呪われた強欲の事3

──もはや彼の跡形も無い魔力の混じり合いに、白猫は呆れ返って、それでいて感心していた。


「……お前にはこの五百年ばかり、見付けた『呪い』の中じゃあ素質がある方なのさね。柏木春人」


 暗闇に包まれる木造平屋のハルトの室内で、しかし白猫だけが煌々と光っているかの様な純白の毛並みを月明かりに際立たせる。


「……聞いてるのさね?お前」


 誰に、誰が。白猫の問い掛けは、ハルトに向けられている。しかしハルトの体はベッドに横たわり眠りに入っているのだ。一体その言葉はどこへ、


「あァ?」


 だ。それがハルトの口から漏れた返答なのだ。


「胡散臭いからやめるさね、その演技。お前、助けられたのさね、『祟り殺し』に」


 ベッドの脇で、しかしそれでいてハルトととの距離感を微妙に保つ白猫は、口だけが動いた、とでも言う様なハルトの返答にざわついた気配を隠せない。


「お前はァ、やっぱり災厄の魔女かァ」


 寝ていた姿勢のままで口だけを動かして答えるハルト。その声音はハルトのモノでは無く──


「グッドモーニング。俺だよォ、俺。わかるゥ?」


 むくりと身を起こしたハルトのその形相は、


「強欲……!」


 血に濡れたあの小人達の様なぼんやりと発光する赤い瞳。そして、まるであのぐるぐる巻きにされた包帯の下に隠していたかの様な、顔中、体中の傷。正確には傷ではなく、そう見える風に血管が強く浮き上がっているのだ。


──そしてその顔は、紛れもなくハルトその人のモノ。


「そんな睨むなよォ魔女ォ。俺がァ何したんだってんだァ?おっと口が滑ったァ。てめェは魔女だもんなァ、いかつい魔法でも使われたらたまらねェよなァ!」


「……お前、いい性格してるさね」


「かーかッかッかッ!いやァ最高に良い気分なもんでねェ」

 

 ギラギラと双眸を光らせるハルトは、威嚇する体勢で険しい白猫を見下す様な、恍惚とした表情で嗤う。


「『呪い』がァ!『罪』に喰われて消えるなんざ笑い話だァ!まだだァ、まだ俺はァ終わっちゃいねェ……まずはァ、てめぇだァクソ猫ォ!!」


 ハルトの放つ雰囲気が変わる。『強欲』だ。その殺意に満ちたどす黒いオーラは魔力とも違う圧迫感で白猫に迫る。


「……少し、黙るさね」


 ──ディル・オル・ダフス。


 白猫が重い魔力を込めた呪文を唱えた。


「がァ!!??」


 ぶわっと放出した汗に、ハルトは戦慄する。


 これは死。死の空気感。この部屋全体に満ちる、自分が喪失していく虚無が充満している。このままここに居ては自分が終わっていく。無条件に他者の生命を奪う魔法など存在して良いのだろうか。これが、災厄の魔女、エルヴィラ。


「強欲。お前が死の苦痛にのたうち回って絶命しても、私にはその体を蘇生させる術があるさね。さぁ喚け、もがけ!私には千の呪文と四賢人の教えがある!たかだか『罪』ごとき、相手にならないさね!」


「てってめェェェェェェ!!」


 絶叫、高揚。苦痛の涙と体中の精力を奪われていくハルトは、もはや呼吸も出来なくなった首を締め上げる様に握り締める。


「くそがァッ!許さねぇッ許さねぇッ許さねぇッあいつらもッあいつもッあいつゥゥゥゥゥゥ!?」


「!!!!」


 もがき苦しむハルトの真っ赤な双眸が一瞬で、褐色に戻る。その変化に思わず目を見開く白猫は、


「春人!!」


 願う様な、嘆願する様な、そんな含みを持った絶叫を声に出した。


「………コロス」


 狂気の沙汰。この時のハルトを表現する言葉があるのなら、まさにこれだろう。


 発狂に近い叫びを上げ、白猫の魔法により生命の危機に陥った今、ハルトは静寂だった。


 先ほどまで滲んでいた汗は嘘の様に引き、傷の跡を形とっていた血管は静まり、真っ赤な双眸は褐色に。


 元に戻った。訳では、決してなかった。


(最悪のタイミングで……。いやさ、元よりこいつは……!)


 もはや魔女の死の魔法は何の意味を持たなかった。彼女のそれは、相手に確実な死を与える四賢人の魔法。だがそれは、対象者を一名と制限する。


「……お前、誰さね」


 まだわからない。返答があるのかもわからない。しかし白猫は、明確にこの目の前の男がどの人格を持っているのか、それをハッキリさせなければならなかった。


「…………」


 ゆっくりと白猫へ視線を移すハルトは、まるでその瞳に見た存在がそこにいないかの様な、そんな超然とした、それでいて呆然とした、そんな曖昧な目付きで白猫に、


「……僕?僕はァ」



「ベルンハルトだよォ?クソ猫ォ?」



 最高の笑顔で返した。



────────────────────



 ──街道へと抜ける林道の道中、エフィリーネ一行は夜の帳が降りる森の中で相変わらず歩き続けている。


 先頭を行くエフィリーネの手に持つ長剣からほのかに立ち上る紅の焔が、周囲を不規則に照らしていた。


 このまま林道を抜ければ街道との接続地にある小さな集落へと辿り着く。多少強行軍にはなってはいるが、一刻も早くハーステッドの村から出たかったエフィリーネはほぼ無言のまま今に至る。五人の騎士達も、そんな女騎士の態度に反論も無くただ従順に付いていく。


(……春人……)


 暗闇の林道を険しい表情で見据えて歩くエフィリーネはしかし、どこか悲しげな憂いをを眼差しに乗せ、森の先にいるはずも無い彼を想う。


(私、あきらめないからね)


 今この時、夜の世界でここにいるのは紛れもなく理恵子そのものなのだ。エフィリーネへの情もある。ベルンハルトへの後ろめたさも知っている。ただこの瞬間のエフィリーネを支配する意識は、柏木春人への想いで一杯になっていた。


(でも……)


 許さない。あの時そう宣言したのは紛れもなくハルトだ。それがベルンハルトのモノなのか、春人のモノなのか。今となってはわかり様が無い。それでもそれは、ベルンハルトの意思であって、春人が言ったわけではない。そんな一方的な決め付けで理恵子は無理矢理自分を納得させる。そうでなければ、理恵子は異世界で遂に出会えた希望を失ってしまう。それだけは、絶対に避けたかった。


(ごめんねエフィ。せめて夜だけは、想わせて。私はもう、この世界でも絶望したく、ない)


 ──脳裏に過る、最期の記憶。


 それは柏木春人のソレとは比べ物にならないかもしれない程に、不可逆な終わり。


(私は、私達は同じ世界にいるんだから。──待ってて、春人。私は絶対に、あきらめない)


 長剣に灯した焔が僅かに盛る。そんな微妙な変化に気付く訳もない騎士達は、


「……お?」


 背後の闇からの、


「なんだ?」


 その、


「魔獣かもしれない」


 藪を掻き分け猛烈な勢いで忍び寄る、


「エフィリーネさ……」


 

 ──赤い眼光を見た。



「コロォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォスッ!!!エフィリーネェッ!!」


 ハルトは、完全な狂気の塊となる。

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