一戦の後の事2

 ──古城三階の朽ちかけた寝室の一室で目が覚めたエフィリーネは、


「……ふぅ」


 昨晩の仇敵との戦闘、ハルトとのやり取りを思い出していた。


「…………彼は伝承に、あまりにも……」


 誰かに気を使うような言い回しに右目の褐色を押さえながら、


「似て、いるとは思わないか?リーネ」


 彼女は一人だ。ベッドと鏡台があるだけの室内に、エフィリーネ以外の誰かはいない。それでも、彼女は言葉を続ける。


「……ただの人間が、『罪』を殺す事など……『呪い』の私達でさえ、あのザマだった。リーネ、やはり彼は」


 震える手で押さえた褐色の瞳を細めるエフィリーネに、


「──結局。神様は無慈悲なんだよ。エフィ。都合の良い話しなんて無い。大丈夫だよ。私はただ」


 声音の違う音を呟いたエフィリーネは、見上げた天井の低さを鬱そうに睨み付け、表情を険しくした。


「春人を好きでいるだけ」


 愛の告白とも、恋心の発露とも違う、怨嗟と憎悪の様な感情を滲ませ、リーネと呼ばれた理恵子は、唇を噛んだ。



────────────────────



「あっあの」


 プルプルと震え足元を凝視しながら、一人やたらとモジモジしながらやり場の無い視線を泳がせているのはリサ。


「………」


 そんな小さな少女を黙って無言で見下ろしているのはエフィリーネ。すでに軽装の鎧に着替えている。場所はハルト、リサの母親の眠る寝室だった。エフィリーネの居るはずの寝室へ何やら窺う様にそろっと入ったリサが、今と同じ台詞を吐いて不在のエフィリーネに大きな溜め息を一つついた事に、ハルトは内心ほっとしていたのは余談だ。そして、今。


「おっ、お、お」


 気恥ずかしさと、どこか遠くからリサを縛る過去の記憶。その二つがネットリとリサの喉に絡み付いて言葉を濁す。そして、


「お姉、ちゃん、あり」


 勢い良く振り上げた顔に遅れて、小さな茶色のポニーテールが宙を舞う。


「エフィお姉ちゃん!ありがとう」


 吹っ切れた妹の表情に、陰も曇りも無い。そう感じたハルトの視線の先で、エフィリーネは。


「──どういたしまして」


 ベルンハルトの記憶、春人の記憶にも無かったぐらいの純粋な笑顔で、エフィリーネはにっこりと笑った。


「う、うん。うん……」


 そんな聖母の様な笑顔に焼かれた風にリサは思わず顔を背けてしまう。だがその表情に、軽い微笑みを乗せている事にハルトは安堵する。


(……リサは、賢い子だ。本当は全部わかってる。でも、まだ、子供だ。ただ、それだけだったんだろ?ベルンハルト)


 思い、もう一人の自分へ、変わっていくこの異世界の人間関係の報告とした。未だエフィリーネの姿を目にすると、悲しみの様な苛立ちの様なモノを感じてしまうベルンハルトの体に言い聞かせる様に。


(お前も、許せるさ。だって、お前は俺なんだから)


 ベルンハルトを慰める様な思いを柏木春人は持った。意識の無い、意思の無く、唯鬱蒼な記憶ばかり送り込んでくるもう一人の自分へ、考え直せと言わんばかりに。


「──ハルト」


「なんだ?エフィリーネ」


 呼ばれて目を合わせたエフィリーネの双眸に、何か剣呑としたモノを感じるハルト。


「お前と、リーネ、理恵子の間柄はおのずと知れている。同郷の者同士身を寄せ合うのも良いだろう。どうだ、私と共に来ないか?」


「どこへだ?まさか」


 ハルトは察して、その提案に対する答えを即座に思い立ってしまっていた。それでも、柏木春人として無理矢理場に沿った会話を続ける。


「アレグリア共和国ブレイズ・ナイツ。ひとまずは食客でも良い。この先の身の振り方、私に任せてくれないか」


「そ、それは」


 春人にとっては願ってもいない。今はエフィリーネたる理恵子の傍にいられるのだ。この迷い込んで日の浅い異世界の地で、同郷の彼女と共にいられるのは春人にとってはとてつもない救いでしかなかった。春人にとっては、だが。


「ハルト、お兄ちゃん……?」


 二人の会話についていけないリサが、不安気な面持ちで事の緊迫感を見守る。そんな妹の姿を赤い片目に映したハルトは、ふぅ、と落ち着くように溜め息を吐いた。


「エフィリーネ。俺はお前を許ししちゃいない」


「!!!!!!!!!!!!!!!!」


 心底、それこそ最も愛した存在に裏切られたかの様な驚き、絶望、哀しみ。そんな筆舌に表し難い様々な感情を固まった表情に浮かばせ、エフィリーネは絶句した。


「当たり前だろ?父さんの体を喰って自分だけが助かるなんて……そもそも、そんな聞いた事無い魔法を使えるって事自体が、信用出来ねぇ。お前、本当に人間か?」


「…………………………………………」


 エフィリーネの瞳が、見えない。物理的には見えているのだろうが、今のハルトには、彼女の双眸が、心が、まったく見えなくなっていた。それほどまでの、決別の言葉をハルトは放った。まったく、いっそ清々しい程に。


「そっか」


 ぽつりと呟いたのはエフィリーネなのか、理恵子だったのか。ゆっくりと、歩き出したエフィリーネはすれ違うハルトの横顔に、


──あなたを。


 聞こえるか聞こえないか、そんなとても聞き取れないくらいの声で、一言、残す。


「……お兄ちゃん、怖いよ」


 ぎゅう、と握り締められた服の裾の手に、去り行ったエフィリーネのいない扉に、ハルトはざわついた心の内情に気付いた。


(なんだ……うるさい……黙れってんだよ)


 茫然自失となったハルトは、おろおろと見上げる妹の姿に目を落し、


「……母さん、もうすぐ起きると良いな」


 力なく顔を向けた先の、母親の寝顔に軽く微笑んだ。



──あなたを、かならず。



 閉めた扉に寄りかかりながらエフィリーネは、呪詛の言葉を紡ぐ。



──愛させて、魅せる。



 握ったままのドアノブが、ひび割れた。

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