未知

時刻は午後7時10分前。少年は告げられた通り新宿駅に来ていた。仕事終わりなのか、目の前の大通りを人が絶えず行き交っている。季節が夏ということもあり存外温かく、生ぬるい風が頬を突き抜けた。先日漣と話してからというもの少年の心に安息はなく、起きている最中はずっと思案にふけるというほどであったが漣のあの言葉がどうしても気になり、後先考えずに足を運ぶことを決めたのだ。




(場所、そして時間帯....可能性はいくつかあるが...)




少年は手をあごにやりもう一度状況把握に努めた。


やがて改札から漣が出てきた。しばらくキョロキョロした後、背後に視線感じ取ったのかくるっと上半身を捻り、少年の方へ向かってきた。漣は薄緑色の涼し気なT-シャツに黒のジーンズ、紺と白のスニーカーを履いており、白色の手提げバッグを肩にかけている。円形のネックレスは一歩踏み込むたびに上下に揺れ、傍から見ると実に好青年の印象を受ける。




(こいつ本当に外づらだけはいいな...)




少年は嫉妬とも分からない一種の苛立ちを覚えた。




「さっすが~、仕上がってますねぇ」




漣は近づくなり開口一番に褒めたたえる。




「ご機嫌取りなら不要だ。さぁ、なにをするんだ?いい加減教えてくれ。」




「そう慌てるなって...楽しい夜はまだ始まったばかりだぜ?」




漣は少年の質問を華麗に受け流して歩き始めた。




(どうやら内容を言って俺が帰路につくのを避けたいようだな....だとすると...)




またしても思索にふける。


後姿を追いつつ試行錯誤すること数分、漣は振り返り、そして目の前の建物へ顎を何度か向けた。




「これが、今日の遊びの内容だ」




目の前に現れたのは虹色のネオンライトで輝く既視感のある建物だった。少年はそこに一度も立ち入ったことはないが、いかんせん同級生が馬鹿の一つ覚えのように頻繁に行っているのをいつも耳にしていたため知っていた。堂々と正面に張り出された派手な看板には「カラオケ」と書かれていた。




(.......)




少年はひどく憤慨していた。




(わざわざ30分もかけて電車に揺られ、かつかつの中交通費もかけたというのにカラオケとは.......。)




いっそこの常識知らずを1度蹴り飛ばしてからダッシュで逃げ、ゆっくりと家で読書にでも入り浸ろうとも考えた。が、その勇気がどうしても湧き出てはこなかった。少年は極めて思慮深い人間であったと同時に、極めて内向的な人間で、知行合一にひどく欠けた人間であったのだ。


少年は黙り込んだまま漣を睨め付けた。しかし漣は相も変わらず涼し気な表情を浮かべている。まるで少年の憎悪などどこ吹く風かのように、微塵も気にした素振りを見せない。果たして少年の内心を読み切った上での余裕なのか、それを知る術は少年には一切なかった。漣はカラオケ店へと入っていく。




受付はさほど物珍しくもなかった。唯一少年の気を引いたのは天井に設置されたモニターであった。多種多様なジャンルの音楽のPVが流れており、洗練されたCGが画面を駆け抜ける。少年が知っていたものは一つもなかった。ちょっとすると漣が明細書を摘まんでやってきた。




「おーし7階に行くぞー」




(見晴らしはよいのだろうか)




少年は若干気持ちを高ぶらせた。だがまたしてもその高揚感は地に落とされることとなった。見回すと非常階段の手前にひどく錆びたエレベーターがある。そのエレベーターのドアに紙切れ1枚が張られているのだ。




「ん、なんだこれ」




漣はすっと目を細めて腰を曲げる。




「んーと、あ、エレベーター使えないってよ。修理中だって。」




(.....? ということは..?)




漣はけらけらとしながら非常階段の方へ視線を向けた。




「しゃーねえな、階段で行くぞー」




少年は愕然とした。しかし、これは無理もないことである。少年は学年きっての運動音痴であったのだ。入学して間もない頃に受けた体力測定ではシャトルラン32回という、高校が設立されて以来類を見ない散々たる結果であった。当然だが全力を尽くした上で、である。




少年は重い腰をなんとか上げて非常階段を上り始める。カンカンカンと実に無機質な音が響き渡った。足裏には熱が帯びているのを感じる。まるで直射日光のもとじりじりと温められた砂浜に足を踏み入れたようである。やがて7と書かれたドアの前に到着し、漣はドアを開けた。視界には以前テレビで見たものと幾分遜色ない情景が広がっている。山積みされた青びたプラスチックのコップ、小分けされた砂糖やガムシロップ、荒々しい機械音を発するドリンクバーのようなもの、そして時折鮮やかなきらめきを覗かせるいくつものドアが散見された。少年は食い入るようにして見入った。




「俺たちの部屋はっと...202号室、正面奥の部屋だな。」


漣は慣れたように足早に向かう。少年もぎこちないリズムで足を前にだし、ついていった。漣が部屋のドアを開け明かりをつける。




(黒いソファにテーブル、そしてテレビか....。タブレットのようなものもあるな....。)




少年はまじまじと室内を見渡す。一種の感嘆の声が漏れた。が、同時に違和感に駆られる。




(....。ソファが地味に大きいな...。まるで2人用とは思えない。それに用意されたタブレットの数も多い。どういうことだ?)




到着してまだ間もない中、突然部屋の扉が豪快に開いた。少年は訝し気な表情を浮かべ入り口の方を一瞥する。と、突如少年の頭に鋭い閃光が走った。少年は全て悟ってしまったのである。何故漣がいきなり声をかけてきたのか、そしてこんな出鱈目な遊びに誘ったのか。全て理解してしまったのである。ドアの前には、少年が決して想像してはいなかったひどく醜い光景が広がっていた。そこには、4人の人影が佇んでいたのだ。

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若き少年の苦悩 @Hachitarou323

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