呪われた強欲の事2
──アレグリア共和国の南西、ノルン森林地帯に位置するのがここ、ハーステッド村である。首都まで続く街道もこの村に接続は無く、村を囲う簡単な柵の両端から延びる狭い林道が街道へ出る最短ルートだ。黒ずんだ紅葉の混じる冬の木々の中、エフィリーネと五人の騎士達は徒歩で街道へと向かっていた。
「……彼らはどうだった?」
古城で一夜を明かした後、五人の騎士にハルト達の手伝いを命じた以降ほぼ沈黙を貫いてきたエフィリーネの久々の言葉に、騎士達がビクリと反応する。
「は、はぁ。死体の埋葬などは我々が行ったので……さすがにあの家に住み続けるのは気が引けた様ですが、それ以外特段目立った事は」
「そうか。ご苦労」
「いえ」
その一言でまたも長い沈黙に入ってしまうエフィリーネ。やれやれと首を傾げる騎士達は、先頭を行く紅色の髪の女騎士の放つ剣呑とした雰囲気に誰も喋りかける事はしない。そもそも同じブレイズ・ナイツ騎士団所属の彼らだったが、エフィリーネはその中でも異端の存在である事も、それに拍車を掛けていた。
「…………」
無言の女騎士は、誰もいないはずの前方を見据えて、声音の無い口で呟く。
──ベルンハルト。
それはエフィリーネにとっては贖罪の名。しかし理恵子にとっては春人に重なる他人の名。この時のエフィリーネが、どちらの意思と意識が優先されていたかは彼女の鬼の様な形相を見れば一目瞭然なのだった。
────────────────────
「ハルトお兄ちゃん。森に行こうよ」
傍らに眠る白猫をぼんやりと眺めてベッドに腰掛けていたハルトに、そろりと扉を開けてそう誘ってきたのは妹の、リサ。いつもの元気な勢いも無く、静かな声音で兄に目を合わせてくる。
「どうした。お前はもう少しゆっくりしてろよ。あんな事があったんだから出掛けるなんて……」
「だからだよ。ちょっと気分転換しようよ。家に引き籠ってたって、面白くないし……」
そう言って口を尖らせるリサは、
「ねぇ、お兄ちゃん行こう」
ベルンハルトの記憶にも無い程積極的にハルトを連れ出そうとする。正直、自分の口が自身の理解出来ない発言をしたハルトはリサにもいらん事を言ってしまうのではないかと一瞬考えたものの、
「わかった。行くか」
その理解不能の発言の大本はベルンハルトのモノだと何となく決め付け始めていたハルトは、さすがに妹を傷付ける様な真似はしないだろうと立ち上がった。
「外、寒いよ。待ってる」
扉の向こうで外へ向かったリサの姿が見えなくなる。ハルトはベッドでマイペースな眠りにふける白猫に目を落とすと、
「ああ、ほんと俺、なにやってんだろ」
脳裏に浮かんだのはエフィリーネへの言葉。
──許しちゃいねぇ。
「……お前はやっぱりそうなのかよ?ベルンハルト」
そっと触れた頭を、その中身を、ハルトは探る様に髪を鷲掴みにした。
────────────────────
──待っていたリサに並んで、ハルトは白い息を吐く。
「行こうか」
「うん」
小雪が散らつき始めた昼を大分過ぎた頃。歩き始めたハルトの肌を切り付ける氷の空気に鼻をすする。
「大変だったな、昨日も、一昨日も。……元気ないじゃん」
もう大仰に離れずハルトの傍に並んで歩くリサは、目線をやや下に向けながら応える。
「……そうかな?そんな事ないよ。元気だよお兄ちゃん」
「……母さん心配するもんな」
「……!……うん。元気、無いかも」
母親の名を出されて一瞬目を見開いたリサは、項垂れる様に肩を落とした。
「お兄ちゃん。お兄ちゃんは大丈夫なの?どうして……お姉ちゃんに」
──あんな事を。
そう言い切らなかったのは、リサのエフィリーネへの絡んで膿んだ感情が、ハルトにもあると思っているからだ。むしろリサにとって、ハルトが本当の意味で兄と思えなくなったのはその感情が中心にある。自身があの時古城でエフィリーネに礼を言えたのはハルトの存在が大きかった。
──あのお兄ちゃんが。
──私の思った事を言って良いなんて。
その一言で、リサは兄妹二人を縛っていたエフィリーネへの憎悪、父親への寂寞をハルトが断ち切ってくれたと解釈していた。それが、悪い冗談の様にあの手の平返しの一言だ。ハルトが自分の発言に苛まれている以上に、エフィリーネへ心を開き掛けていたリサの戸惑いは大きかった。
「…………ごめんな」
心配気に見上げるリサに目を合わせず、明後日の方に目をやる。その言葉の意味は妹へのものか、それとも。
「俺にもわからないんだ」
「そう、なんだ」
本当にハルトにはわからない。エフィリーネは理恵子でもあり、この異世界で出会った唯一の知人なのだ。これから頼る事も、頼られる事もあったのだろう。それが、ぶち壊しのアレだ。何故?何故?
「…………!」
ぎゅう、と絞った瞼に、泣きじゃくるエフィリーネの姿を映して、あの時感じた喜びと安堵感にもう戻らない不可逆の後悔と絶望を感じ、ハルトはなにか息苦しさを感じた。
「お兄ちゃん、ここだよ」
「……あぁ」
駆け出したリサが立ったのは、薄っすらと雪の積もる森の木立のあの場所。この異世界での目まぐるしい展開の記憶を遡り、辿り着いたこの場所。そこは、
「俺が最初に見た……場所」
ハルトにはその一言が迂闊にも自らがベルンハルトでは無い、と宣言している事にも気付かない程、その光景に魅入っていた。柏木春人でもなく、ベルンハルトでもない。ただ、どちらでもなかったハルトが目を覚ました場所。煙草を吸おうと窓際にあったライターに手を伸ばし、柵に寄り掛かった自分。吹かした煙草にむせて、次の瞬間、無重力感に呆然とする自分。そして、死。
終わった世界での記憶の途切れた先にあった、この光景。
忘れもしない。ここは、ハルトの始まった場所なのだった。
「あぁ……そっか。そっか。そっかぁ」
涙が、止まらない。
自分に同居するもう一人の自分。でもそれは、自分ではなく他人だ。彼は何者でもなく、紛れもなく柏木春人その人なのだった。その証拠に、こんなにも涙が止まらない。
「俺は……俺は。あぁ…………煙草、吸いてぇなぁ……」
膝をついて泣き震えるハルトに、リサは、
「……私は、リサ・ブレイズ・ブランドナー。歳は十三。取り柄は……いつも元気な事かな。お兄ちゃん、ううん、あなたは?」
「……なに言ってんだよリサぁ……俺は、俺は……」
駄目だ、自分が壊れる。ハルトはエフィリーネへの決別の言葉で最後の頼みの綱を引きちぎられていた。もう、本当の自分をさらけ出せるのは、目の前の、この、
「俺はぁ……柏木春人だょぉ……お前のお兄ちゃんなんかじゃぁ、ねぇよ……」
嗚咽と共に吐き出された告白が、涎と共に雪の地面に落ちる。ああ終わった。何もかもめちゃくちゃだ。エフィリーネ、理恵子を失い本当の妹だと思えてきたリサも失うのか。何を口にしているのか、また、この口は。
──ああ、これは俺だ。
と、汚ない涙声のハルトは気付いて、もうどうしようもない自分に絶望し、憎しみさえ覚え、自分で自分を殺せたらどれだけ良いか。とさえ思った。
「……わかった。で、あなたは私のお兄ちゃんなの?それとも、柏木春人さんなの?」
「あぁうぅ……?」
意味がわからない。この目の前の少女は何を言っているのか。俺は、俺は、と自問自答の世界に没入しようとするハルトに、
「今のあなたの正直な気持ちを私に伝えて。それだけで、いいんじゃない?」
「……あ」
それは古城でハルトがリサに言ったアドバイスだった。否、それは春人の言葉だ。春人の意識で生まれた言葉で長年のしがらみから解放された少女が目の前にいる。実感が湧く。俺は、ここに居る。
「俺は……柏木春人だよ。お前のお兄ちゃんでもなんでもない。ベルンハルトはもういないんだ。お前の事は良く知ってる。でも、知ってるだけなんだ。俺は、柏木春人なんだ」
「うん。そう。そう、なんだ。……柏木春人さん」
「なんだよ………なんなんだよ……」
──もう嫌だ。自分を殺したい。殺したい。この世界でも、こんな気持ちになるなんて。そうならないと何度も立ち上がったこの異世界で、やっぱり俺は俺なんだ。
何もしなかった前世で、何も成し得なかった前世で抱いたほのかな絶望が、何かをしたかったこの異世界で、ハッキリとした殺意に変わる。どれだけ苦しくても、やろうと頑張れば必ず出来る自分だと嘯いてきた自分が、結局はこれだ。
自分は天才じゃない。やれば出来る訳じゃない。
──やっても、出来ない凡人だったんだ。
もう、何かも失った気がする。
理恵子との関係も、妹リサとの関係も。およそハルトが縋ってきたものは、ここにきて全て灰塵に帰した。何も残っていない。
握った地面と雪の冷たさに、熱い涙がハルトを混乱させる。歪だ、と。
「……お兄ちゃんに、ならなきゃやだ」
「……は?」
思いもよらぬ言葉に、真意を探り外れてハルトは上げた顔の目線をリサに合わせる。
「……嫌だよ……お父さんもいなくなって、お兄ちゃんもいなくなるなん、て。やだ。やだ……」
「あっあぁ……」
崩れる。リサの顔面はもう、決壊寸前だ。
「ハルトお兄ちゃんはハルトお兄ちゃんでしょ……?リサの事も知ってるし、みんなの事も知ってる。なんで、なんで、なんで」
「なっ、やっ、ああ」
ポタポタと落ちて雪に消える熱い雫がリサの頬を伝う。その年端もいかない妹の不恰好な姿を見て、ハルトはようやっと知る。
「っだぁっ!」
「わきゅ!」
起こした身の勢いのままに、ハルトに頭を鷲掴みにされたリサが鈍い息を漏らす。
「うるさい!泣くな馬鹿妹が!泣きたいのはこっちだってーの!クソッ」
言ってリサを抱き締め上げるハルト。
「あっ、お兄ちゃん?……お兄ちゃん?お兄ちゃぁん……」
「うるさい!うるさい!もう!わかった!俺は、お前のお兄ちゃんで良い!」
言って訳がわからない自分の言葉に内心ほくそ笑むハルト。
そうだ、もうこの子に感じたモノはあるじゃあないか。
「うえ~~~~ん」
「あぁ、もう!泣くなって!」
この子を泣かせまいと決めた自分が、自分自身の気持ちが。柏木春人としての決意が。
「ああ!もう~~」
泣き喚く妹を胸に抱いて、ハルトはつくづく思う。
──抱いて、泣かれて、ばかりだな。俺。
ポンポンと、リサの背中を叩くハルトはその双眸を血に濡れた真っ赤に変えて、紅の髪色に意識をやった。
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