第41話 繰り返された過ち

 しばらくして校長室に入ってきたのは、三人の女だった。ブランド物のバッグを抱き、いかにも教育ママ、といった高圧的な眼光を放っている。全員が保護者会の役員を務めており、自分達の気に入らないことがあると、すぐに学校へ乗り込んでくることで有名だ。いわく、運動会の徒競走で自分の子どもが一等賞を取れないのは、担任の指導が悪い。いわく、図工の授業で描いた絵を廊下に貼り出す際には、自分の子どもが一番目立つ位置にすべきである。などなど……。そのクレームのしつこさのため、教職員の間では畏怖の存在とされていた。


 校長は保護者会役員達に黒塗りのソファに座ってもらい、自身もその正面に着席した。碧も教頭の隣に腰を下ろす。


「それで、本日のご用件というのは――」

「新城先生を即刻、懲戒免職にして下さい」


 教頭の言葉の上に、保護者会役員の一人が鋭い声を被せる。強硬な態度で臨んでいることが、声色からも窺えた。


「私達保護者は、新城先生が半陰陽であることを、一度も知らされていませんでした。明らかに説明義務を怠っていますよね。男にも女にもなり損ねた方が、男子児童と女子児童の心の悩みを理解できるとは思えません。明らかな人選ミスです」


 高圧的な罵倒に対し、碧は息を呑みそうになるのを、どうにか堪える。それでも動揺が相手にも伝わったのか、保護者会役員達が鬼の首を取ったかのような表情で、碧を嘲笑した。彼女達が「半陰陽」という古い表現を使ったのは、性分化疾患についての知識が少ないこともあるのかもしれない。何よりも、碧を貶める狙いが大きいのだろう。


 中高生時代は担任教師やクラスメイト達から嘲笑と蔑みの理由とされ。


 一〇年前の報道を機に「可哀想」と哀れみの目を世間から向けられ。


 そして今になってまた昔に逆戻りだ。

 この世に生を受けたときから、ずっと纏わりついてきた呪い。碧の身体は結局、一見すると人間のような姿のバケモノに過ぎないのだろうか。


(この身体のことを隠していたせいで、結局同じことを繰り返してしまったのか)


 男と女のなり損ない。自分の異質さを一生背負うと決めた碧だが、それでも保護者会役員の言葉は、呪縛となって襲い掛かってくる。この白鷺小学校の保健室を預からせてもらっている身として、子ども達一人一人の心の悩みと、常に真剣に向き合ってきたつもりだ。それでも、男女それぞれの繊細な悩みを、どんなときでも正しく理解してあげられている、とは言い切れる自信がない。


「ご説明をしていなかった理由としましては、新城先生のプライバシーを守るためです。それに新城先生の身体の事情が、児童への教育に支障をもたらすものではない、と私どもは判断していましたので。半陰陽――正確には、性分化疾患の人間に教師の資格がないとおっしゃるのであれば、それは新城先生への人権侵害です。実際、新城先生は養護教諭としての仕事をきちんとこなしていますし、児童からも厚く信頼を寄せられていますよぉ」

「今朝発売の週刊誌をご覧になっていないんですか! 新城先生は、ご自分が差別されてきたことを逆恨みして、自分の娘に虐待をしているそうじゃありませんか。そんな如何わしい人間には、児童に教育を行う資格なんてありませんよ。一日でも早く、後任の養護教諭の方に来ていただくべきですっ」


 冷静に答える校長に対し、保護者会役員は噛みつくように声を荒げた。さらにその隣の役員が話を場の勢いに任せて、攻撃の矛先を変える。


「それと、この際ですから言わせていただきますよ。うちの子は昨年度から、新城先生の娘と同じクラスです。障碍者と同じ教室で生活をするせいで、彼女に対して余計な気遣いをしたり、面倒事を任されたりすることが多いんですよ。それだけでも大きな負担なのに、この人の精子と卵子だけで生まれた『複製品』だなんて……気持ち悪い! この校舎で一緒に過ごしているだけでも、他の児童に対して悪影響を病原菌みたいに振りまいているんですよっ」


 役員の一人が碧を不躾に指さし、わざとらしく身震いした。


 役員達の言う「負担」とは、健常者の児童を持つ親として、当然といえば当然の主張ではあった。たとえば、白鷺学校では車椅子を運べる階段昇降機が一箇所しか設置されていない。そのため、教室移動や休み時間などの際、他の児童達からの配慮を受けずして、翡翠は学校生活を送ることが難しい。幸いにも翡翠のクラスメイト達は翡翠をお荷物扱いせず、仲良くしてくれているようだ。だが、遠足や運動会などの大きな学校行事になると、どうしても足枷を意識してしまう瞬間も生まれるだろう。さらに、来年の五年生になると林間学校、六年生では修学旅行が控えている。もちろん、できるだけ翡翠が他の児童達と同じように学校生活を送り、彼らと思い出を共有できるよう、養護教諭である碧を含めた教師陣は全員、配慮を欠かしたことはない。


 それこそが、健常者の児童の一部保護者から見れば、「負担」であり「不公平」なのである。教師達が翡翠に対して配慮をすれば、その分だけ他の児童へ意識を向ける時間が減る、という考え方だ。それは、碧が養護教諭である前に一人の親として、健常者の児童やその保護者達に対して抱く、強い負い目だった。


 だが、保護者を代表する大人達が、一人の児童を「病原菌」扱いするのは、あまりに品性に欠けているではないか。娘を悪し様に罵られた碧は、頭に血が上り、思わず話に割って入ろうとする。――が、傍らの教頭に、視線で制された。


「……っ!」


 教頭が言いたいことは勿論、碧も分かっている。ここで碧がキレても、事がより一層こじれてしまうだけなのだ。つい先刻、校長が「碧はこの場にいるだけでいい」と言ったのは、事態の悪化を少しでも食い止めるためである。碧としても、これまで散々世話になってきた白鷺小学校に、これ以上の迷惑をかけるわけにはいかない。


(くそっ、このまま黙っていることしかできないのか!)


 碧は頬を痙攣させながら、燃えたぎる怒りを無理やり胃の奥へと流し込んだ。


「障碍者の児童と一緒に授業を受ける、という経験は、教育においてとても大切なことです。相手を気遣い、思いやる心を育てるのも、児童の成長に欠かせませんよぉ」


 校長は落ち着いた声音を崩さずに反論するが、それで役員達が納得するはずがない。


「思いやる心は、普通の子達と生活していれば、自然と身につきます! お荷物にしかならない児童の面倒を見るなんて、他のクラスの児童に比べて不公平ではありませんか」

「では、クラス替えをしろ、と?」

「いいえ。それでは、別の児童の負担になるだけです。新城先生の娘には特別支援学校に転校していただきましょう。そうすれば、児童全員が安心して学校生活を送れます」


 やはり、そう来たか。碧は思わず唇を噛み締める。


 翡翠が普通学校で教育を受けることについて、保護者会の役員達の一部は以前から反対していた。養護教諭の碧がゴリ押しで入学させた、と見ているのだ。今回の報道で碧を責める際、その娘も一緒に厄介払いをしてしまおう、というのだろう。


 全国を見渡すと以前に比べ、車椅子生活の児童を受け入れる学校が増えつつある。「健常者の児童と一緒に学校生活を送り、たくさんの友達を作ってほしい」という保護者達の活動の成果が実ってきたのだ。当然ながら、学校側に受け入れてもらうためには、周囲の理解が必要不可欠。碧も保護者会などを通じ、何度も説明を重ねて頼み込んできた。


 だが、保護者会のメンバーが訴えるように、障碍者の児童をお荷物扱いする健常者の児童や、その保護者は世の中で少なくない。障碍児を普通学校に通わせることを、当人達のエゴだと主張する者もいる。そう批判されると、他の児童に負担を強いている負い目もあって、障碍者の保護者は強く言い返せないのだった。


 こんな事態になるのなら、やはり翡翠を市外にある特別支援学校に入学させた方が良かったのだろうか。碧が今更自問しても、後悔の材料を増やすだけであった。






 保護者会役員達は散々口汚く罵った後、校長室を出て行く。それと同時に、授業終了を告げるチャイムが鳴り響いた。碧が校長室から出てきたところへ、瑞希が心配そうな表情で現れる。


「碧先生。大体の話は聞いたよ」


 意気消沈する碧を気遣ってか、瑞希は普段の軽口を叩かない。


「これから、マスコミや世間のバッシングは激しくなると思う。翡翠ちゃんはもちろん、他の子ども達にまで危害が及ぶ恐れがある」

「……はい」

「でも、ここは学校だよ。そういった連中の攻撃が及ばない聖域であるべきなの。聖域を守るためにも、碧先生は自分の仕事をしよ。ね?」


 瑞希は碧の背中を軽く小突いて、いつもの柔らかな笑みを作った。それを見て我に返った碧は、自分の両頬を何度も叩き、気を引き締める。瑞希の言う通り、どんなに教師が不安に感じても、その動揺を児童達に悟られようにしなければいけない。それが、プロである教師としての務めだ。


「ありがとうございます、岸本先生」

「ふふ。お礼として、今度ご飯をおごってもらうからね」

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