第48話 最悪の中の最善を尽くせ

 マンションから一歩でも出ると、相変わらず報道陣が纏わりついてくる。それらを完全に無視し、碧は翡翠と共に車で学校へと向かう。いつものように翡翠と校舎二階で別れ、校舎中の窓開けや石鹸、トイレットペーパーのチェックを済ませた。


「おはようございます」


 職員室に入ると、朝から教職員達が電話対応に追われている姿が見えた。児童の欠席連絡という通話内容ではない。どうやら電話の相手は、一般市民からのクレームやマスコミの電話取材であるようだ。それらの原因が自分であることに、碧は罪悪感を覚えずにはいられなかった。


「新城先生、ちょっとよろしいですかな」


 教頭に呼び止められ、碧は職員室の隣にある校長室へと移動する。校長室のソファには、校長が腰かけて待っていた。碧を残し、教頭は職員室の自分の席へと戻っていく。


「お呼びでしょうか、校長先生」

「ええ、とりあえず、どぉぞ座って下さい」


 碧は校長に会釈してから、校長の正面のソファに着席する。校長の顔には疲労が色濃く浮かび上がっていた。おそらく、土日は教育委員会からの対応に追われていたのだろう。


「ご存じだとは思いますが現在、学校の周辺はマスコミが絶えず目を光らせているんですよぉ。校区内に住む児童やその保護者の方々に、有る事無い事言いふらし、新城先生や本校の評判を落とそうとしているようですねぇ。教育委員会にも連日、新城先生を一刻も早く解雇するように、という電話がかかってきています。このままでは、学校運営そのものに深刻な影響が出てしまいますし、何よりも児童達が安心して過ごすことができません」

「……本当に申し訳ございません。全て、僕の責任です」


 ひたすら平謝りするしかない碧に対し、校長は困り果てたように深いため息を吐く。苦渋に満ちたその表情から、碧は次に何を言われるのか予想できてしまった。


「私は、子ども達を守る教員の一人です。でも同時に、学校運営を任される責任者として、部下の先生方を守る立場でもありますよぉ。新城先生は、これまで児童の心と身体のケアのために、頑張って働いてくださいました。そのことは、私達教職員も各々の目で見てきましたよぉ。ですが、どうやら教育委員会側は新城先生を懲戒免職にすることによって、事態の収拾を図るつもりのようですねぇ。私はこの学校で共に働く同僚として、できれば新城先生の首を切るような真似はしたくありません。私の方から教育委員会には説得に当たり、最悪の形だけは回避するよう努力してはいるんですけどねぇ」


 校長は疲れ果てた様子で、頭を振った。


「とは言え、何らかの処分を下さなくては、保護者会や教育委員会、そして世間が納得しないでしょうねぇ。一時的に休職なさった方が良いかもしれません。もちろん、何年もというわけではありませんよぉ。一か月から二か月といった程度、要はほとぼりが冷めるまでですねぇ。その間に私達も、できる限りの手を打つつもりですよぉ」


 大人しくしていれば、すぐに世間は碧のことなど忘れてしまう。それまでの辛抱だ。校長はそう言いたいのだろう。


 真一は自分にかかった嫌疑を晴らすために、毎日のようにテレビに出ている。碧がいかに悪逆の人物であるか、を報道陣に熱弁をふるっているのだ。衆議院選挙が行われるのが、五月の上旬。真一の支持率は下がる一方で、今の流れのままでは落選を免れないだろう。選挙後のマスコミの関心は当選候補へと移り、いつまでも碧達の話題に固執することはないかもしれない。


(いや、その可能性は低い)


 碧は、自分の楽観的思考をすぐに打ち消した。


 かつてブームを巻き起こした子どもをめぐって、世間から猛批判を受けている兄弟が骨肉の争いを行う。マスコミからすれば、騒ぎ甲斐のある玩具である。そう簡単に手放すはずがない。


 一方、児童の保護者達や教育委員会は、一か月や二か月程度の謹慎処分で許すのだろうか。否、それもありえないだろう。教育委員会は自分達への火の粉を払うためにも、碧の首を切って早く幕引きとしたい。保護者達は、「悪魔のような教師」を自分の子どもに近寄らせたくない。そんな彼らが、碧を一ヶ月の謹慎処分程度で許すとは考えにくかった。

 少なくとも、今後の裁判で勝訴して、碧が濡れ衣を晴らさなければ、彼らの厳しい視線が変化することはないだろう。


「校長先生、よろしいですか」


 そこへ、教頭が再び校長室へと入ってきた。こちらも朝から疲労困憊といった様子だ。


「マスコミと保護者の方々が結託して、押しかけてきています。新城先生本人に謝罪会見をさせろ、とか、早く学校から追い出せ、という抗議の声がやみません。子ども達の登校の妨げにもなっており、どう対応すればよいものか」

「そうですか……」


 校長は重々しく頷き、それから碧を真っ直ぐに見つめる。


「一度、会見でもしなければ、保護者の方々もマスコミも静まりそうにありませんねぇ。どうでしょう、新城先生ぇ。休職なさる前に、思う存分言いたいことを言ってみせる、というのは」

「……よろしいのですか?」

「えぇ。あなたの口から、真実を語ってみせて下さい。もちろん、世間が話を受け入れてくれるとは限りませんよぉ。ですが、やられっぱなしでは、このまま懲戒免職を待つだけですから」


 どうせクビになるのなら、せめて自分の主張をマスコミの前で言ってこい、というわけか。その程度しか手段が残されていない現状に対し、もはや碧はため息すら出なかった。


 真実を語ったところで、世間がそれをすんなり信じてくれる、などという希望に満ちた幻想を、碧は抱こうと思わない。一度作られた大きなマイナスイメージが、会見一つで吹き飛ぶはずがないからだ。それどころかより激しい反発を生み、正義漢を自称する者達によって、翡翠が直接危害を加えられる恐れもある。それならば、一〇年前のように世間が興味を失うまで耐えるべきなのだろうか? 


 いや、今回は一〇年前と状況が異なる。このまま碧が黙秘してしまえば、「真一に翡翠の親権を譲る」と公言するようなものだろう。また、碧が本当に「悪魔の教師」であり、「日常的に翡翠を虐待していた」と認めてしまうことにもなる。ここは世の流れに逆らってでも、碧が自身の主張と正当性を世間に示す必要があるのではないか。先日の翡翠の涙を思い出し、碧は頭を振った。


(たとえ職を失うことになろうと、翡翠を守ることが絶対に最優先だ。そのためには、できる限りの手を打つ)


 脳をフル稼働させ、苦悩の末に碧は決断を下す。


「僕の担当弁護士の方に、電話で聞いてみます。許可をいただけるなら、その弁護士の方にも会見に同席してもらいたいのですが」

「ええ、もちろん、かまいませんよぉ。専門の方が傍にいてくれるのなら、新城先生も心強いでしょう」


 校長に許可をもらった碧は、電話のコール音が鳴り響く職員室へと戻り、自分の席へスマートフォンを取りに向かう。と、隣の席に座る瑞希に声をかけられた。瑞希の顔には飄々とした笑みが浮かべられているが、わざと作ったことがバレバレの表情である。


「もしも碧先生が学校をクビになったら、私が婿にもらってあげてもいいんだよ? うちの娘も碧先生のことが大好きだから、きっと賛成してくれると思うなぁ」


 瑞希のおどけた口調に、思わず碧も苦笑を返してしまう。


「それを成功させるには、翡翠の説得が最難関となりそうですよ」

「確かに最難関だね」


 瑞希と碧は顔を見合わせ、どちらからともなく吹き出す。こんな緊迫したときでも、軽口を叩いてくれる友人の存在が、碧にはとてもありがたかった。







 日中は授業があるため、会見は午後六時から行われることとなった。午後六時に会見を開く、と学校側が宣言したおかげで、マスコミや保護者達は抗議の声を一先ずは緩めてくれたようだ。


 もうすぐ職を失うかもしれなくても、碧は普段通りの姿勢で仕事に臨んだ。休み時間になると、児童達が保健室へと押し寄せてくる。学年はバラバラだが、彼らは揃って目に涙を浮かべていた。どうやら、自分達の親が碧をやめさせようとしているのを、見聞きしたようだ。


「新城先生、学校をやめるって本当?」

「私嫌だよ、先生やめないで」

「どうして先生がやめなきゃいけないの?」


 碧は羽織っている白衣に縋り付く児童達を、優しい笑顔で宥める。

「大丈夫、心配しないで下さい」

「本当に大丈夫?」

「ええ」


 仕事をクビになるときに、児童に引き止めてもらえるというのも、教師をやっていた甲斐があったのかもしれない。児童達と話しながら、碧はそう感じた。

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