後編

 声が聞こえてくる。

 夢で見た女子高生の声が。

「夢」

 もやがかかった女子高生は、私にとっては聞き慣れた声で、私の名前を呼んだ。

「夢、私のことはもう忘れて」

 女子高生は今にも泣き出しそうなほど、声を震わせていた。

 私は女子高生の唐突な言葉にうろたえることなく、首を横に振る。

「私忘れないよ、今はあなたが誰かってことはわからないけれど、絶対思い出すから!」

 もやがかかった女子高生の顔をまじまじと見つめ、力強く言葉にした。

「でも、もしきっと思い出せばまた辛い目に会う、だから──」

 女子高生の言葉を遮り私は、力強く、ありったけの感情を言葉に乗せた。

「どれだけ辛いことを思い出そうと、私には、あなたが必要なの! だから私はあなたのことを思い出す! あなたの名前、あなたの顔、あなたとの思い出、全部全部思い出すから、待っててね」

 私は女子高生に優しく微笑んだ。

 その時女子高生の、涙が見えた気がした。


 眼を覚ました私は保健室のベッドの上で、横になっていた。

 多分霞が運んでくれたのだろう。

 霞に感謝の念を送りつつ私は、勢いよく起き上がった。

 そして勢いそのままで、走り出した。

 保健室を出て高校の出入り口に向かう。

 普段あまり運動をする方ではないので、息を切らしながらも動きは止めずに高校を出て行く。

 右に曲がり、左に曲がり走りまくった私が着いた場所は、商店街。

「はぁはぁ」

 一旦息を整え、私はまた走り出した。

 向かう場所はもちろん裏路地。

 詳細に言えば裏路地にある骨董品店。

 一度も行ったことがないはずなのに、私は何故だか場所を覚えていた。

 私はまるで、昨日にでも来たみたいなようにスムーズに移動していく。

 そして数分でついた場所には、とても古びたお店が一軒ポツンとあるだけだった。

 今にも崩れそうなほどに、古びた建物の扉をそーっと開く。

「すいませーん」

 息を整えながら私は、建物に入っていく。

 するとそこは、とても狭い建物だった。五歩で端から端まで歩けてしまえるぐらいには、狭かった。

 そんな建物の中に一人、おばあさんが座っていた。

 まるで駄菓子屋のおばあさんみたいだった。

 息を整え終わった私は、おばあさんに声をかける。

「すいませーん」

「なんだい」

 無愛想に返事を返してくれたおばあさんは、とても不思議な感じがした。

 私は不思議なおばあさんに、人差し指をたてながら質問をする。

「一つ聞きたいんですけど、昨日か一昨日その前でもいいんですけど、私と同じ制服を着た黒髪の女の子ってきませんでしたか?」

「来たよ」

「ホントですか!」

 私の予想は当たっていた。

 やっぱりあの女子高生は来てたんだ。

 するとおばあさんは続けて、予想外のことを言い出した。

「というかあんたも一緒だったじゃないか、残夢ざんむ 夢」

「え? それってどういう」

「どういうも何も、そのまんまの意味だよ。あんたが聞いてきたその黒髪の女子高生、そいつと一緒に来てたって言ってんだよ」

 私は戸惑いを隠せずに、言葉途切れ途切れに否定をする。

「そ、そんなわけないですよ。だって私今日初めてここに来たんですから」

「って言われてもね。確かにあんたはここに来たよ──」

 するとおばあさんは、何かに納得したように微笑んだ。

「そうか、そういうこと。あの子、あの鈴を使ったんだね」

 最後の言葉に私は、飛びつくように反応する。

「鈴、鈴ってあの記憶を消せる鈴のこと?」

「あ、ああそうだよ。あんたが言ってる黒髪のやつが、買ってたのさ。その鈴をね」

 ということは、あの女子高生が私の記憶を鈴を使って消したってことになる。

 けどなら何故あの女子高生は、私の記憶を完全に消さなかったの? 

 今朝ご飯を食べてる時に感じた違和感。隣の家が何故か気になってしまったこと。私の前の席のこと。それにこの骨董品店のの場所を覚えていたこと。

「それはねあんたの思いが強いからさ」

 おばあさんは私の心を読んだかのようなことを、言い出した。

 私はそんなおばあさんに驚きを隠せはしなかったけれど、なんとか聞き返すことはできた。

「おばあさんそれってどういう」

「いちいち質問のを多い子だね。少しは自分で考えてみろってんだ。言ってしまえば、切りたくても切れない、そんな縁があんたとそいつにはあるってことだよ」

「切りたくても切れない」

「そうさ、だからあんたは忘れていたはずの記憶を思い出した。いいや違うか、思い出したんじゃなくて、元から覚えていたのかもしれないね。忘れたくても忘れられない存在、それがあんたとそいつなのかもね」

 忘れたくても忘れられない存在、それは今日一日私がずっとあの女子高生に、抱いていた気持ちだった。

 あの子に会いたい。

 そう思った時にはもう行動に出ていた。

「おばあさんありがとう、私あの子に会ってくるよ」

「そうかい、頑張ってきな」

 おばあさんの言葉に私は、さらに背中を押されたような気がした。

 正直なんであの子が私の記憶を消したのかは、わからない。

 もしかしたら私が何かしてしまっていたのかもしれない。

 そのことで絶交をしたのかもしれない。

 それでも私は、あの子に会いたい。

 だって私は、あの子のことが好きだから。

 

 気がつくと私は、自分の家のベランダに立っていた。

 あの商店街から無我夢中で、走ってきたのだろう。その証拠に私はまたもや息を切らしていた。

 疲れ切った私は、息を整えるのも惜しんで、ベランダに足をかけそのまま飛んだ。

 隣の家のベランダへと、飛んだ。

 トンとベランダに足がついた時には安心した。思わず安堵のため息が出てしまうぐらいには安心していた。

 そして私は、目の前にあるガラスにトントンと手を当てる。

「こんにちは」

 中から返事はない。

 私は諦めずにもう一度。

「こんにちは」

 二回目も返事はない。

 私は諦めずにもう一度。

 これを数回ほどやったところで、小さな声ではあるけれど、聞こえてきた。

「なんできたの。なんで忘れてないの」

 若干の怒りが感じられる口調に、私はなだめるように返事を返す。

「なんでってそんなの決まってるじゃん! 私があなたのこと大好きだからだよ! 大好きだから来た、大好きだから忘れなかった。大好きだから──会いたい! だからここを開けて」

 物語とかならこんな状況で、唐突に本題には行かずに、軽く話をしてから本題をぶつけるのだろうけれど、私はそんな器用な人間じゃない。

 言いたいことはその場で言うし、やりたいことは即座にやってみる。そんな人間、後先考えずに行動してしまうのが私だ。

「私だって、大好きだよ。だけど、大好きな人が、辛い思いをしているのにそれを無視して毎日を過ごしすなんてこと、私には、無理だった」

 中からは涙ながらに私へと語りかける声が聞こえてくる。

「だからお願い、もう私のことは忘れて」

 この言葉に私は、首を横に振った。

 ガラス一枚向こう側にいる女子高生に向けて、私は優しく一言一句丁寧に言うのだった。

「それでもいいよ。どれだけ辛かろうと、どれだけ大変だろうと、私はあなたと一緒にいたい」

「夢、ありがとう」

 その声が聞こえると、私の目の前のガラス扉が開いた。

 そしてカーテンも開かれ、中から出てきたのは、綺麗な黒髪の女子高生。整った顔立ちの彼女は、美人という言葉がぴったりだった。

 そんな彼女を見た瞬間、私は今まで忘れていた彼女との記憶が鮮明に思い出されていく。

 楽しかった記憶。辛かった記憶。彼女の名前──しろと過ごした日々、その全てが私の頭の中に入っていく。

「そっか私たちいじめられてたんだ」

 思い出した記憶の中には、そんなものまでもが入っていた。

 とても辛い記憶。今にでも泣き出してしまいそうなぐらいには辛い記憶。

「うんそう、だから私は記憶を消したの」

「その話詳しく聞いてもいい?」

 白は、小さくコクっと頷いた。

 

 私たち二人は、昔から仲がよかった。両方共に両親が家に不在というのが当たり前で、二人だけで過ごす時間が多かった。

 そんな私たちは、高校入学と同時に付き合うことになった。

 けれどそれ自体が、いじめの原因になってしまった。

 ある日学校に行くと、私たちのクラスではリーダー的存在の、霞がこんなことを言い出した。

「こいつら付き合ってんだってさ!」

 私と白二人を指差して、クラス中に聞こえるぐらい大きな声だった。

 するとクラス中からは、ひゅー! という煽りが飛んでくる。

 それだけならまだよかった。

 別に無視していればいいのだから。

 けれど霞の言葉は、終わらなかった。

「そんで私思うんだけど、女同士で付き合ってるとか、気持ち悪くね? 皆もそう思うっしょ?」

 霞の言葉で逆らったら次は自分が標的にされるような空気感が、クラスには一瞬で広まった。

 そしてクラス中からは、「確かに」「キモいな」などの賛同する声が上がり始めた。

 いじめが始まったのはその時からだろう。

 クラス中がこいつらには何をしてもいいという空気を持ち始めたのは。

 私たちは、毎日びしょ濡れで下校し、時には体に傷までもができていた。

 そんなある日私たちは、鈴の噂を聞いてあの骨董品店に足を運んだ。

 そこで一つ残っていた鈴を、白が買い、その日の夜白が、私の記憶を消したということだった。

「でもじゃあなんで、私の記憶まで消したの? そのクラスでいじめてくるやつらのだけでよかったんじゃない?」

「それじゃあダメなの。クラスの人の記憶だけ消しても、私たちが付き合ってたこと自体を消せなきゃダメだったの。だってもしまた付き合ってることがバレたら、その時はまたいじめられるような気がするから」

 確かに白の言う通りだ。

 いくらクラスのやつらから私たちが付き合っていることを消したって、やつらの人格が変わるわけがない。

 いじめてくるやつは、何度だって同じことをするんだから。

「そっか、そういう理由だったんだね。たった一日とはいえ、きっと一人で抱え込むのは辛かったよね」

 私は隣で話してくれた白を、そっと抱きしめる。

「でももう大丈夫だよ。私はもう白を一人にはしない。それに辛い思いもさせないから」

 私は白にそっと微笑みかけた。



 次の日、私と白は、教室でいじめの主犯格である霞に宣言した。

「私と白は付き合ってる! それの何が悪いの? 私たちは昔から一緒だった。ただそれだけ、なのになんであんたなんかに私たち二人の幸せを邪魔されなきゃならないの? ふざけないで! もう私と白の邪魔をしないで!」

 答えは簡単だった。

 いじめっ子がいじめる対象を選ぶ時、たいていは自分より下の人間を対象とする。

 だから本人に直接言ってやる。

 私たちはあんたより下じゃないぞって、あんたなんかに負けないって、言ってやるんだ。

 これが最適解かどうかは正直わからない。

 だけれど、一つ言えることはある。

 私は白がいれば他には何もいらないってことだ。

「白だーい好き!」

 教室で白を抱きしめると、少し照れ臭そうに白が言う。

「私もだよ。夢」

 もしまた記憶を無くしても、私は何度でも白のことを思い出す。

 それが私の思いだ。

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