good night

13話≠good night1

 ──やぁ、エフィ。


「あっ……くぅ……」


 ──お目覚めかい?


「はぁっはぁっはぁっ」


 ──と言っても、片目で目覚めたなんて、冗談にもならないよね。


「ベルン……ハルト?」


 土と煤でボロボロになっていたエフィリーネが目覚めると、ふと、自身の視界が半分欠けている事に気付く。


「これ。これはキミの物じゃない。良かったね、焔の熱の中で、痛みを紛らせて」


 同じ様なボロボロの風体のハルトは、右の手のひらでコロコロと転がせている褐色の眼球を握る。


「エフィ。僕は別にィ、キミを殺したいとかァ、思ってなんかいなかったんだァ。……いけないな」


「なん、で?」


 寄り添う様にエフィリーネの傍で座り込むハルトは、


「ただ、どう自分を納得させれば良いか、わからなかったんだ。それは今だってわからない。だけど今、瀕死のキミを前にして、キミを殺そうなんて思いもしない。……大体キミはエフィじゃないしね」


「……そうだよ。私は理恵子。でも、あなたの事は良く知ってる。あなた達の事も。だからいっそ、元の二人に戻って欲しい。その目で、許してあげれないの?ベルンハルト」


 ゆっくりと身を起こしたエフィリーネは、バラバラに乱れた紅の長髪を黒く汚しながら右目の鈍痛に耐える。


「殺したくない、と許す、のはまた別問題だよ理恵子ちゃん。それに、まだ、彼がいる。彼は、絶対にキミ達を許さないよ。そうなんだろォ?『強欲』」


 呼び掛けられて、ざわざわとした血管の脈動と共にハルトの表情に顕現するのは、あのエルフ。


「てめェは引っ込んでろォ!……やってくれたじゃァねェかよォ、姉ちゃん」


「あっ」


 力ずくで髪を鷲掴みにされ、引き起こされるエフィリーネ。


「『強欲』がブレたのは初めてだァ……自殺願望を消すなんざァ初体験だよォ気違い女ァ!」


「あはっあはははははっ」


「なにがおかしい!!!」


「だって」


 右目の空洞からは血涙を。左の目からは涙を。流しながら拭いながらエフィリーネは、顔面を崩壊させてやっぱり涙を流すハルトの姿を見て、そこに感じる。


「……お願い。春人」


 両の手を伸ばした先の、ハルトの頬に触れながら、エフィリーネは最後の頼みの綱を渡る。


「戻って来て。ねぇ春人。私を、一人にしないで」


 もう笑えない。もうこれ以上戦えない。


 エフィリーネの意識の無い理恵子にとって、ベルンハルトとエルフの意識を相手に春人を救うなんて事は、もはや出来そうもなかった。彼女はその怨嗟の鎖の、どこまでも部外者でしかなかった。そこまでする義理よりも、今は春人への想いが理恵子を動かす最後の動力となっていた。


「もう一度だけ……これで最後でいいからぁ……はるとぉ」


 エフィリーネの指が艶かしくハルトの頬をなぞる。


 血に染まった全身に片目の黒がさらに追加の赤を流す。


「はる……と」


 もうエフィリーネは限界だった。体力も、片目を抉られた傷も、流した血液も。


 とうに彼女の生命を維持するラインを越え始めていた。


 ──力が、抜ける。


 エフィリーネがゆっくりとその腕を支える筋肉の弱まりを感じ、視界が霞んでいくのを朦朧とし始めた意識で御する。


「……姉ちゃん。あの時ィてめェらがいなけりゃァ、俺はさっさっと森を出てェ、アイツらをぶち殺しに行けたんだァ。それをここまで引き延ばしやがってェ。ようやくだァ。ようやく俺は行けるゥ……!そしててめェはァ……その罪をォ……血で償え」


 それは、歓喜のあまりにエルフが流した涙だった。決して春人の意識があって現れたものではなかった。ハルトに春人は、もう。


「ベルンハルトォ……お前は俺の後ろで待ってなァ……俺がァ全部ゥ、片付けてやるよォ」


 離した手に支えられていたエフィリーネが力無く崩れ、倒れ込む。もう目線をハルトに向ける事さえかなわない。


「はると……はると……」


 壊れた玩具の様に言葉を繰り返すエフィリーネを見下げて、もはや何の未練も無いといった風のハルトは、


「じゃァなァ姉ちゃん。あの世でジジイに尽くせよォ」


 ──『強欲』。


 その『罪』の名を呟きながら少女の世界を終わらそうと、歪な右手を伸ばした。



────────────────────



 ──これは、しょうがない光景だ。


 周囲に何もない闇の空間の中で一人、春人は絶え間なく流れ込む外界の光景に何の反応も示せなかった。


 春人の中にはベルンハルトとエルフの人格が有る。特にエルフの人格は瞬く間にハルトを支配すると、主人格となっていった。


 ベルンハルトの記憶が春人に有るようにまた、この過程でエルフの記憶も春人に混ざり合っている。そして春人が感じ得た結論は、しょうがない、だ。


 ──お前にもお前の理由があるって、事だ……そりゃそうだよな。


 例えば、自身に急用が出来、バイトに穴を開けたとしよう。その穴埋めに友達が代わりにバイトに入って現場でふて腐れたとして、一体誰が悪かったのか。もしくは、全員悪かったのか。


 ──エフィリーネ……俺は、わからないよ。──理恵子……俺は、お前を助けたい。でも、でも。


 こいらだって同じだ。こいつらだって人を憎むし、愛するんだ。それが、同じ体に居て良くわかった。だから、しょうがない。でも。


「死なせて、たまるか」


 渦巻く、殺意。一瞬で最高潮を迎える、憎悪。


 それが、『祟り殺し』が応える唯一の感情だった。


「お前は……!俺と……!」


 巡る、巡る、記憶。あの夏の日の理恵子。


 この異世界でのエフィリーネ。


 ──死んでも良い。


 そのエフィリーネの言葉は、嬉しさのあまりの自虐に過ぎないと思っていた。しかし、心中覚悟の焔の柱が、彼女の本気を物語っていた。だから柏木春人は。


「生きるんだ!理恵子!」


 叫んで伸ばした腕の先で、エフィリーネが力無くこちらに目をやった。



────────────────────



 ──ポン。


 頭に置かれた手のひらに、エフィリーネは戸惑いを感じた。だがすぐに、


「はると」


 その名前を確信を持って呼べる事に気付く。


「……春人は、本当に本当にいっつも遅い。あの時だって、もっと早く来てくれたら、私は」


 声音に嗚咽が混じる。ズリズリと地面に顔を付けて隠す様に、エフィリーネは、


「だ、か、らぁっ……許してくれなくても良いからぁっ……嫌いにならないで……いなくならないで……はるとぉ」


 予感がする。春人はこの世界に来てからと言うものの、リサやエフィリーネと真面目な会話をする度こうなっていたのだ。


「ごめん。俺だよ。春人だよ。ごめんな、理恵子」


「あっあっあっ」


 エフィリーネの上げるしゃっくりと嗚咽が静寂な森の闇に滲んで消えた。春人はそんな

理恵子を撫で付けながら、内心で狂気の沙汰とも言って良い、感情の乱反射を無理矢理押さえ込ませる。


──ベルンハルトの困惑。


──エルフの憎悪。


 こと、この目の前の女の子に対して向けられる敵意を飲み込んで現れた春人の人格は、実際のところ、常人の域を越えた強固な精神力の賜物だったのだ。彼は、非凡だ。だが、その思い込んだら止まらない激情に裏打ちされた自己の確立力は、天才だと言っても過言ではないのだ。


「──大丈夫だ、理恵子。泣くな。俺は、ここにいる」


「だってぇ、だってぇ……」


「俺が春人として居る今、心配すんな。俺は柏木春人だよ。理恵子」


「あっ」


 抱き上げた彼女は、軽い。軽すぎる。見た目は大人の女性程のエフィリーネが、異常なくらい軽い。回した背中にヌルリと感じた血糊の感触が、乾き始めた顔中の血液が、眼窩の見える右目の窪みが、答えを出す。


「──大変、だったな」


 本当に本当の意味で、春人が理恵子の背負うモノの大きさと重さを知って、それを自分なりに解決しようとした理恵子を理解する。彼女は、殺戮の憎悪の渦中で、ずっと八つ当たりをされてきた様なものなのだ。それなのに文句も言わずエフィリーネとベルンハルトのしがらみを解こうとし、エルフの怨嗟にも立ち向かって行った。


 ──夜だけは、エフィリーネの主人格は眠る。


 つまるところ、この異世界でハルトが見た、エフィリーネの姿とは、それでも必死に置かれた状況に抗い続けた、一人の少女の姿なのであった。


 そんな簡単に思い至る思考に今さら気付いた春人は、胸の中で聞いた事も無いような大声で泣き喚く理恵子を、抱き締める事さえ遅すぎたと少し、後悔する。


(──安心しろよエフィリーネ……絶対にお前を……殺して、見せる)


 目の前のエフィリーネを抱き締めながら、泣きじゃくる理恵子を慰めながら、じんわりと眼光を赤く染め上げるハルトは、どこか虚空のナニかを剣呑とした表情で睨み付けていた。

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