第21話 碧、崩壊

 一時間後。西神総合病院の記者会見が開かれる、という追加ニュースが報道された。


 中継放送の映像では、会議室と思われる室内の前面に三人の男性が立つ。おそらくは院長とその部下達だろう。その正面には、彼らの一挙一動を逃すまいと、大勢のマスコミがそれぞれのカメラを向けていた。


『まずは、このたびは世間の皆様をお騒がせし、真に申し訳ございませんでした』


 スーツ姿の初老の男性と、その部下の男性達が同時に深く頭を垂れた。まさにマニュアル通り、とばかりの謝罪の姿勢。カメラのフラッシュの大群がテレビ画面を覆う。


『今回の実験は、性分化疾患の患者を被験者としたものでした。一人の卵精巣性性分化疾患の患者から精子と卵子を採取し、体外受精させました。実験は成功し、被験者は妊娠。先日、無事に出産いたしました』


 間違いない。碧のことを説明している。


『今回の実験は、産婦人科の早乙女友里恵医師の独断によるものです。早乙女医師は、院内で勤務する男性医師の家族から、被験者を選出しました。早乙女医師の話によれば、被験者に対して「男性医師を左遷させたくなかったら、自分の研究に協力しろ」と迫ったそうです。自分の強権を使用し、被験者を脅迫することで研究を進めたのです。早乙女医師は病院側に対して、被験者を通常の体外受精患者として届け出ていました』


 いかにも申し訳なさそうに説明をする、初老の男。おそらく、院長か副院長であろう。病室で、被りつくようにテレビ中継を見ていた碧は、彼の話に妙な引っかかりを覚えた。


「ん? ちょっと待って」


 おかしい。この連中は、何かを覆い隠そうとしている。


『今回の実験について、病院側は全く関知しておりませんでした。早乙女医師は病院関係者に対しても、研究を隠していましたので』


 自分達に責任はない、と初老の男性は堂々と言い切った。そのあまりの神経の図太さに、マスコミ陣から次々と怒号が飛ぶ。


『命を何だと思っているんだ!』

『問題の医師をここに呼べ!』


 それらに応える代わりに、初老の男性は何やら合図を送る。一息置いて、室内の出入り口のドアから、一人の男が入ってきた。こちらは碧もよく知っている人物だ。


「兄さん……っ!?」


 真一の腕には、今も泣き声をあげる赤子が抱かれている。真一は、病院関係者達側の席の一番端に移動し、立ったままマイクの電源を入れた。


『整形外科医の新城真一です。本日は、お騒がせしまして真に申し訳ございません』


 てっきり問題の早乙女自身が登場するのかと思っていたのだろう、マスコミ陣がさらに声を荒げる。


『あんたも関与していたんじゃないのか!』

『どうなんだ!』


 真一はマスコミ陣に向けて一礼をした後、弁解に転じる。


『今回の実験について、兄の私はずっと蚊帳の外でした。妊娠三か月のときに、弟は自身が妊娠中であることを家族に話してくれました。ですが、そのときは大学の知り合いとの間にできた子だ、という説明でした。学生の身では生まれてくる子を育てられないだろう、と中絶を薦めたのですが、弟は頑として譲らず……絶対に産むと涙混じりで断言しました。そうして、担当医の早乙女医師の計らいで入院してしまったのです。今思えば、弟が逃げないよう病院に幽閉するのが狙いだったのでしょう。これは何かおかしい、と感じた私は、早乙女医師を何度も問いただしたものの、軽くあしらわれてしまいました。そこで私は独自に調査を進めたのですが、力及ばず。ようやく研究の全貌を知ったときには、弟は既に臨月でした。中絶をさせることもできず、せめて無事に出産を終えられるよう、祈るしかできませんでした』


 真一はその目に涙をにじませている。重く辛い話に、マスコミは見事に食らいついたようだ。怒号は鳴りやみ、カメラのフラッシュが数えきれないほどに焚かれた。


「何を言っているんだ、兄さんは」


 碧は耳を疑い、テレビ画面の中で男泣きする兄を凝視した。これでは、真一がまるで悲劇の主人公ではないか。


『そうして生まれたのが、この子です』


 真一は、カメラにしっかりと映せるよう、赤子を高く抱き上げた。赤子は、フラッシュの眩しさを嫌がるように泣き叫ぶ。


『弟はその身を犠牲にして、私を守ってくれました。それなのに、兄の私は弟を救ってあげられなかった。……私は、兄失格です。子の子は、弟の精子と卵子によって生まれた子。一般的には、禁忌の子でしょう。ですが、私にとって、この子と弟は大切な家族です。兄として、今度こそ守ってあげたいのです!』


 もはや演説にも等しい答弁を終えた真一は、大事な宝物を扱うように赤子をそっと胸に抱き寄せる。赤子がなおも嫌そうに泣くが、真一は聞く耳を持とうとしない。


 そこで、テレビの画面が中継からスタジオへと移された。司会を務めるフリーアナウンサーの男性が、コメンテーター達に話を振る。


『今回の事件の悪質さには、怖気が走る思いなんですが。駒塚さん、いかがですか』

『ええ。正気の沙汰とは思えません。病院側は、あくまでも一人の医師の独断によるもの、と説明していましたが、到底信じられませんよ。病院内部の腐敗は明らかです。ジャーナリズムの精神に則って、今後も厳しく追及していかなければいけないと思います』

『そうですね。あまりに非人道的で、被験者の方の人権を完全に無視した、悪意の塊のような研究です。それを進めたのが、新しい命に関わる産婦人科医だというのですから。医療とは何なのか、誰のために行なうものなのか、今一度見つめなおす必要があるかと』


『事件が明らかになった原因となっているのが、今朝発売の週刊誌、《週刊未来》です。こちらの記事によれば、産婦人科の早乙女医師もまた性分化疾患だったそうです』

『性分化疾患の人が、自分と同じ症状で悩む人を実験動物のように扱っているんですよね。何がこの医師を突き動かしたんでしょうか』

『それについても、これからさらに追及していきましょう。一方で、被験者のご家族でもある新城医師についてですが。あくまでも今の話が本当であったなら、という仮定ではありますけれども。自分が勤める病院に、自分の家族を食い物にされたんですから、さぞや辛いことでしょうね』


『たった一人で立ち向かって、真実に辿り着いたときには既に遅かったわけですからね。もし事実であったとするなら、無念さは想像を絶するものだったでしょう』

『いやいや、待ってください。彼も病院側の人間でしょう。それなのに、話をあっさりと信じるのは、いくら何でも……』

『もちろん事実か否かは今後、警察だけでなく、我々マスメディアも一緒に精査していきたいと思います。次に性分化疾患の方についてですが、その特異性から世間の爪弾きにされがちです。今回の事件は、その差別意識をより強める危険性がありますよ。それなのに、いくらお兄さんの身を守るためとはいえ、自分の遺伝子のみによる子を産むなんて。まともな神経の持ち主とは思えません』


『ええ。妊娠とは本来、神聖で尊いものです。私だったら、生理的に受け付けられない話ですよ。命の重さに対する意識の薄さが、現代の若者を表しているのかもしれません』

『この方も、幼いころから性のことで悩んでいたんでしょう。自分の性を否定されたのを理由に、早乙女医師の研究に協力した可能性もあり得ますよ。もしかすると性分化疾患の者同士、自分達の性に対する差別から逃げるために、意気投合したのかもしれません』

『もしもそれが事実であったのなら、とんでもない自己陶酔の塊のような人ですよ。普通、妊娠は、自分とパートナーの愛の結晶でしょう? 自分だけの遺伝子で産むのは、自分しか愛せない者の発想ですよ。普通の赤子ではない、いわば《複製品》のようなものです』

『こういう人がいるから、性分化疾患の方々に対する差別がなくならないんですよね』


 などとスタジオのキャスター達は、もっともらしく話し合っている。病院側と早乙女に対する激しい批判、一方で真一に対してはやや同情寄り。それらの話は、碧の耳から抜け落ちていた。


 碧の心を深く抉った刃は、碧自身に対する非難の言葉だ。


「違う……そんなつもりは」


 碧は頭を抱え、ベッドの上でうずくまった。全身が震え、息が荒くなる。顔色は青ざめるのを通り越して、土気色に染まっていた。


 確かに、幼いころから碧は自分の性を否定されてきた。差別から逃げたいと思ったことは、一度や二度ではない。だが、自分から早乙女の研究に協力したわけではないのだ――テレビの向こうで好き勝手なことを言い合う連中に、碧はそう叫びたかった。


「僕は、そんなつもりでやったわけじゃ……」


 コメンテーター達の言葉の数々が、碧の心を滅多斬りにし、追い込んでいく。


 早乙女の脅迫によって、碧は今回の実験に「仕方なく」協力した。家族を守るために。だが、それは周りに流される自分を誤魔化すための方便だったのではないか? その結果が、今放送されている報道なのだ。


 つい先日、碧は赤子が死ねば自分が解放されるのではないか、と考えていた。赤子に自分の罪を擦り付け、自分だけ助かろうとした。親として、人としてあるまじき卑劣な思考だ。


「違う……違うっ!」


 違わない。碧の行動が、現状を生み出した。碧の犯した罪に対する報いなのだ。


「あ……ああああああああっ!」


 それまで精神を支えていた主柱が決壊し、碧は力なく泣き崩れた。

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