旧友

教室は喧騒に溢れていた。授業開始5分前に教室に辿り着いた少年は無事授業を受け終え、何をするでもなくぼーっと周囲を観察していた。突然肩に2度ほど柔らかな衝撃が走る。後ろを見やればそこには和気藹々な雰囲気を醸し出しながら彼をじっと見つめる人見知りの人物がいる。


「よう、久しぶり。この後暇?」


彼はあっけらかんと用を伝えた。


「一応暇だけど、何?」


嫌悪を露わにしないように気を付けながら、少年は短く答える。


「よっしゃ、昼ご飯食べに行こうぜ昼ご飯。いやー最近ラーメンにハマっててさ-まじで」


(君の食生活など興味ないのだが...)


少年は考え考えしながらどうしたものかと思案し始めた。が、実のところひどく狼狽もしていた。黙り込むこと数秒、来客はしびれを切らしたのか訝しげな視線を向けてくる。


「休み時間短いしさ-、迷ってるなら行こうぜ!どうせ飯は食うんだし」


(それを君と食べるかは別だがな)


少年は呆れ交じりにため息を吐くと、立ち上がり、観念したかのように彼へ顔を向けた。「そうこなくっちゃ」


ぼそっとそう呟いた彼は、少年についてくるよう軽く手招きをし教室の出口へ歩を進めた。このなんの脈絡も無く会話を振ってきた男は漣という名の青年で、少年が高校に入学してまだ間もない頃一緒に行動を共にしていた者である。が、決して仲が良かったわけでは無く、会話が弾むことはほとんどなかった。次第にそれを薄々察した漣の方から少年から離れていき、今では校内で遭遇しても挨拶すらしないまでになった。そんな彼が、いきなり話しかけてきたのである。


(何か裏があるな...)


少年は心の中で強く疑義を抱いた。漣の後をついていくこと数分、ようやくお目当ての店に辿り着いた。いささか混んでいるようで、店の前には長蛇の列が形成されていた。外観はいたってシンプルであった。老舗なのか全体として古びた造りになっており、入り口前には黒牛と書かれた赤の暖簾が吊り下げられている。真横の換気扇からはもくもくとなんとも香ばしい煙が立ち上がっていて近くを通る者の食欲をそそる。2人は食券を購入し、最後尾に並び始めた。特にやりとりすることも無く10分、ようやく隣り合わせの2席が空き2人は店内に案内される。漣は荷物を籠に入れるとドカッと座り込み水をちびちび飲みながら無言で携帯をいじり始めた。手持ち無沙汰になった少年は室内の装飾をつぶさに観察し始める。麺を茹でるボコボコという音や隣のサラリーマン風の男がズズっと麺をすする音が少年の耳を左から右へと抜けていく。やがて目の前にどんぶりが2つ置かれた。


「ラーメン大盛おまちどう!」


店員は元気溌剌とした声音で言う。


注文したラーメンは特筆すべき事のない、極々普通のラーメンであった。豚骨をベースとしたあっさり系のスープに硬めの細麺が浸かっており、その上には肉汁たっぷり溢れるチャーシュー、とろとろとした半熟卵、それにパリッとした海苔が乗っている。先ほど換気扇から立ち上がっていた家系ラーメン独特の香りが鼻孔をくすぐり、少年は思わず口角を上げた。漣の方は、と右を一瞥すると携帯をどんぶりの方に向け、何やら写真撮影をしている様子だった。


(まるで承認欲求の奴隷だな)


少年は軽蔑のまなざしを向けた。


漣はそれをSNSとやらに投稿し満足すると、ようやく割りばしを取って麺を食し始めた。そして、ようやく本題を切り出した。


「てつ今週の土曜日暇?」


漣は軽いトーンで訪ねてくる。


「まあ、暇だけど...」


「じゃあさ、じゃあさ、俺と新宿行かね?」


「何しに?」


「それは言えないなー。ひ・み・つ」


少年は漣の態度に無性に腹が立った。


(何をするかも分からないのに休日を返上してまでわざわざ新宿なんぞに出掛けたいはずがない。ふざけるのも対外にしてくれよ...)


だが彼は漣の性格、いや本質とも言うべきものを見抜いていたため会話を断ち切るようなまねはしなかった。むしろ言葉の続きをじっと待っていた。漣はこう見えて極めて打算的な男なのである。彼は利害関係なしで人と付き合うようなことは決してしなかった。例えばテストのときノートを借りる際は、必ずお返しとしてご飯をおごっていた。もっとも、相手に選択権はなく必ずと言っていいほど漣はファミレスを選んでいたが....。


そんなちゃっかり者が一方的な条件をふっかけてくるはずがない。少年はそう思いながら、用事の内容を探るべく漣の瞳を見つめた。


「見返りはー、そうだな、お前に真の愛とやらを教えてやる。」


少年は顔をしかめた。


(真の愛??訳が分からない...。大体、見返りの程度で遊びの内容を推測しようとしたのにこれじゃからっきしじゃないか...。どうしたものか....。)


彼は答えを見つけるべく暗中模索し始めた。時計の針が刻む律動が鮮烈に聞こえる。客の吐息、麺が跳ねる音、その何までもが少年の耳に届く。ふと気づくと漣が目の前でスナップをしていた。


「てつ飲まれすぎ、のびるぞ」


漣の方を見やると彼はすでにラーメンを食べ終えており、財布から小銭を取り出していた。


「まあ、気が向いたら土曜日の夜7時、新宿駅の新南改札前に来てくれ」


そう言いながら腰を上げ、レジの方へと向かう。代金を払い終えると軽くじゃあなと手を振り店を出て行った。目の前にはふやけきったラーメンが置かれている。少年は未だ一口も口にはしていなかった。

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