呪われた強欲の事4
──それは、完全に獣と言って良い風貌だった。
「あっああ!?」
剣を構える暇も無く、赤い双眸を暗闇に残光させるハルトにおののく騎士達。彼等の間を激突してもおかしく無い速さで駆け抜けるハルトは、ビキビキと音を立てる浮き立った全身の血管を脈動させながら、もはや矢を連想させる鋭さで、
「おまえがァァァァァァッ!!!」
ゆっくりと振り返る隙だらけの女騎士にその手を伸ばした。
「……触るな」
その声音は、低く低く海底に沈んだ溺死体のような冷たさで、
「はぁっ!」
紅の焔が灯る長剣を振り切る様に横に薙ぐ。
「あはァ!」
即座に身を翻したハルトは、その手足を地につけ、まるで四足歩行の獣の様な風体で赤く発光する眼光の照準をエフィリーネに定めた。
「……よくも僕の前にィ顔を出せたもんだなァ!人喰い女がァ!!」
「貴様は……誰だ?」
「決まってんだろゥ!?俺だよォ!俺だァ姉ちゃん!ハルトだよォ!!!」
「黙れ!!」
紅の髪色の女騎士は叫ぶ。ベルンハルトの姿をしていながら、口調はあのエルフのもの。しかし、言葉遣いの各所の懐かしさは、ベルンハルトの──
「……黙れ。お前は、お前は、誰だ!答えろ!!」
「ぷぐッ!あーーーーはッはッはッはッ!!誰だ!?だから、僕だよ!いや、俺達だよォ!エフィッ!!!」
「…………!」
憎悪が、燃える。理恵子は悟る。目の前の男は、自分を救った春人でもなく、この異世界で初めて実感した安堵感の相手でもなく。
──唯自分と同居するもう一人の自分の贖罪の相手であり、もう一人の自分の仇でもある事を。
「名乗ろうかァ兄弟ィ!俺達はァ!今この瞬間からァ!『強欲』ベルンハルトだとォ!」
森の闇空を見上げながらハルトは高らかに吠える。吠えて、喜びに打ち震える全身の血管を最高潮に肥大化させる。そして、
「 兄弟の提案だァ。お前の右目は喰う。喰って、喰って、お前に絶望をォ。兄弟に納得をォ。……まァッたく、大賛成この上ないねェッ!!」
エフィリーネを睨め付けたその血に濡れた双眸に、そこに柏木春人がいない事実を彼女に突き付けた。
「……そう」
エフィリーネの長剣に灯る焔が静かに、徐々に小さくなり、そして、消えた。
──冷気の満ちる夜の森に、一瞬の静寂と闇が漂う。
「──春人は、どこ?」
擦り潰れる様な低い声音をエフィリーネが溢す。
「あァ?コイツかァ?んなもん、とっくのォ昔にィ……」
親指で自らを指すハルトは、顔の表情の見えない暗闇の中、堪えられない笑声を言葉の端に乗せ、
「死んでいるんだろうがァ!!もうここに!なんも残っちゃいねェよォ!!!」
エフィリーネに絶望を与える事実を、高らかに高らかに宣言した。
──瞬間、森が燃える。
正確には突如地面から噴出した紅の焔の火柱が、見え得る範囲内に数十本と燃え上がっているのだ。
雲まで届いているものかと錯覚させる程に高く高く、そして、大木の様な太さの火焔柱は、薄暗い森を照らして辺りを紅に染め上げる。
「……みんな、この場は私に、魔力のすべてを。お願い」
「お、おまえェ……!?」
真っ赤な双眸に紅の焔を映し焦燥を一筋の冷や汗に乗せて流すハルトは、目の前の女騎士の歪さと、同居する神々しさを見た。
「皆、悪いが命令を。今の私に手加減は出来ない。……さっさと逃げろ」
言われるまでもない。思い思いの悲鳴と嬌声を上げて林道をあちらこちらに逃げ惑う騎士達は、先程までハルトに感じていた緊張感のベクトルを、仲間のはずのエフィリーネへと向けていた。
──血染めの、エフィリーネ。
このアレグリア国内で、およそ騎士に職を置く者であればその存在と二つ名の組み合わせを知らぬ者はいない。噂話しや陰口で口にする事はあっても、こうして目の前に実際に顕現した二つ名の存在に、彼らは恐怖を越えて半錯乱状態と言って良いほどだ。
「──さて。逃げるなら今だよ?春人を残して返して。そうすればその体は無傷でいられる」
滴る、赤。
顔面の左右を割るツギハギの跡から、左手の先から、そして、右目の褐色から。
鎧に隠れて見えない部分からの出血もあるのだろう。全身から滴り落ちる血液が、まるで致命的な傷を負った満身創痍の騎士を思わせるものの、彼女の語調はまったくもって強い。異様に伸びた左耳に見覚えがあったハルトは、
「てめェ……『喰った』のかァ?」
「そうだよ……あなたのお父さんも、食べたよ……だから、この目は」
大きく、大きく見開かせた瞳に、血涙を流す右目の褐色に、ハルトは抉り取りたい衝動に駆られた。
「お父さんだよ。ベルンハルト」
「アァアアァアァアアァァァアァ!!!」
絶叫。
可愛げに小首を傾げて微笑をたたえるエフィリーネの顔面を睨み殺す様な視線で射抜いて、
「わァッてるよォ兄弟ィ!『強欲』!!」
勢い良く目前の仇の女にその血管の浮かび上がる右腕をヌルリと伸ばした。
「っァ!」
エフィリーネは理解している。この敵の『強欲』とは、相手の意識の先端にある行動を封じる能力だと。それは古城での戦闘で身に染みて知った。害意を持って攻撃を仕掛けても、害意そのものを封じられては意味が無いし、恐らく一対一の戦闘でこの『罪』に勝利するのは難しい事も。
「なんだァ?ヘロヘロじゃァねェかよォ……
姉ちゃん」
「あっ、ぐぅ……」
ハルトに鷲掴みにされた首筋が、空気を遮断してエフィリーネを圧迫する。
「……ぜんぶこけおどしだったてェ事かよォつまらねェ。なぁ兄弟ィ?この女ァお前はどうしたいィ?……ああそうだなァそうだよなァ」
ソロソロとハルトの右腕がエフィリーネの顔へと伸びる。
「それ、返してよ」
それ、それは、褐色の。
声音の変わったハルトの指が、エフィリーネの褐色の眼球へと迫る。
「それっくら、い、あげる……で、も」
息も絶え絶えのエフィリーネの喉から絞り出された言葉。
「春人の体は、っ、私が、もらう」
ヌルリとした指がエフィリーネの眼球に触れた時、森を焼き照らしていた火柱が、
「……一緒に死んで?春人」
害意とも殺意とも自傷とも言えないモノを含んだ涙声と共に、彼女に元へ凄まじい速さで集中して、
「──『強欲』!!」
狂った様にその『罪』の名を呼んだハルトが、一体これはどれに対して、何に対して、効力を発揮するのか、と、一瞬の逡巡を巡らせたが、答えを出す間も無く。
数十本の豪焔の火柱は、エフィリーネとハルトを中心にして一つに纏まり、暗黒の夜空を突き抜ける焔の山の様な雄大さで、夜を昼間の様に照らして燃え上がった。
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