「さようなら」

tada

前編

 私がベッドで横になっていると、鈴の音が聞こえてきた。綺麗な音色が段々と近づいてくる。

 そしてそっと黒くとても綺麗に手入れがされている長い髪を垂らした女子高生が、私の耳元で囁いた。

「さようなら」

 その声は、油断していれば聞き逃してしまうぐらいに、とても小さく──とても悲しい声だった。

 私は、女子高生に声をかけようと体を起き上がらせようとするが、何故だか体が動かない。

 まるで金縛りにでもあっているかのように、私の体は動かないのだった。

 それならせめて声だけでもと、声を出そうとするが、声さえも出はしなかった。

 女子高生は涙を流しながらも、私に優しく微笑んだ。

「じゃあね、ゆめ。大好きだよ」



「はっ!」

 私は夢を見ていたようだ。

 女子高生に別れの挨拶をされ、最後には、大好きと言われるそんな夢。私はとんだ変態かもしれない。

 まだ起き切ってはいない眼を擦りながら、私は枕もとに置いてあるスマホに手を伸ばした。

 寝た後に、SNSへと投稿された写真などを見終わる頃には、私の体は活動できる状態になっていた。

 私は、スマホをポケットにしまって部屋を出た。

 その時何故だかは、わからないけれど、私は隣の家のベランダの先カーテンが閉められている一部屋へと眼をやっていた。

 部屋を見ていると、なんだか寂しい気持ち、悲しい気持ち、泣きたくなるような気持ちが、渦巻いてくる。

 忘れてはいけないことを、私は忘れてしまっているような──そんな感じの気持ちが、私の心を鷲掴みにした。

 部屋を出た私は、階段を下って一階のリビングへと向かう。

「おはよう、お父さん」

 リビングに置かれているお父さんの写真に私は、朝の挨拶をする。

 私が物心つく前に、天国に行ってしまったお父さんのことは、正直覚えてはいないけれど、私の父親ということは変わらないので、私はこうしおはよう、ただいま、おやすみを毎日欠かさず言っている。

 そんなお父さんと結婚して私を産んだお母さんの方は、朝私が起きる前には家を出て、帰ってくるのは夜中というぐらいには、忙しい仕事人間。

 話を聞くと最初から忙しい仕事やっていたわけではないようだった。

 お母さんが忙しくなったのは、ちょうどお父さんが他界した頃、お母さんは私を養うために仕事量を増やしたらしい。

 増やして増やして増やして増やした結果、今のような生活になっている。

 そんな家庭に生まれた私は、一人でいることに慣れていった。

 朝起きて誰もいないリビング。

 学校から帰ってきても誰もいない家。

 夜寝る時誰かにおやすみを言ったこともない。

 そんな生活が、私の中では当たり前だった。

 当たり前のはず──。

 はずなのに。

 その時私の頭の中に、昔の記憶が浮かび上がってきた。

 幼稚園生の時。

 私が積み木遊びをしている隣に、一人黒髪の女の子が座っている。

 私は女の子と楽しそうに会話をしている。

 けれど何故だか、女の子の顔と名前だけは、もやがかかったように思い出せない。まるで忘れてしまったような感覚。

 ランドセルを背負っている小学生の私の隣には、黒髪の女の子がいた。

 リコーダーの練習をしながら下校をする私と女の子、二人はとても仲が良さそうに感じる。

 けれど今回も女の子にはもやが、かかっていた。

 絶対に忘れてはならないはずなのに。

 制服を着た二人の女子中学生が、自転車を漕ぎながらとても楽しそうでもあり、仲が良さそうでもある二人が会話をしていた。

 二人のうち片方は、もちろん私自身で、もう一人の方は黒髪の女の子だった。

 今回も女の子の顔には、もやがかかっていた。まるでそこの部分だけ、切り取られたように思い出せない。

 今私が着ている高校の制服着た二人の女子高生が暗い顔をしながら、時には涙を流しながら道を歩いていた。

 片方の女子高生、私は髪服共々びしょ濡れ、川にでも飛び込んだのかというぐらいにはびしょ濡れだった。

 そしてもう一人の女子高生黒髪の女の子は、私と同様に制服までもびしょ濡れだった。

 そんな女の子にはもやがかかっている。女の子の顔を思い出そうとしても思い出せない。

 思い出したくても思い出せない。

 それでも私は、無理矢理にでも思い出そうと脳をフル回転させた。

「いっ」

 キーンという痛みが私の頭を襲った。

 まるで思い出そうとするのを阻止するかのような、タイミングだった。

 そして次の瞬間私は、何を考えていたのか忘れていた。

 何故ここで頭を抱えているのかすらも、忘れていた。

「あ、やば早く用意しなきゃ」

 ふと時計に眼をやると、もうすぐで家を出なければいけない時間になっていた。

 私は長い時間ここで何をしていたのだろう。

 そんなことを考えながら、炊飯器に入っているご飯を茶碗に移し替え、冷蔵庫に入っている昨日の残り物をご飯に乗せて椅子に腰を下ろした。

「いただきます」

 手を合わせて、勢いよく口に運んでいく。

 その時机の向かいに、誰かがいるような気がしたので、私はそっと眼をやる。

 もちろん誰もいなかった。

 いたらガチモンのホラーになってしまう。

 けれど何故だか寂しい気持ちには、なるのだった。

 ご飯を数分で食べ終わった私は、短い髪を軽く手入れしたから家を出た。

 家を出る際横目で、隣の家を見てしまった。

 隣人とは全く関わりがないはずなのに。


 それから高校に到着した私が、教室に向かうため階段を上っていると後ろから声が聞こえてきた。

「おーい夢、おはよう」

 突然声をかけられた私は、体をビクっと震わせた。

「どうした夢? そんな怯えて、なんか怖いことでもあった?」

 後ろから声をかけてきたのは、同級生のかすみだった。

 霞は私の顔を覗き込むと心配そうな表情で、見つめてきた。

 私は、そんな霞に微笑みかける。

「大丈夫だよ、突然声かけられてちょっと怯えちゃっただけだから」

「そう? まぁそれならいいんだけどさ」

 ほっと息を吐くと霞は、私の隣で何かを思い出したかのように喋り出した。

「そうだ夢さー、最近噂になってる記憶の話って知ってる?」

 私は首を傾げる。

「ううん、知らない。どんな話?」

「うーんとね簡単に説明するとこんな感じ──」

 霞が教えてくれた話の内容を簡単にまとめると、こんな感じだった。

 商店街の裏路地に店を構える骨董品店、そこに売られている鈴。その鈴を鳴らしながら相手の消したい記憶を願うと、願った記憶だけが、まるで切り取られたように忘れてしまうというものだった。

 この話を聞いて私は、正直そこまで惹かれはしなかった。

 女子高生ならこういう噂話は好きなのだろうけれど、別に消したい記憶なんてものがない私は、適当に流すことにした。

「ふーんそんな話があるんだ。まぁ今私消したい記憶とかないしなー、私はいらないそんな鈴」

「あはは、いいね夢はお気楽で、私なんて消したい記憶だらけだよ」

「そんなにあるの?」

「うんいっぱいあるね」

 なんて会話しながら私たちは、教室に向かった。

 教室に着き私は、自分の席に腰を下ろした。

 そして前を見た。

 その瞬間に私は違和感を覚えた。

 私の前の席に誰も座っていないことに、違和感を覚えた。

 昨日までは、誰かがそこに座っていた。

 座って私の名前を呼んでいた。

「夢」

 と。

 確かにいたはず。

 私は即座に立ち上がり、霞の席まで足を運んだ。

「霞! 私の前の席って誰の席かわかる?」

 霞はきょとんとしていた。

 私が何を言っているのか理解できてないようで、首を傾げている。

「何言ってんの、あの席は誰のでもないよ」

「え?」

 私は驚きのあまり言葉が出てこなかった。

 確かにいる、あの席には私の大事な人がいたはず。

 忘れてはいけない。

 いつも隣にいた。

 親友以上な人。

 私はその瞬間、大きな音をたてながら倒れ込んだ。

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