄さま、どうしたのです?」

「心菜、兄さまは今死んだから、そこの窓から外に投げましょう」


「いや、ごめんよ、心菜ちゃん。心菜ちゃんの水着姿が少しばかり眩しくてね。ははは、今日はこんな冬空だって言うのに、君は太陽みたいだ!!!」

「……ちっ。回復が早いわね」


 心菜ちゃんの競泳水着の破壊力は、汚れた社会を浄化するほどの威光を誇り、永田町の真ん中に彼女が立てば、世の中から汚職はなくなるかと思われた。

 しかし、彼女の魅惑の姿、その詳細な描写は避ける事とする。

 なにせ、刺激が強烈であるからして、この事実を後世に遺すことは人類社会の発展、そして衰退に大きな影響を与える可能性を危惧したからである。


 つまり、俺の視界と記憶だけで独り占めなのである。デュフフ。

 競泳水着なんてスクール水着と似たようなもの?

 ゴッドはアレだね。違いの分からない神だね。出世しないよ?


「兄さん、聞いて下さい! 心菜ちゃん、水泳部の中でも速いんですよ! 三年生にも負けへんくらい!」

「はわわー! 美空ちゃん、そんな事言ったらダメです! 心菜、緊張するのです!」


 うん。緊張する心菜ちゃん可愛い。

 そして、からかう美空ちゃんも可愛い。

 桃源郷はここにあったか。


「氷野っちー! そろそろ整列だってさー!」

「はわ! 分かったのですー! じゃあ、兄さま、姉さま! 行ってくるのです!!」

「おう! 頑張れ、心菜ちゃん! むちゃくちゃ応援してるぞ!」

「心菜! 私は兄さまの20倍応援しているからね! でも、無理しちゃダメよ!」


「はいなのです!」


 そしてトテトテ駆けていく心菜ちゃん。

 足を滑らせなければ良いのだが。


「ほんなら、兄さん、姉さん! ウチらは応援席で見ましょ! こっちです!」

「はへぇー。プールに観覧者用の席まであるのかぁ。すげぇなぁ」

「ほら、さっさと歩く! いいわね? 他の女子の水着姿をいやらしい目で見るんじゃないわよ!?」

「おう! 心菜ちゃん以外は見ねぇよ! 困ったら氷野さんの胸でも見るよ! 氷野さんの胸を見るとね、よこしまな気持ちがすっ飛んでいくようなんだぁああぁおぅっ」


 そして氷野さん、本日初のハイキック。

 スカート? ああ、平気、平気。

 顔面に氷野さんの足がめり込んでいるから、何も見えないよ。



「うおっ! すげぇな。この子ら中学生だよな? みんなガチで速いじゃん」

「兄さんは水泳も苦手なんです?」

「……腹の立つことに、こいつ、水泳だけは人並み以上の速さで泳ぐのよ。見た目はすごくキモいけど」

「そうなんですか! 兄さん、今度泳ぎ教えてください! ウチ、あんまし得意やないんです。速く泳げる人って憧れますわー!」


「ダメよ、美空ちゃん。こいつの泳ぎ方、変態だから」

「言い方がひでぇなぁ」


「あ! 心菜ちゃんの番です! 頑張れ、心菜ちゃん!!」

「ふれぇぇぇぇぇ! ふれぇぇぇぇぇ!! 心菜ちゃぁぁぁぁぁん!!」

「やめなさいよ! あんたぁ!! バカなんじゃないの!?」


 そして心菜ちゃんは泳いだ。

 完璧なフォームのクロールであり、着順は見事に一等賞。

 俺は全力で拍手をした。スタンディングオベーション。

 そして氷野さんに引っ叩かれた。


 氷野姉妹によって、俺の体は視覚的、肉体的に大いなる刺激を受けて、明日からも頑張って生きようと言う活力に満ち溢れた。



「はわわ! みんな、心菜やったのです! むふーっ」

 うん。ドヤ顔心菜ちゃん、可愛い。

 そして水も滴る心菜ちゃん。これは刺激が強すぎる。


「えええええん!! あぁぁぁぁぁぁい!! たぁぁぁぁぁぁぁぁい!!」

 邪念を振り払うために自分で頬を引っ叩いたら、まったく同じタイミングで氷野さんに尻を蹴られた。


「はわ! 姉さま! 兄さまを蹴っちゃダメなのです!」

「うっ……。ち、違うのよ、心菜」


 氷野さんが気まずそうである。

 ここは俺が一肌脱ごうじゃないか。


「そうだよ、心菜ちゃん。姉さまは、俺に気合を入れているんだ。その証拠に、俺は全然嫌な顔してないだろう?」

「そう言えばそうなのです! 兄さまちょっと嬉しそうなのです!」


「……フォローは助かったけど。あんた、蹴られて喜んでたのね。この変態」

 ひでぇ言い草である。


 そして、衝撃的な天使の一言をもって、この話は終わる。


「えとえと、兄さま?」

「おう、どうしたんだい?」



「心菜にキックされても、兄さまは嬉しいのです?」

「…………えっ!?」



 これほどまでに答えの出ない問いと対面したことがあっただろうか。

 お嬢様女子校は秘密の花園。


 なるほど、迷い込んだら最後。

 無事にここを出られる可能性は限りなく低いかと思われた。



 ……アリ、かな。

 うん。アリ寄りのアリ。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


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