第49話 いざ戦場へ
午前一〇時過ぎ。碧から連絡を受けた眉村が、学校に到着した。
碧は手の空いた時間などを利用し、校長を含めて三人で打合せを重ねる。記者会見を開く場所での予行演習も行なった。それでも、わずか半日の準備では万端とまではいかない。
眉村いわく、予行演習があまりできない記者会見は、そう珍しいものではないのだという。企業などの緊急謝罪会見などの場合、事態を把握するだけで手一杯になってしまいがちであるらしい。そこで眉村は、記者会見を成功に近づけるため、二つのポイントを碧に提示した。
一つは、絶対に毅然とした態度を貫くこと。謝罪会見の場合は、下手に反論すると記者や視聴者の心証を悪くする。そのため、誠意を示すために「全ての責任は自分にある」とひたすら低姿勢でいなければならない。だが、今回は謝罪会見ではないのだ。及び腰を見せれば、たちまち記者に付け込まれてしまう。臆さず、正面から自分の意見を述べる必要がある。
もう一つは、記者会見の達成すべき目的や、伝えるべき要点をしっかりと自分の中で整理しておくこと。話術のプロではない碧は、たくさんの記者達に囲まれると、どうしても緊張してしまう恐れがあった。そのせいで、たどたどしい説明になってしまい、これもまた記者に付け込まれる要因となる。結果、伝えたい要点を言えず仕舞いになってしまう。
本来ならば碧も、もっと専門的なアドバイスを聞きたかった。だが、時間がないのに、素人が知識を中途半端に齧り、付け焼刃で会見に臨めば絶対に失敗する、と眉村は言った。今回は、この二つのポイントを厳守するしかない。この記者会見は、後々の裁判にも影響を与える、大事な局面である。うっかり失言をしてしまえば、翡翠を失うことに繋がりかねないのだ。
また、打ち合わせの途中で、眉村から他にも説明があった。
「夕方の会見と連携して、こちらの『反撃』を予定しているのですが。これらの実行には、依頼人である新城さんのご了承が必要となります」
「反撃、ですか」
「ええ。まあ、ぶっつけ本番で、歯車が全て噛みあうかは分かりません。成功は保証しかねます。ですがその分、リターンは大きいですよ」
眉村はニヤリと笑い、『反撃』の具体的な内容を語り始める。
まさに、一か八かの賭け。それでも、崖に追い詰められた碧にとっては、救いの言葉に聞こえたのだ。
「……以上が、今回の『反撃』における一連の流れです。まあ、ぶっちゃけ、我々の会見が失敗してしまったら、元も子もなくなるんですけどね。今はプラス思考で、成功を前提としましょうっ。この作戦、いかがでしょうか?」
「僕は、眉村先生の作戦を活路と信じさせていただきます。どうか、よろしくお願いします」
真っすぐに頼み込む碧に向け、眉村が笑顔で右手を差し出してくる。二人は固い握手を交わした。
その賭けは、はたして上手くいくのか――未来を視る眼など持っていない碧は、ただ信じるしかなかった。
そうして、時間が普段に比べて、幾重も早く過ぎていく。
放課後には、児童達の多くが不安そうな声を残して下校。校内に児童が一人も残っていないことを、教職員達が校内を回って確認した。その後、学校の敷地外で張り込んでいた大勢の取材陣を、事務員達が記者会見の場へと案内する。
気づけば、約束の午後六時まで、とうとう三〇分前となっていた。
「新城先生、頑張って下さいね」
「負けないで」
翌日の授業の準備に追われていた同僚教師達や、事務員達が励ましの声をかけてくる。碧は彼ら一人一人に対して、丁寧に会釈した。
そこへ、ズボンのポケットに入れていたスマートフォンが、バイブレーション機能を使って着信を告げてくる。どうやら、電話をかけてきた相手は真一ではないようだ。碧の記者会見が決定してから、真一からの電話が何度も何度もかかってきた。おそらく、「記者会見で余計なことをしゃべるなよ」とでも釘を差したいのだろう。無論、碧は一度も電話に出ず、着信拒否をしていた。
「三橋さん?」
画面に表示された着信主は確かに三橋だった。彼女には、今日碧の帰宅が遅くなることを、昼間のうちに電話で伝えておいたはずだ。それなのに、こんな時間にどうしたというのだろうか。まさか、翡翠に何かあったのか。碧は緊張と共に、受話ボタンを押す。
「はい、もしもし」
『ああ、あんたかい』
「もしかして、何かあったんですか」
焦る気持ちを表に出さないよう、碧は冷静さを心がけながら問いかけた。だが碧の思いとは裏腹に、三橋は明るい声を返してくる。
『あんた、自宅の電話機の電源コードを抜いているだろう? それで、この子がどうしてもあんたに話がしたい、って言うから、あたしの携帯電話を貸してあげたんだよ』
「翡翠がですか?」
『ああ、そうさ。今替わるね』
三橋のすぐ隣にいるのだろう、少しの間を置いて翡翠の声に交替する。
『お父さん!』
「翡翠、どうしたの? 何かあったのかな」
『ううん、私は大丈夫だよ』
翡翠は何やら思いつめたように、声に硬さを込めている。
『あのね、お父さん。お父さん、これからテレビに出るんでしょ?』
「うん、よく知ってるね」
『お家に帰ってきてテレビをつけたら、そのことばっかり放送してるんだもの』
翡翠の鈴の音のような声には、うんざりとした響きが感じられた。碧の記者会見が、それだけ国民の多くから注目を集めている、ということなのか。芸能人の離婚会見でもなく、たかが一般人の話など、そんなに興味を引かれるものではないだろうに。碧は、テレビ局に呆れてしまう。
『お父さん。私、何があってもお父さんの傍から離れないからね。伯父さんなんて来ても、追い返してやるんだから』
「翡翠」
『だからお父さん、頑張って!』
翡翠の激励。これほどまでに勇気づけられる言葉があるだろうか。碧は、胸の奥が強く揺さぶられるのを感じた。そうして、力強い声を返してやる。
「うん、行ってくるよ。お父さん、絶対に家に帰ってくるからね。翡翠も待っていて」
『うんっ!』
愛おしい娘との電話を切り、碧はスマートフォンを机の上に置いた。それから、自分の両頬を何度も張り手し、気合を入れる。もう迷いや恐怖は微塵もない。
ここから先は、碧の戦いだ。
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