星の律動

吾音

第1話 プロローグ

 だらだらと続く長い坂を、自転車を押しながらゆっくりと登っていく。

 春の日差しは、午前七時過ぎにも関わらず、すでに暖かさを通り越し、早く登れと背中を押してくるように感じる。


「相変わらず長いねぇ・・・」


 入学して一ヵ月弱。登校するには少し早い時間は、朝に強い自分にとってはさほど苦ではないが、この坂に慣れるにはもう少し時間が掛かりそうだ。


 坂を登り切り校門をくぐる。

 朝練に精を出す運動部の声を聞きながら、体育館裏の駐輪場に自転車を停めた。


 校舎内から微かにピアノの音が聞こえることを確認し、真っ直ぐ特別教室棟に入り、最上階を目指して階段を上っていく。


 特別教室棟五階の端。第二音楽室へ向かう。一歩一歩近付く毎にピアノの音が大きく、軽やかな旋律がはっきりと聞こえてくる。曲名は分からない。有名な曲かもしれないし、オリジナル曲なのかもしれない。ただ聞こえてくる旋律は毎日違っている。今日の軽やかな旋律からは、随分機嫌が良さそうに思えた。


 古臭い扉の前に立つ。坂を登り、階段を上ってきたお陰で、否が応にも張り切っている心臓を落ち着けるために一度深呼吸をする。時刻は午前七時二十五分。いつも通りの時間だ。扉に手をかけ静かに だらだらと続く長い坂を、自転車を押しながらゆっくりと登っていく。

 春の日差しは、午前七時過ぎにも関わらず、すでに暖かさを通り越し、早く登れと背中を押してくるように感じる。


「相変わらず長いねぇ・・・」


 入学して一ヵ月弱。登校するには少し早い時間は、朝に強い自分にとってはさほど苦ではないが、この坂に慣れるにはもう少し時間が掛かりそうだ。


 坂を登り切り校門をくぐる。

 朝練に精を出す運動部の声を聞きながら、体育館裏の駐輪場に自転車を停めた。


 校舎内から微かにピアノの音が聞こえることを確認し、真っ直ぐ特別教室棟に入り、最上階を目指して階段を上っていく。


 特別教室棟五階の端。第二音楽室へ向かう。一歩一歩近付く毎にピアノの音が大きく、軽やかな旋律がはっきりと聞こえてくる。曲名は分からない。有名な曲かもしれないし、オリジナル曲なのかもしれない。ただ聞こえてくる旋律は毎日違っている。今日の軽やかな旋律からは、随分機嫌が良さそうに思える。


 古臭い扉の前に立つ。坂を登り、階段を上ってきたお陰で、否が応にも張り切っている心臓を落ち着けるために一度深呼吸をする。時刻は午前七時二十五分。いつも通りの時間だ。扉に手をかけ静かに引く。軽やかな旋律がフッと止んだ。


「おはよう。今日も早いね。」


「まぁ、朝は強い方なんで。」


 ここ数日繰り返されたやり取り。一字一句違わないことは互いに理解している。

そんなことを思いながら、定位置となりつつある机に荷物を置いた。


「さて・・・」


 楽器の準備をし、廊下に出てウォーミングアップを始める。時計を見ると始業まで一時間余りある。再びピアノの旋律が部屋の中から聞こえてくる。

 ここ数日感じている違和感から目を背けるように、近日に迫った本番の曲を頭の中でイメージする。


 いつの間にかピアノの音が止んでいる。余程集中していたのか。慌てて楽器を直し、音楽室の鍵を閉める。


 職員室に鍵を返却し、自分の教室へ向かう。クラスメイトと適当に挨拶を交わしながら自分の席に着く。開いた窓から晩春の空気が心地よく肌をなでる。


「やっぱりおかしいよなぁ・・・」


 小さく呟き、ゆったり流れる時間の中で今までの出来事を思い返す。


 入学して三日目の放課後、俺は玄関にある校内案内図の前に立っていた。

 つい先ほど行われた部活紹介で、場所は五階と言っていたことは確かである。確かなのだが・・・


「第二音楽室が・・・ない・・・」


 音楽室は見つかったが、広さを考えるとこちらはメインの音楽室だろうと思う。他にあるのは理科準備室と、空き教室のような名も無い部屋だけだった。

 とりあえず五階に向かってみる。行ってみれば分かるだろうと思う。それくらい印象的な音だった。


 五階にやって来ると、楽器を持った生徒達が音楽室前の廊下に立っていた。やっぱりこっちは吹奏楽部か、と得心する。


「すみません、第二音楽室ってどこにあるかご存じですか?」


 俺は近くにいた先輩らしき女生徒に、できるだけ自然に声を掛けた。


「第二・・・?あぁ!もしかしてナツメの所かな?」

「ナツメ?」

「音楽部だよね?だったら向こうの端にある教室だよ」


 先輩は指を差しながら教えてくれた。


「ありがとうございます。助かりました」

「いいっていいって。キミが行けばナツメもきっと喜ぶよ!」


 軽くお辞儀をする俺の荷物を見て、朗らかに言う先輩。

 てっきり勧誘でもされるかと思ったけれど、特にそんな様子も無いことに少し拍子抜けした。安堵しつつ、とりあえず教えてもらった教室へ向かった。


 教室の扉には特に何も書いていない。表札も付いていない。ついでに人の気配もしない。本当にここなのか?


 ゆっくりと扉を開ける。鍵は開いていたが中にはやはり誰もいない。教室の中には端に寄せられた机が10台程、中央に椅子が3脚置かれており、机の上に誰かの荷物が置いてあった。どこかに出ているらしい。


 仕方ないので、この荷物の持ち主が戻ってくるまで楽器でも吹いていることにしよう。俺は適当な机に荷物を置いて楽器を取り出し、窓際に立った。


 深呼吸をする。半年ほど前の舞台を思い出す。イメージを強めていく。曲は昭和に流行った歌謡曲だ。


 ――前奏が始まる。自分のために用意されたステージのような錯覚と高揚感が全身を満たしていく。舞台の頂上へ登り始めるイメージで演奏を始める。


 ――間奏に入る。もう頂上は目前だ。焦らず確実に登っていく。懐かしいアレンジソロを思い出しながら、頂上に向かう――はずだった。


 急激に体が軽くなる。一段一段登るのはもどかしいと言わんばかりに背中をグイグイと押されていく。自分のイメージよりも早く頂上へ辿り着いた。


 ――もうすぐ曲が終わる。俺は舞台の頂上から、キラキラ輝く小さな階段を確かに見た。


 イメージを霧散させていく。流石に半年も前の舞台を完璧に再現することは難しかったか。曲は4分強、実際自分のパート分は半分くらいだ。疲労するほどではない。


 やはり思い切り楽器を鳴らせる場所があることは嬉しい。そんなことを思いながら脱力しようとした時だった。


「すごい集中力だったね。ゴメンね、邪魔しちゃったかな?」


 聞き取りやすい声だな、というのが第一印象だった。返事をするべく後ろを振り返る。思わず後ずさりそうになったが、後ろは窓でこれ以上後ろに下がれなかった。

 ずいと寄せられた顔が近過ぎたのもあるが、何より大きな瞳の中にキラキラ輝く星が見えたような気がしたからだ。


強烈な視線を受けながら、何とか気圧されずに対峙できた。とりあえず最初に湧いた疑問を解決しよう。


「あんたがさっき一緒に吹いてくれたのか」


 右手に持つ楽器を見れば明らかだったが、一応尋ねる。


「うん。そうだよっ!私もあのアレンジ吹いたことあるんだよね。今日は私しか来ないはずなのに、教室からラッパの音がするからすごく気になって。しかも楽しそうに吹いてるからさぁ、ついつい混ざりたくなっちゃったんだよねっ」


 一息にまくし立て、俺が聞いていないことまで、ご丁寧に教えてくれた。ついでにもう一つの疑問も解決してしまおうか。


「あんたがナツメか?」


「あれ?私のこと知ってるんだ?」


「いや、さっき向こうの廊下にいた吹部らしき先輩に、ここのことを尋ねたら――」


「ふーん。そっかそっか。私は小巻夏目こまきなつめ。三年だよ。」


俺が言い切らないうちに答えてくれた。会話のペースが掴みづらい人だ。


「ところでキミはここに何の御用かなっ?見学なら全員がいる時が良いと思うんだけど。明日なら全員来る予定だからそれでどうかな、一年生くん?」


朗らかに言うナツメさんとやら。しかし三年か・・・むやみに明るい雰囲気が少し幼く見えるが、下級生を緊張させないように年上の振る舞いを心得ているとも取れる。

さっきの不思議な演奏といい、この人に興味が湧いてきている自分がいる。


「はぁ、そうっすか・・・。邪魔じゃなければもう少し吹いていっても良いですかね?」


 先ほどの不思議な高揚が残っているのか、無意識にそんなことを口走っていた。


「もちろんいいよっ!なんなら一緒に練習しよう!さぁさぁ!」

 てきぱきと準備を始めるナツメさん。譜面台にメトロノーム。懐かしい気分になる。部活を辞めてからはメトロノームを使うことなんて無かったと、少しの罪悪感を覚えた。


「このページ全部いくけど大丈夫?」


「あぁ、オッケーです」


有名な練習教本だから俺も内容は知っている。とはいえ、教本を真面目にやることはあまり無かったので、全て覚えているわけではない。


基礎練習を始める。一人じゃないのは随分と久しぶりだ。さっきの演奏を聞いて分かってはいたが、なかなか上手い。随分と慣れているようだ。それにこんなに楽しそうに基礎練習をする人を俺は知らない。


メトロノームが一定のリズムを刻み続ける。練習しているはずなのに、俺は自分の音をほとんど聞いていなかった。隣から聞こえてくる音が気になる。というより「聞けぇ~」と言われているような程の胆力を持つ音だ。


「いやーやっぱり一人より二人の方がずっと楽しいねっ」


「そっすね。俺も最近はずっと一人でやってたんで楽しいですよ」


「じゃーどんどんいこー♪」


 嬉しそうに言うナツメさんに乗せられるように、楽しい時間は過ぎていった。


音楽室を出て昇降口へ向かう。一通りの練習を終えた後、教室の後片付けを手伝おうとしたのだが・・・


「いいよ。そのままにしておいて。私はもう少し残るからね」


と、優しく断られてしまった。かえって気を遣わせてしまったかと、少し後悔する。玄関から何となく音楽室の方を見上げてみたが、入った時と同じように、静寂に包まれているように見えた。


何とも不思議な時間だった。ひょっとすると夢だったのではないかと疑わしくなる。それくらい現実感の無い時間だった。ただひとつ、明日からはもう少し真面目に練習しようと決意したのだった。


――明日が楽しみだな。未来に期待するなんていつ振りのことだろう。そんなことを思いながら、自転車は転がるように坂を下っていく。


                  ☆


「――じゃあ、お先に失礼します」


 そっけなく挨拶をされ、扉が閉められた。片付けを手伝うという彼の申し出を固辞し、私は一人音楽室に残っていた。


 誰もいないはずの音楽室からトランペットの音が聞こえたとき、疑問より先に興味が湧いた。自分とは全然違う、ソロに特化した奏法。誰にも合わせる気なんて無い、自分だけのステージに立っているような演奏だった。


 一瞬の逡巡はあったが、どうしても近くで聞きたくて、いてもたってもいられなくなり、音楽室の扉を開けた。窓際で男の子が楽器を吹いていたが、気付かれていないのか、私に構うことなく演奏は続いている。


 無意識に楽器を出していた。知っている曲だったのもあるかもしれない。今にして思えば、かなり失礼だった。私は情熱に突き動かされるまま、勝手に伴奏を入れていった。


 さすがに演奏を止められるかと思ったけれど、まるで気にした様子もなく演奏を続けている。ならば、ということでボルテージを上げ、彼のステージに土足で上がっていったのだった。


 即興の演奏会はすぐに終わった。演奏終了の合図を出してくれたということは、私が吹いていることに気付いていることは間違いない。それでも彼はこちらを向かない。目を閉じて何かを考えている様にも、余韻に浸っているようにも見えた。


ふふっじゃあお話させてもらおうかな。久しぶりに誰かと一緒に吹けて、単純に楽しかった。せっかくの機会だし、もう少し付き合ってもらっちゃおう♪


 そういえば名前・・・聞いてなかったな。私の名前は知っていたのに、少しズルい。まぁ私が聞かなかったんだけどさっ。名乗ってくれても良いじゃん!


 得も言われぬ感情に揺れ動く心のままに、ピアノの前に座る。ただの空き教室を、唯一音楽室たらしめているものがこのピアノだ。

 そういえば、今日は一人だからピアノの練習をしようと思ってたんだっけ・・・

手提げカバンに入っている楽譜を見て思い出す。下校時間まで一時間弱ある。それでも私は、どうしても今日はピアノを弾く気にはなれなかった。


「ついに見つけたかも・・・私の――」


                  ☆


翌日、今日は迷うことなく第二音楽室に向かった俺は、よくよく考えれば当然の事実に直面していた。

・・・鍵が閉まってんなぁ。

 終業と同時に真っ直ぐ向かったためか、早すぎたようだ。部員でもないのに鍵を取りにいく訳にもいかず、すっかり手持ち無沙汰になってしまった。どうしたものかと思っていると、こちらに向かってくる足音が聞こえてきた。


 何となく身構える。足音は男子の様だ。つまりは初対面ということになる。

現れたのはやはり男子生徒だった。随分と大柄だが、周囲をほっこりさせるような、何とも柔和な雰囲気を纏っている人だった。

 男子生徒は扉の前で所在無さげにしている俺を見つけると、若干緊張した様子になった。


「あ、あれ?何かご用ですか?」


「一応入部希望者なんですが・・・」


「マジですか!?すぐ開けますね」


 なんというか、妙に恐縮した態度をとられているんだが・・・。扉のガラスに映った自分の姿を見る。特に威圧的では無いはずだ。

 ならこの人は普段からこういう感じなのだろう。勝手に結論付け、気にしないことにした。


「さ、どうぞどうぞ。荷物は適当に置いてくれて大丈夫なんで。」


「あ、はい。ありがとうございます。失礼します」


 昨日入ったにも関わらず、初めて入った場所のような気がする。それでも沈黙が不快でないのは、彼が出すほんわかした雰囲気のせいだろうか。


「先輩が来るまでは、適当にのんびりしておいてもらって・・・」


 自己紹介とかをした方が良いんだろうか。今のところ分かるのは、この男子生徒が一年上の先輩ということくらいだ。そんなことを考えているうちに。先輩が楽器を準備し始めてしまったので、機会を失ってしまった。


「この部活って先輩たち二人だけなんですか?」

「僕を入れて三人かな。一人は忙しくてあんまり来られないけど・・・」


 そんなことを話していると、軽快な足音と共に、扉が勢いよく開かれた。


「ゴメンねー!ちょっと遅れちゃった!」「お疲れ」


「あ、お疲れ様ですー」「あ、どうも」


 明るい声と共に現れたナツメさんに、俺たちはのんびりした挨拶を返した。その背後からもう一人、男子にしてはやや小柄な人影が付いてきていることに気付くのが少し遅れてしまった。


「昨日の一年生くんも来てくれたんだね!それじゃ、全員集合できたことだし、今日の部活をはじめよっか!」


 ナツメさんの号令と共に、俺の高校生活初めての部活が始まる――


音楽室に置かれた椅子を、何となく円形に並べ直し、四人揃って腰かけた。


「それじゃ、自己紹介からいこっか」


「私は小巻夏目こまきなつめ。三年でこの部の部長。楽器はピアノとトランペット。名前で呼ばれることがほとんどかも!覚えているかもしれないけれど、一応ね。はい、次!」


 ナツメさんは胸に当てた手を右にやった。反時計回りに進んでいくらしい。


 指名されたほんわか先輩が、わざとらしく驚きつつ、自己紹介を続けてくれる。


「えっと僕は・・・三沢等みさわひとし。二年です。担当はトロンボーンです。よろしくお願いします。じゃあ次よろしくです」


 人の良さを隠そうともせず、三沢先輩が小柄な先輩?に話を振った。


「あぁ、俺は樅山与一もみやまよいち。二年だ。担当はサックス全般。余り頻繁には来られないが・・・よろしく頼む。じゃ、お前さんの番だ一年生」


 少し申し訳なさそうに言う先輩。


古我悠希こがゆうきです。楽器はトランペット・・・です。合奏は苦手です。お願いします」


 先輩達の真似をして自己紹介をした。やり易いように気を使ってもらったのかもしれないし、たまたまかもしれないが、何にせよ楽に越したことはない。


「はい、ありがとう!で、ここからが本題なんだけど・・・」


 せっかく自己紹介してもらったのだ、小巻先輩と呼んだ方が良いだろう。いや、むしろ部長と呼ぶべきか・・・

 そんな事を考えているところに、楽しそうな小巻先輩が切り出した。


「本題・・・ですか?」


「そそ。実はこの部に入るには、面接試験があるのです!」


「え、そうなんですか?」「初めて聞いたが・・・」


 ――えっと?


 自信満々な小巻先輩に対して、男性陣は疑問符を浮かべている。


「といっても、簡単な試験だからね!今から私たちが一つずつ質問をするから、正直に答えてね。」


「あぁ、それで・・・」「言っとけよ・・・」


 またしてもトーンの隔たりを感じる。どうやら昨日のうちに根回しをしていたようだが、理由は説明していなかったらしい。


「じゃあ、もーみんからね!」


 ――もーみん・・・樅山先輩がつっと顔を上げて俺の方を見る。しかし小柄だからか、もーみんが似合うな。なんて失礼なことを考えていることはおくびにも出さず、向けられる視線と対峙した。


「俺が聞きたいことは、お前がどんな演奏する時に一番大事にしていること、だ。どうだ?」


「終わった後に後悔しないこと、ですね」


「そうか、これからも大事にすると良い。俺からはそれだけだ」


 随分あっさりと終わったな。何かツッコまれるかと思ったが・・・それほど興味が無いのかもしれない。あまり読めない人だ。


「じゃあ、次はひとしくんね」


 ――没収されそうな響きだ。スーパーとかありそうだ。ダメだな、すぐ思考がそれる。


「じゃあ僕からです。古我君はトランペットということですけど、なぜ吹部ではなく、音楽部を選んだんでしょう?」


 想定できた質問だ。素直そうな三沢先輩らしい。


「自己紹介の時も言ったんですけど、俺は合奏、というか大人数での演奏が苦手で。中学の時助っ人で吹部で演奏したことがあるんですが、合わなかったんです。そもそも指揮に合わせて吹くことを楽しいと思わないんです。で、少人数のここなら良いかなって感じです」


 想定出来ていたせいもあって、少し喋り過ぎたかもしれない。上手く伝わっただろうか。


「合う合わない、好き嫌いは人それぞれだから、それで全然問題ないと思います」


 言ったことの半分も伝わっていない気がするが、こちらも余り興味が無いのだろう。いきなり無茶ぶりで質問させられているのだから仕方ない。次が本番だろう。


 俺は何となく居住まいを正し、小巻先輩を見た。


ふわふわした雰囲気の中に、ほんの少し鋭い空気が混ざる。出逢って間もない俺にも分かる。


「私からの質問ね。キミはここに何をしに来るの?」


・・・来たの?じゃなくて、来るの?か。良い質問だな。昨日までであれば、楽器ができて少人数という、俺にとっておあつらえ向きの部活だったから、と答えていた。

――でも、今は。


「漠然とした答えなんですけど、直感ですね。ここに来ると面白そう、というか楽しそう、というかそんな勝手な直観を信じて、ここに来ます」


雰囲気に流されたか、心のままに答えた。後付けの理由は、考えればいくらでも思い付くのだろうが、この縁を大事にしろと自分の中の何かが叫んでいる。


「そっか・・・うん!良いと思う!直感って大事だもんね♪」


笑顔で答えてくれる小巻先輩。満足げなのは大変結構なのだが、結果はどうなのだろうか。


「えーっと・・・俺は入って良いんですかね?」


とりあえず合否が気になる。不興なら、縁もへったくれもない。


「私はもちろんオッケーだよ!というか、別に入れないつもりなんて最初から無かったからね!質問をしたかったってだけだからさ」


「えー・・・」「真剣に考えた俺らがバカらしい・・・」


 三沢先輩と樅山先輩がこれ見よがしにため息をついた。そりゃそうだろう、ご苦労様です。


「えっと・・・じゃあよろしくお願いします」


 何となく頭を下げつつ言い、そういえば、と思いついた。


「入部届とか無いんですか?」


「あはは・・・実はまだ正式な部活じゃないんだよねぇ。うちの学校だと、創部には五人以上の部員が必要なんだけど、キミを入れてまだ四人だね。だから同好会扱いなのさっ。・・・がっかりした?」


「あ、いえ問題ないです。気楽そうで良いと思います」


 正直、勝手に教室を占拠している、とかよりはずっとマシだ。しかし同好会か、あまり部活との区別が付いていない。


「とはいえ、何もしないわけにもいかないからね、差し当たっては、再来週の新入生歓迎会での演奏だね。舞台に立つのは有志だけなんだけど、活動しているアピールのために、ねじ込んでもらったんだよ!」


 新入生歓迎会なんてものの存在を初めて知った。もしかしたら説明をされていたのかもしれないし、されていないのかもしれない。どちらにしろ、無関係面はしていられなくなったようだ。


 のんびりする気満々だったが、内に小さな火が灯るのをハッキリ感じる。静かに盛り上がる二人を横目に見ながら、冷静な人たちが声を上げる。


「あのぅ・・・新入生の古我君に出てもらって大丈夫なんでしょうか?」

「おい・・・古我は新入生だぞ」


 考えてみれば当たり前なことを、冷静にツッコんでくれる二人の反応を目の当たりにして、初めて俺と小巻先輩の目がバッチリ合ったのだった。


「・・・よし!ここは本人の意志に任せましょ。どう?出てみない?」


すぐさまこっちにボールが飛んできた。そんな軽いノリで良いのか。


「とりあえず、どんなことをするのか教えてくれません?そもそも出来ることなのかどうか分からないと・・・」


「私たちも今日が初合わせだからね。キミの腕は昨日で分かってるから、いけると思うんだけど・・・ただ――」


少し言葉を濁す小巻先輩。確かに三人予定を急に増やすと大変そうだ。ここは引き下がっておいた方が良いか。


「まずは聴いてもらうのが一番早いんじゃないか?」

「そうだね。やる前から悩んでても仕方ないよね!じゃあ準備して三十分後に合わせよう!古我くん、またウォームアップに付き合って!」


「オッケーです」


樅山先輩が提案し、小巻先輩が乗った。三沢先輩はもうちゃっかり準備をし始めていた。俺は昨日に続いて、小巻先輩とウォームアップをすることになった。


「~~♪」


楽しそうな小巻先輩。そういえば俺は譜面台を持っていない。買わないとなぁ

準備されたのは昨日もやった基礎練習の譜面。

一つの譜面台を使うため、必然的に肩が触れ合う距離になる。昨日はどうだったのか、さっぱり思い出せない。


「あの、小巻先輩――」

「ナツメ、ね。友達はみんなそう呼ぶから」

「はぁ、分かりました。ナツメ・・・先輩」

「うんうん。良いね♪さぁさぁやるよ!」


昨日やったお陰か、今日は詰まることなく吹き終えた。少し余裕ができた分、ナツメ先輩の音をよく聴けた。

何となく上手いと思ってはいたが、特に指回りが凄い。早いうえに正確だ。薬指と人差し指が同じスピードで動いている。


「ん?どしたの?」

「いや・・・指の動きが気色悪いですね。良い意味で」

「あっはは!よく言われるよ!ピアノのお陰だね♪でもさ、古・・・ゆーくんも高温の吹き方がキモかったよ!良い意味でね♪」

「合わせづらいとは言われてましたよ」


「あ、あれ?呼び方はスルーなの?」


「俺も名前で呼びますし、お互い様ってことで。」


友達っぽいし、とは言わないでおいた。何となく言わない方が良い気がした。


「えへへ・・・ゆーくん、ゆーくんね・・・」


ボソボソ横で呟き、身をくねらせているナツメ先輩は、間違いなく気色悪かった。色々台無しだよ。


「ところで、今度やる曲って難しいんですか?」


空気を変えようと、気になっている事を尋ねた。


「どうかな?私が吹けるように作ってるから、人によるかも。でも、三人だと休みはほとんど無いから、五分とはいえキツいのはキツいかも」


一瞬でスイッチを切り替えて答えてくれるナツメ先輩。


「何となくそうじゃないかと思ってましたけど、オリジナル編曲なんですね」

「私たち三人は、ね。フルスコアから必須部分を抜き出して――って感じだね。今日はその合わせなんだよね!」


 なるほど。四重奏や五重奏は楽譜もあるだろうが、三人、しかも混合は聞いたことが無い。早く聴いてみたい。


「じゃあやろっか」


 ナツメ先輩の号令で、音楽部の演奏が始まる。


先輩三人が横並びになる。向かって左から、トランペット、アルトサックス、トロンボーンという、無難な配置だった。


「じゃ、聴いてね」


 ナツメ先輩が合図のために、楽器を少し振り上げて――

 ガツン――と側頭部を殴り付けられたかのような衝撃とともに、演奏が始まった。


 何なんだ、これは――!?


 三人と思って気を抜いていたせいか、最初の音圧で驚いた。ナツメ先輩だけでも十分に人を惹きつける音だが、あとの二人のサポートが更に際立たせており、キレイな三人ピラミッドが完成している。

 ・・・というか、三沢先輩と樅山先輩も、かなり上手い。三人で本番に立てるのは、このメンバーなればこそ、ということなのだろう。

 演奏が終わった。しかし俺は最初に殴りつけられてからというもの、その衝撃でほとんど聴いていなかった。


「どう、楽しかった?」


上手い下手を聞かないのは先輩らしい。とはいえ、楽しんでいる余裕が無かった俺は、ちょっとしたお願いをしてみることにした。


「もう一回やってもらって、録音しても良いですかね?後で聞き返したいんですけど・・・」


「んん?良いけど、ちょっとバランス調整させてね」

「さすがにさっきのを録音されるのはキツい」


 ナツメ先輩の提案に樅山先輩も賛成した。どうやら、あの二人がメインに曲作りをしているらしい。三沢先輩は楽譜の確認に余念がない。


「んー・・・とりあえず三人でやる分にはこんなもんかな?」

「問題ない。第一人数が増えるかもしれんのだ。ここで詰めても仕方ない。おーい三沢」


 三沢先輩も入れて三人で調整が始まった。と思ったらすぐに終わった。随分と早い。


「オッケーだよ!」


「マイクとかは無いんですけど、最新のスマホなんで、そこそこ録れると思います。位置的には・・・この辺ですかね」


 俺は音楽室の隅に立ち、できるだけ聴衆の位置に陣取り、録音機能をオンにした。

 今度は落ち着いて聴こう、そう思いながら演奏に集中する。先ほどの調整の甲斐あってか、最初の演奏よりも演奏の質が上がっている。やはり普通に上手い。そのまま演奏が終わり、俺は録音を終えた。


「ありがとうございます。普通に上手いですね」

「んー・・・そうなのかな?」

 簡潔に感想を述べた俺に対して、ナツメ先輩は少し物足りなさそうに応えた。


「じゃあ録音したのを聴いてみますか?」

「んーん、いいよ。じゃあそろそろ終わろっか」


 何か思うところがあるのか、いそいそと片付けを始めるナツメ先輩。それに呼応するかのように、男性陣も片付けを始めたのを見て、俺も片付けをしていく。


「今日は私が鍵を返してくるからね。場所を教えておきたいから、ゆーくんは付いてきてくれるかな?」

「分かりました。お願いします」


「じゃあ、お疲れ」「お疲れ様でーす」


 樅山先輩と三沢先輩が揃って音楽室を出ていった。


「はーい、閉めるよー」

 

 音楽室に鍵をかけ、俺の音楽部初めての活動が終わった。


~~☆~~♪~~☆~~♪~~☆~~


スピンオフ1話はコチラ

https://kakuyomu.jp/works/1177354054895038501/episodes/1177354054895038990

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