第27話 厄介事の取材
●二〇〇九年 六月二二日(月曜日)
育児生活において、何よりも碧を辟易させる面倒事が、マスメディアによる監視だ。
「はい、次はこちらを向いてください。あ、翡翠ちゃんのその表情可愛いですね~」
カメラマンの胡散臭い褒め言葉と、耳障りなシャッターの連続音が新城家の居間に響き渡る。碧の腕に抱かれた翡翠は、物珍しそうにカメラのレンズを見つめていた。もうすぐ生後三ヶ月が経とうとしており、少しずつ視覚や聴覚が発達しているのであろう。生まれたばかりのころに比べ、周囲の物に興味を向けるようになっていた。色の綺麗なものや動くもの、それに音や光を発するものが、特に気になるらしい。
この日行われたのは、週刊誌六社による合同取材だ。碧の育児風景を記事にしたい、とのことで、既にかれこれ二時間が経過している。ソファに腰掛けて微笑みを浮かべる碧だが、その頬は僅かに引きつっていた。育児による疲労と睡眠不足のせいで意識がフラついており、平静を装うのに苦労しているのだ。
早苗は外せない急用で出かけており、真一も仕事の都合で病院にいる。碧がボロを出しても、フォローをしてくれる者はいない。
「翡翠ちゃん、そろそろ言葉は覚えましたか?」
記者の一人が軽薄そうな笑みと共に、次の質問をする。もちろん、まだ生後三ヶ月しか経っていない翡翠が、言葉を話せるはずがない。だが、内心の苛立ちをおくびにも出さず、碧は困ったように笑う。
「ふふ、さすがにまだ無理ですよ。でも、早く何か話せるようになるといいな、って毎日この子の顔を見ながら思っています」
「最初にしゃべってほしい単語は『ぱぱ』ですか、『まま』ですか?」
碧の身体の事情と性自認の曖昧さを踏まえると、かなり不躾で無神経な質問である。あるいは、わざと意地の悪い質問をして、碧が慌てふためいたり、不機嫌になったりする様子を見たいのかもしれない。
「えっと……僕自身、男か女かよく分かっていませんから、何とも言えません。この子が僕のことを、父と母のどちらとして求めてくれるのか」
女性ホルモンの投与や妊娠、出産によって、現在の碧の身体は女性化へと傾いている。同時に、不意に襲われる体調不良の方は、解決のめどが立っていない。仮に、ホルモンバランスの問題の解決手段が、肉体の女性化であると確定し、なおかつ治療への道筋も立ったならば。その治療法を受け入れ、本当に女性として生きる道もあるかもしれなかった。しかし、この期に及んでも、碧は自分の心の性がどちらなのか、自覚できていないのだ。
父として生きるべきなのか、それとも母として生きるべきなのか。
「碧さんはお綺麗ですから、『まま』でいいんじゃないですか? こうして翡翠ちゃんを抱っこする姿は、どこから見てもお母さんですし。戸籍を女に変更するのは、今からでも遅くはないですよ」
「は、ははは。そう、かもしれませんね」
碧の笑顔に刻まれていたヒビが、さらに増えてしまう。正面で構えるカメラを、思い切りぶん殴りたくなるが、忍耐力を総動員して自制した。
と、碧に抱かれた翡翠が碧を見上げながら、甘えた声をあげる。
「あぅあー」
「ん、どうしたの?」
翡翠は碧の柔らかな胸に頬を寄せ、安らかな息を漏らした。
「我々が取材に来ると、翡翠ちゃんっていつも碧さんに甘えていますよね。やっぱり父親と母親の両方を兼ねていると、父性と母性の両方を感じるんでしょうか」
ある記者の言に、他の記者達も頷き合う。
確かに、翡翠は碧にとてもよく懐いてくれている。親の真似事のおかげなのか、それとも本当に父性と母性の両方を碧から感じているのか。真相はどうであれ、懐かれているのは良いことではあった。
一方で取材等の際、真一や早苗が機嫌を取ろうとしても、翡翠は決まって嫌がり泣き出す。二人が自分を嫌っていることを、翡翠も幼子なりに感じ取っているのかもしれない。
(これなら、僕も翡翠を少しは愛せている、って言ってもいいのかな?)
いや、違う。碧は自分の浅はかな願望を打ち消した。
現時点で碧は、子育てに対して一切手を抜いているつもりはない。だが、それだけならば、ベビーシッターと同じく仕事の範疇だ。
(義務感じゃなくて無償でしてあげられなきゃ、本当に愛してるって言わないよね。やっぱり、形を真似るだけだとダメなのかな)
碧は翡翠に微笑みかけ、髪の生えかかった小さな頭を優しく撫でた。
「僕自身は、父性と母性のどちらを持っているのか分かりません。でも、こうして翡翠が安心して甘えてくれるだけで充分です」
それは、嘘偽りのない碧の本音だった。
「質問をもう一つ。翡翠ちゃんには、大人になったらどんな子に育ってほしいですか」
「将来、ですか。そうですね……」
碧は目を閉じ、夢を描く。翡翠が成長していく姿を。
この子は、果たして普通の子と同じように育つことができるのだろうか。共に笑い合える友人を作り、進学や就職をし、そして愛する相手と結ばれる――そうした穏やかな人生を送ることができるのだろうか。
今はまだ、誰にも分からない。碧にも、きっと翡翠本人にも。
「立派な仕事に就けとか、一番になれとか。そういったことは特に望みません。ただ、自分の信念に恥じない生き方をしてほしいです」
……このような取材は、週に三、四回も行われる。その結果、ゴールデンタイムで特集番組が放送され、取材内容をまとめた関連本がベストセラーとなっていた。それらのメディア展開の陰には常に真一がいるのだ。
碧としてはいい加減、世間が自分達親子に飽きてくれないものか、と思う。そうすれば、この息苦しい生活から開放されるだろう。
そうして、碧は毎日を翡翠と共に過ごし――
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