第9話 冒涜の人工授精
●二〇〇八年 六月二五日(水曜日)
健気というべきか怪しい日々も空しく、早乙女から携帯電話で呼びつけられた。
「こんにちは、碧さん。……あら、少しやつれたように見えますけれど、どこかお身体が悪いのですか?」
病院の診察室で碧を出迎えた早乙女は、すぐにベテラン医師らしい洞察力を発揮した。白々しいにも程がある彼女の気遣いに対し、碧は露骨に不機嫌な表情を返す。
「それでは、まず研究結果をご説明させていただきますわね」
慈愛に満ちた女神の如き声で、早乙女は話を切り出した。
その内容によると、一週間でなかなかの苦労があったとのことだ。
同一人物の遺伝子同士の組み合わせが原因なのか、受精卵の作成には失敗が続いたのだという。トライ&エラーを重ねようにも、採卵した碧の卵の数には限りがある。加えて、碧の不安定な生理周期が期限日を不正確にさせていた。これで精子と卵を使い果たすと、再度碧から採取しなければならない。性ホルモンのバランスが不安定な碧の身体では、生理周期は不明。次の機会を、辛抱強く待つほかなくなる。外部への情報漏洩を防ぐためにも、時間との厳しい戦いだったそうだ。
失敗は許されない――早乙女は研究チームのスタッフ全員に対し、そう厳しく宣告し。寝る間を惜しみ、検査と改良に明け暮れた。
――ここまでの早乙女の話を聞かされながら、碧が内心で激しく呪詛していたのは、当然と言えば当然ではあった。
そうして、卵が残り二つとなったとき。(碧を除く)関係者にとって待望の受精卵が成功した。
早速、受精卵は培養され、細胞分裂を繰り返しながら、二分割、四分割、八分割となっていく。そうして碧の受精卵が、胚盤胞と呼ばれる段階まで成長した。
それらと並行した動きとして、四日前から毎日、碧本人には病院で注射による黄体ホルモンの補充が施されていた。おかげで、子宮の内膜が程よい厚みを帯びているらしい。黄体ホルモン剤を注射するのは、排卵後に黄体機能が一時的に低下していたからだ。そのままでは子宮内膜が薄いせいで、着床率が低くなってしまう。特に碧の場合は元々、黄体ホルモンの分泌量が少ないため、注射による補充は不可欠だった。
以上が早乙女の報告である。
ともあれ、これで母体が受精卵を受け入れる準備は整ってしまったのだ。
「それでは、人工授精の方を始めていきますわね」
邪悪なまでに優しい微笑を浮かべながら、早乙女が医療用ゴム手袋を装着していく。
碧は診察台に寝かされると、足を大きく開かされた。採卵のときと違い、今回は麻酔を投与しない。早乙女がカテーテルの管に胚盤胞らしきものを吸引する。それを碧の膣内に挿入した。
「はい、おしまいですわ」
「え、もう終ったんですか」
「ええ。採卵と違って胚移植は、五分ほどで済みますから。ですが、一時間ほど安静にしていただく必要があります」
味気ない作業。これで本当に着床するのだろうか。碧は、自分の下腹部を撫でる。
「黄体ホルモンの補充は、もうしばらくの期間続けさせていただきますわ。妊娠反応が出たとしても、その後も黄体機能が充分でなければ、流産なさる危険性がありますから」
いっそのこと流産してしまえばいいのに、と碧は胸中で呟かずにはいられなかった。
だが、現実は残酷な結果を碧に宣告する。
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