12話≠呪われた強欲の事1
──ブランドナー家はアレグリア共和国が王国であった五百年も前から、貴族として名声と栄誉を授かる名門家だった。二百年前の『大戦』では、四賢人の一角たる人材を輩出し、アレグリア王国の政治基盤になった事さえある。しかし結局、『大戦』は四賢人の死により決着がつき、表立った戦闘の無かった四賢人達はその存在価値を問われ、求心力を失わせていく。従ってブランドナー家も衰退を極め、最後に残った小さな古城を所有するに至っていた。
──ベルンハルト・ブレイズ・ブランドナーは、そんな脈々と続いてきたブランドナー家最後の後継ぎである。父、レオルは、ブランドナーの血筋に関係無くアレグリア共和国騎士団の副団長としての地位を持つほどには、個人として優秀だった。しかしベルンハルトには、剣才知謀も無い。いつ終わっても不思議の無いブランドナーの血統が、ベルンハルトの代で終わる事は想像に難くない。
「お兄ちゃん、朝だよ。ご飯出来てるよ」
「ああ……おはよう。リサ」
そう言ってゆっくりと身を起こしたのはハルト。
「……うん。お母さんも待ってるからね」
少し開けた扉の隙間から顔を覗かせていたリサは、ハルトが起きた事を確認すると朝食が並んでいるであろうダイニングへと向かって行った。
「……疲れた」
ぼんやりと朝日の射し込む窓際で、ハルトは寒々しい森の景色を眺めながら、呟く。
「……どうしようか。これから」
無表情のハルトは、二日前に自身が放った言葉の意味を反芻しながら頭を抱える。
「俺は……柏木春人、だよな?なぁ、ハルト。俺は、お前なのか?」
あの時エフィリーネに言った言葉は春人のソレでは決して無い。勝手に口が、それこそ空気を吸って吐くくらいに自然に思い付いて出たモノだった。だからこそ、春人には違和感が気持ち悪さと変わって胸を締め上げる。
「お前は……いるのか。ここに。いるなら、話せよ。俺と。なんで今は何も言わないんだよ……」
ハルトのソレは、エフィリーネと理恵子のソレとは程遠い。あの時彼の意識に入り込んで来たナニか。脳内に自分とはまったく異質の存在が潜んでいる。いつ顔を出すかもわからない。まるで夢遊病の様な状況に、しかしハルトは抗う術を持たなかった。
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「ハルト、昨日はご苦労様ね」
そう言ってにっこりと微笑むのは、ブロンドの長髪を肩まで流す母親。
「ほんっと。気持ち悪かった~~」
ばくばくと朝食を口一杯に頬張るリサが、静かに口を進めるハルトに視線を移す。
「まぁ、血糊がべったりだったからな。結構綺麗になって良かったよ」
目玉焼きの様なモノを口に含みながら昨日の惨状を思い出すハルト。
『強欲』との戦いの後、一夜明け自宅たるこの平屋に戻った ハルト達が行ったのはまず、後始末だった。
頭がぐちゃぐちゃになったゴブリンや、四肢の断裂したゴブリン、その傷痕から流れ出た血液などがそこら中に散らばり、もはや地獄絵図も良いところの惨状。
エフィリーネの気遣いなのか、平屋までハルト達三人に付き添った五人の騎士達が見かねて後始末に付き合ってくれたのは、ハルトにとってありがたかった。素面で見たら嫌悪感しか与えない生物の死骸を、淡々と地面に埋葬していく事などやりたくもない。それでもリサの部屋で母親の血を拭き取る時には、真っ赤に濡れた雑巾を絞る事に躊躇いを覚えた。
「でも、ちよっと直さないとね。壁もけっこうへこんじゃってるし……いっそお城に住んじゃう?」
「え、やだよ。あそこ無駄に広くて寒いし……絶対幽霊いるって。あんなとこ行くのお兄ちゃんぐらいじゃん」
「リサ。幽霊なら居たぞ。俺の話し相手になってくれてた幽霊がさ」
「うわ!なにそれ!やめてよあの時だってほんとは行くのは嫌だったんだから。あーあんなとこで寝てたの、信じらんない」
「にゃ~ん」
眠た気な鳴き声を上げたのは、いつの間にか居着いていた白猫だった。小さく炎を燻らせる暖炉の前で丸くなった白猫は、和やかな表情でまどろみに入っている。
(こいつめ……一人でまったりしやがって)
その白猫を一匹ではなく一人と独白するハルトは、すやすやと眠りに入るマイペースな魔女を睨み付けながら最後の目玉焼きを飲み込んだ。
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「なんか、おかしいんだけど俺」
自室に白猫を抱き抱えて置いたハルトは、開口一番そう言い放った。あっ、と白猫を運び去るハルトを見てリサが一瞬逡巡していたのは多分、白猫をいじくって遊びたかったからなのであろう。
「ねぇ、白猫さん?聞いてる?起きてる?ねぇ、だからさ、僕、おかしくなっちゃってるかもって言ってるんだけど。ねぇ、ねぇ、ねぇ」
ポンポン、ボンボンと白猫の頭を小突くスピードを徐々に上げながらハルトはぐったりと睡魔に襲われている白猫を問い詰めた。
「ねぇ、ねぇ、ねぇ。起きろー起きろー」
ぐしゃぐしゃと頭を撫で付けても、白猫は反応を示さない。そんな白猫の態度に次第に苛ついてきたハルトは、
「………ちっ、くそ猫が」
悪態をついた。
「クエイク」
「うおっ!?」
「ちっ」
グラリと揺れた足元にすくわれたハルトがベッドに倒れ込む。柔らかなマットとハルトに挟み込まれる形となった白猫が忌々しそうに舌打ちをした。
「……私はまだ寝てたいのさね。お前の話しは十分な睡眠を取った後に聞いてやるさね。それじゃ」
この状況でも眠りに入ろうとする白猫に、
「タンマタンマタンマ!待てよ!だから少し俺の話し聞いてって!おかしいんだよ!なんか変!これマジでやばいやつだって!」
「……それだけ軽口叩けるなら、死にゃしないとるに足らない事さね。それじゃ」
「なっ!なら契約だ!契約者としてお前に命令する!俺の話を聞け!」
ハルトの体重に押し潰されても眠ろう眠ろうとして気だるげな態度だった白猫が、
「何を勘違いしているのさね?お前と私の契約において主導権はお前には無い。選ぶのも、決めるのも、私さね」
若干苛ついた声音でハッキリとモノを言う。
「まぁいいさね。めんどくさいから話しだけは聞いてやるさね。……とりあえずそこ、どくさね。重い」
「あ?あぁ……」
年長者からの叱責の様な雰囲気に気圧され気味のハルトが、ソロソロと身を起こし白猫を解放した。
「ふぅ。で?なに?」
「いや、その……」
不機嫌そうな白猫の眉をひそめた表情に、ハルトは少したじろぎながら、
「なんというか、もう一人の俺?ベルンハルトの意思?って言うか……俺が俺じゃないと言うか、いや、なかったと言うか」
「ハッキリしないさね。質問をするなら整えてからにして欲しいさね」
「だから、訳がわからないんだって。具体的に言うとだな、俺が、柏木春人が思っても無い事を、俺が喋ったというか」
「ふーん」
薄く目を細める白猫は、計るようにハルトの姿に目をやる。
「……そりゃ前にも言ったあんたに掛けられた『祟り殺し』の権能の結果さね。あんたは柏木春人でベルンハルトなのだろう?今まで無言を決め込んでたもう一人が、いてもたってもいれなくなってらしゃしゃり出ただけじゃないのさね?」
「やっぱそうなのか……でもなんと言うか、ベルンハルトとも違う感じがしたんだ」
「…………今は深く考えない方が良い事もあるさね。ともかく、私から言える事はあんたの事はあんた自身が一番良くわかっているはず、と言ったところさね。どうさね?そこんところは」
「わかってたら聞いてねぇよ……心当たりも……」
ふと、ざわついた脳裏に過る、不快感。それはハルトの思考とは別個のところで存在を示す、音。
(ベルンハルト……お前だよな?)
一あくびをして、いよいよ本格的に床に入る白猫の可愛げのある姿をその褐色の双眸に映しながら、ハルトはしかし意識を思考の奥底海の底へと深く深く落としていく。
「…………」
片目を薄っすら開けてそんな固まるハルトの様子を窺う白猫は、じわりと赤色に滲み染まり掛けるその瞳を見た。
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