第7話 採卵

  ●二〇〇八年 六月一九日(木曜日)


 採卵当日の早朝、碧は病院へ赴いた。ここ最近、毎日のように通っているが、足取りは日増しに重くなってきている。


 碧は今回の生理周期が始まると共に毎日、HMG注射と呼ばれる排卵誘発剤を投与されていた。通常女性の場合、一度に排卵される卵は基本的に一つである。そこで、この注射を行なうことによって、卵巣を刺激して排卵における卵の数を増やす。


 さらに一昨日の晩には、hCG注射も投与されていた。こちらの注射は採卵日の三五、六時間前に投与することで、体内の卵の最終成熟を促す効果がある。採卵日は事前に行なった超音波検査やホルモン検査によって、既に割り出されていた。生理周期が不安定な碧に対しては、他の患者以上に綿密な検査が行なわれている。


「それでは、採卵を開始しますわ」


 早乙女の穏やかな笑顔が、碧に緊張と苛立ちを生ませる。だが、今更ジタバタしたところで、意味はない。渋々、清潔なシーツの敷かれたベッドに横たわった。鎮痛剤と静脈麻酔を投与され、碧の意識が遠のいていく。


 碧が完全に眠りについたのを確認してから、早乙女は作業を開始した。まずは膣内の洗浄、消毒。それから超音波を使って、卵巣内の卵胞の位置を慎重に把握する。膣壁を通して針を刺し入れ、卵胞液ごと吸引して卵子を体外に取り出していった。


 作業を終え、しばらくすると碧は麻酔から目を覚ました。


「ご機嫌はいかがかしら?」

「……最悪です」

「あらあら、残念。では、こちらの抗生物質をお飲みくださいな。感染予防のためです」


 まだ重い意識に喝を入れ、碧は身体を起こす。早乙女から手渡された錠剤を、プラスチックのコップに入った水で胃へと流し込んだ。


「卵についてですけれども、今回は三つ採取できましたわ。やはり通常女性に比べると、採取できる数は少ないですわね」


 排卵誘発剤を使用すると、若い女性ならば、最大で二〇個ほどは採卵できるとされる。ここ二週間ほど投与し続けた薬は、碧の身体に負担を強いていた。碧が卵精巣性性分化疾患であることを踏まえれば、三つもの卵を採取できたのは、充分に好成績といえるだろう。……碧自身は少しも喜べなかったが。


「精子については、以前採取して冷凍保存したものを使用させていただきます。それでは、気をつけてお帰り下さい。まだ麻酔の影響が残っていますので、くれぐれも自転車の運転はなさらないように」

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