第53話 大博打の見返り
●二〇一九年 四月二四日(火曜日)
翌日の朝のニュース番組では、昨日の記者会見の模様を盛んに取り上げていた。
『まったく、こういうのを開き直りというんですよね。面の皮が厚いですよ、この人は』
『ええ、おっしゃる通りです。世間の方々が今、新城議員に対して疑心を抱いているのを利用して、新城氏は自分の罪を正当化しています。自分の非を認めず、社会的弱者の立場を盾にして、自分にとって都合の良い理屈をこねくり回す。こういう人間がいるから、世の性分化疾患の方々に対する差別がなくならないんです』
『挙句の果てに、マスコミ批判までしましたからね。新城氏に何の疑惑や罪がないのなら、我々報道関係者もこうやってニュースに取り上げませんよ。品性の欠片もない。やはり、ああいった人格に問題のある人物が、養護教諭の仕事をするのは間違っていますよね。学校側の運営に対し、第三者がメスを入れる必要がありますよ』
ベテランの男性アナウンサーに話を振られ、隣の席に座るコメンテーターが声を荒立てる。報道の姿勢について文句を言われたことが、よほど腹立たしかったらしい。碧がいかに傲慢な人間であるのかを強調し、今後もマスコミが追及すべき、という話の流れとなっていった。
次に画面が切り替わり、街頭インタビューの様子が映し出される。道行く国民も、昨日の碧の態度にはカチンと来たようだ。碧に同情する声はほとんど上がらない。ここ最近イメージが悪くなっていた上に、あれだけ喧嘩腰の会見をしたのだ。世論が碧に同情的な流れに向かわないのは当然であろう。彼らの言うように、「自分の非を認めない開き直り」と受け取られても、仕方がないことではある。世間にとって、碧は完全に悪役となっていた。
また、世間からの視線がより一層厳しくなったのは、碧だけではない。過去に手術ミスをもみ消していたことを暴露され、真一はさらなる窮地に立たされていた。
『そのような証拠など、どこにもありません。翡翠を渡したくないせいで、口から出まかせを言っているに過ぎませんよ!』
と、昨夜は取材陣の前で強く言い張ったものの、説得力は全くもって乏しい。碧の会見終了を見計らった大勢の記者達によって、街中で選挙活動中だった彼は包囲されたのだ。会見内容を無視するわけにもいかず、事務所の人間から最新の報告を受け続けてはいたのだろう。それでも、表情には焦りが色濃く出ており、見苦しい言い訳を最後までまくし立てていた――そうした一部始終が、今日の朝刊で報じられている。
真一への取材が終了してから、ほぼ間を置かず。彼の嘘をあっさりとひっくり返したのが、続いて発表された早乙女の声明だった。彼女は、碧の記者会見について、昨日の午前の段階で眉村から聞き、ずっと備えていたのだ。一昨日の日曜日、早乙女に全面協力を約束してもらった後、眉村が(本人曰く、「こんなこともあろうかと!」と)必要な機材や人員等も手配していたらしい。世界的な動画投稿サイトで生放送を配信し、早乙女は一〇年前の真実を洗いざらい語った。
『当時、執刀医だった新城真一議員の手術ミスにより、患者の方が亡くなられた医療事故。その隠蔽の見返りとして、私は彼の弟である碧氏を自らの研究に利用しました。それら一連の罪につきましては、弁解の余地などありません。医師として、一人の人間として、あまりにも人道から外れた行いに手を染めました』
この生放送動画は一般人のSNSなどを通じ、全国中に拡散されていった。
通常ならば、膨大な数の配信動画の山に埋もれ、視聴者のほとんどから見向きもされないはず。それなのに、なぜ放送後の今も、爆発的な勢いで再生数を伸ばし続けているのか。
主な要因は、どうやら碧の記者会見という高い注目度にあったようだ。会見を終えて碧が場を去るとき、そのすぐ後ろで眉村が報道陣に向け、短い予告の言葉(真一に対策をさせないために、早乙女の名前は伏せて)を残していった。テレビ各局の番組による生中継を逆に利用し、ちゃっかりと無料で生放送配信のCMを行なったのである。さらに、真一の言い訳を引き出してすぐに放送、というタイミングの良さも効果が大きい。実に鮮やかなカウンター攻撃だった。早乙女のもとへも取材申し込みが殺到中、とニュースで報じられている。
碧の記者会見だけならまだしも、同日に早乙女を表舞台へと連れてくることまでは、真一もさすがに予測できなかったはずだ。会見終了の直後、彼は取材陣に取り囲まれ、身動きが取れなくなっていた。そのせいで、眉村が予告した謎のインターネット生放送(配信主が早乙女だという情報も知らなかった)に対し、対策を練る時間も与えられなかった。おまけに現在、真一自身の選挙運動期間中であるがゆえに、自宅に逃げて引き籠ることもできない。彼からすれば、まさに八方塞がりの状況だったといえる。
これら一連の連携こそが、昨日眉村に提案された『反撃』の正体だ。
記者会見を開くよう、碧が世論に追い込まれたことを受け。眉村はすぐさま、今回のシナリオを作り上げた。それから、碧や校長との打ち合わせをしつつ、四国にいる早乙女にも指示を送っていたのである。あるいは、起こり得る可能性をいくつか想定し、それぞれに合わせた大まかな計画を、事前に用意していたのかもしれない(早乙女の動画配信に必要な機材や人員を、前もって手配していたことから、今回のような事態をある程度予見していたのだと思われる)。いずれにせよ、弁護士として多くの場数を踏んできたからこそ、養われた先見性であろう。
眉村が警戒していたのは、会見予告を受け、真一陣営がどう動いてくるか。作戦の成否を左右する、大きな不安要素だった。敵の動向次第――まあ、当たり前と言われれば、それまでなのだが。
もちろん、勝算がなかったわけではない。それが、真一の抱えるいくつものスキャンダルである。
仮に、報道陣の前で彼に先手を打たれていたならば、碧側は危うくなっていたかもしれない。おそらく、真一もできることなら、そうしたかったのだろう。しかし、違法献金問題や碧との泥沼闘争についての追及を過剰に恐れ、真一と事務所関係者はマスコミの取材を避けていた。そうしながらも選挙活動によって、少なくとも日中は真一本人の動きが制限される。そんな自縄自縛の状態であった。『週刊未来』最初のスクープが発表された当日、弁護士を派遣して碧を買収しようとしたのは、自分の身動きが取れない状態の中で、どうにかひねり出した足掻きの一手。それも碧に蹴られてしまい、さらなる窮地へと追い込まれた、ということか。
もしかすると、水面下ではマスコミ業界となんらかの裏交渉を行なっていたのかもしれない。その点は碧の邪推ではあるものの、あの真一ならばあり得る話だった。真実はともあれ、マスコミを止めることはできなかったのは確かである。なぜなら、先週の『週刊未来』の記事発表からずっと、世論は碧と真一への批判で絶賛大炎上中だからだ。そんな情勢下で、碧の会見予告という魅力的な燃料が投下されたのだから、真一に忖度した報道をするわけがない。
そういった情勢のもとでは今更、真一が碧を事故に見せかけて殺害(あるいは大怪我を負わせて、「次はないぞ」などと脅す)したり、碧や翡翠を拉致したりする可能性は低い。碧も真一も、お互いにメディアから厳重に監視されている身だ。下手なことをすれば、すぐに証拠を掴まれるだろう。それに、碧を殺そうが翡翠を奪おうが、世間の印象があまりに悪すぎて、どんな誹謗中傷の記事を書かれることか。
あとは碧の記者会見後、記者達がどれだけ素早く、真一への突撃取材を仕掛けてくれるか。こればかりは、マスコミのフットワークの軽さと、底意地の悪さを信じるほかなかった。
……もっとも、肝心の碧が記者会見で失敗をやらかしていたら、この『反撃』はぶち壊しになっていたのだが。碧が喧嘩腰の発言を連発した会見本番では、眉村は内心気が気でなかったに違いない。
その眉村の事務所は、真一陣営からの汚い妨害工作を受けていたようだ。昨日の夕方、会見開始直前に碧が心配して訊ねると、
「弁護士活動をしていたら、そんなの日常茶飯事ですから」
と、眉村に軽く笑われた。相手が国会議員なので、本当は笑いで済まないことも、色々とあったのかもしれないが。
ともあれ、作戦成功の報酬は大きかった。
真一にはまだ他にも余罪があるのではないか、とマスコミは調査で駆けずり回っているようだ。次なる嘘の用意のために大慌てしている兄の姿が、碧にも容易に想像できた。
さらに畳みかける形で、眉村は例の音声データの一部をマスコミに昨夜公開していた。音声の主が真一本人のものであるのか、マスコミ各社は現在、専門家に声紋鑑定を依頼しているらしい。
過去一〇年間の真一の公式発言と、音声データの発言内容との比較。加えて、早乙女の暴露話。それらの中から浮かび上がってくる矛盾の数々が、これからマスコミによって徹底的に追及されていくことであろう。
……などと碧は考えながら、テレビ画面をぼんやりと眺める。ニュース番組では、碧達についての話題を切り上げた。次は、昨夜首都高でタンクローリーが横転し、火災を引き起こした交通事故の現場映像を流していく。
と、居間で充電中のスマートフォンが、電話の着信を知らせた。すぐにそれを手に取った碧は、画面をタッチして通話をする。
「はい、もしもし」
『あ、新城さん、おはようございますっ。ひょっとして、起こしてしまいましたか』
電話をかけてきた主は、眉村だった。朝早くから彼女の大声を聞かされるのは、少々鼓膜に悪い。碧は反射的に、スマートフォンの画面から耳を少し離す。
「いえ、大丈夫です。ご用件は?」
『それなんですけど、新城さん。今、テレビをご覧になれますか?』
「はい、ちょうど朝のニュース番組を見ていたところです」
『ということは、昨日の会見についての報道をご覧になられましたか?』
このタイミングで電話をかけてきたということは、どうやら眉村も同じ局のニュース番組を見ていたようだ。挑戦的で強気に満ちた声が、電話越しに聞こえてくる。
『ふふっ、彼らが言う《自己正当化》という言葉が、誰のために使うべきものなのか。今後の裁判で明らかにしましょう。それでは、失礼しますっ』
「はい、こちらこそ失礼します」
眉村から電話を切られ、碧は大きく背伸びをした。
「さて、と。そろそろ翡翠を起こさなきゃ」
居間を歩きながら、碧はこれからのことについて考える。
昨日の校長との約束通り、碧は今日から二か月間休職する。表向きには碧の自主的な行動、という形ではあるが、実質的には自宅謹慎処分であった。当然、保護者会が満足するはずがなく、もっと重い処分を求めるだろう。それに対し、校長をはじめとした白鷺小学校の職員達は、教育委員会や保護者会に訴えてくれるのだそうだ。それも、どこまで効果があるのか分からないが……。
最終的には、教育委員会からの正式な沙汰を待つことになる。碧が仕事に復帰するためには、彼らの心証を少しでも良くする必要があるのだが、昨日の会見の後ではとても難しいだろう。停職か、減給か。最悪の場合、懲戒免職も本気で覚悟しておく必要があった。
「……仕事をクビ、か。貯蓄は多いとはいえないし、日々の生活費で削れていくからなぁ。だからといって、翡翠の学費のための貯金には手は出せない。となると、今のうちから次の仕事先を探した方が良さそうだよね」
これから先、碧は白鷺小学校に全く行かなくなるわけではない。少なくとも、今日から後任の養護教諭が学校にやって来るので、その人物に引継ぎを行う必要があった。
「翡翠、朝だよ。起きなさい」
碧は自室のドアをノックし、ゆっくりと開く。碧のベッドを覗いてみると、翡翠が子猫のように背を丸めて眠っていた。翡翠は、昨夜も碧と一緒に寝たいとねだってきたのだ。
「んぅ……もう、朝?」
目蓋を重たげに上げながら、翡翠は碧の顔を見上げる。その愛らしい姿に、碧は思わず微笑みをこぼした。
翡翠をベッドから車椅子へ移動させると、碧はキッチンへと足を運ぶ。コンロで温めておいた鍋から、味噌汁を椀に装った。テーブル上に置かれた二人分の皿には既に、カリッと焼かれたた目玉焼きと、サラダのセットが乗せられている。続けて、トースターが機械音を発し、香ばしい食パンの匂いを碧の鼻孔に運んできた。
隣の居間にあるテレビからは、昨日の会見についてのニュースが聞こえてくる。
碧と翡翠を散々振り回してきた世間に対して、碧は昨日言うべきことを吐き出したつもりだ。批判が巻き起こるのは覚悟の上だったが、あれが今後の展開にどう影響するのか。
何はともあれ、碧と翡翠の未来を決めるのは、裁判の結果次第であろう。
そう開き直ったところで、再びスマートフォンが着信を告げた。手に取って確認してみると、今度はメールだ。
その送り主の名を確認し一瞬、碧の呼吸が止まる。
「え……」
メールの文面そのものは、ごくごく簡素なものだった。
『がんばって』
ただ、それだけ。その一言には、様々な想いがぎゅっと込められているのが分かった。
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