第6話

 久々の休暇に、俺は詰んだゲームを放り出して、絶対にベッドから出ないと一人で誓ってから薄いタオルケットをかぶった。東京の昼はまだ夏から抜け出せていないが、優秀なAIが適度な室温に調節してくれるので問題ない。

 うとうととちょうどいい具合にまどろんでいたら、夢のなかで携帯の着信が鳴った。うるさいのでベッドに押し付ける。なかなか静まらない。しつこい。

 発信元を確認するのも面倒だったので、画面を見ないまま五コール目で俺はしぶしぶそれを耳に当てた。同僚だったら即座に切ろう、と決意したが、聞こえてきたのは子どもの声だった。

「……トウか。久しぶりだな。うん、うん、ごめん、最近忙しくて」

 応答しながらごろんと寝返りをうつ。しかし次の瞬間、弟が発した言葉に飛び起きた。

『兄ちゃん、サントには恋人がいるんだね』

「えっ」

 弟は続けた。

『僕さ、昨日すげーことに巻き込まれてさ――』

 いまいちパッとしない頭をかきながら相槌を打つ。なんだかよくわからないが、いまは懐かしのあのオンボロスーパーで、変態野郎を撃退したらしい。それはわりとどうでもいいのだけど、随所で語られるサントの奇妙な行動はかなり興味深い。しだいに頭が働き始めたので、立ち上がって缶コーヒーを探した。

『でね、帰ってから、兄ちゃんの部屋で見つけた写真を思い出してさ』

「お前、なに勝手に入ってんだよ」

 キレたふりをしながら、写真について思い出そうとしていた。いったいなんの写真だろう。写真、写真……。まさかエミとの写真じゃねえよな。それだけは勘弁してくれ。

 弟は気まずそうに言葉をにごしたあと、弁解もなしに話を進めた。

『……それで、よく考えたらあの写真のアンドロイドが昨日会った人だったんだと思ってさ。兄ちゃん、いつの間に盗撮してたの? ていうかいつから知ってたの?』

 アンドロイド? 盗撮?

『裏に、サントの恋人って――』

「ああ!」

 思い出した。

「お前、それよく見つけたな。たしか、教科書かなんかに挟んでたような……」

 言いながら、一気に記憶をさかのぼった。そうそう、盗撮したな、うん。サントの恋人。懐かしいなあ。弟の話を聞く限り、彼らはもうだいぶ深くつながっているようだ。

「たぶん二年くらい前のやつだよ、それ。俺がこっちに来る少し前だったはず。あのときな、入社試験の一環としてアンドロイドに関する研究論文を提出しなくちゃいけなくて、題材探しにひたすらサントのことを観察してたんだよ。そんで、サントが特定のアンドロイドと二人で会っていることを知って、思わず盗撮したってわけ。で、二人の様子から、なんか恋人っぽいなって思って、そう書いたんだよ、うん」

『リア充じゃなくても恋人の雰囲気ってわかるんだね』

「なっ……」

 俺にだってそういう時代があったんだよ! あの頃は恥ずかしくて隠してたけど! いまだに隠してるけど!

「じゃあそういうお前は最近エリちゃんと連絡とってんの?」

 大人げなく、八歳下の弟にむきになった。

『とっ……とってるけど、最近はとってない』

 ああ、そうか。お前はまだ純粋な小学生なんだな。そこは嘘でもいいから強がるところなのにな。黙っていたがお前が恋をしているエリちゃんは俺の元カノの妹なんだぜ。兄弟そろって同じお宅の子を好きになってるなんてあほらしくて口が裂けても言えねー。まあ俺にはちょっとした事情があったんだがな。あの頃は変に気取っててキモかったな、俺。

『あ、そうそう、二年前ってなにがあったの? サントがシステムのなんとかがどうとかって言ってたんだけど、よくわかんなくて』

 必死に話題を変えようとしている弟が哀れに思えたので、俺はそれ以上追及しないでちゃんと答えてやった。

「えーっと、ちょっと説明が難しいんだけどな、一言でいうと、アンドロイドの情報収集のやり方が変わったんだよ。それまでは個体が集めたデータは所有者が管理するもので、求められない以上提供する必要もなかった。だから、多くのデータがほしかったら、その分多くのアンドロイドを所有しないといけなかったんだ」

『ねえ、データってなんのデータなの?』

「うーん。いろんなデータ。本当にさまざまなデータ。単純に人間が使うものもあれば、アンドロイドが使うものもある。まあ大抵はアンドロイドの認識に関するものかな」

『認識?』

 あー、と俺は簡単な言葉を探した。

「世界の捉え方っていうか、なんつーの、自分のまわりで起こるあれこれをどういう風に理解するかっていうこと。お前、一時期スポーツクラブに入ったとき、どんなやつがいるかとか、どんな雰囲気なのかとか、最初は気にしただろ?」

『うん』

「そんな感じ」

 ふーん、と声が返ってきた。絶対わかってないな。でもこれ以上の説明が思いつかない。俺は話を進めることにした。

「で、その認識の仕方を集めることで、アンドロイドは成長できるんだよ。基礎となるデータが手に入れば、あとは自分で学ぶようになって、より柔軟に振舞えるようになるんだ。プライバシーとかの観点からこれまでの収集法が支持されてきたけど、アンドロイドが広まっていくにつれてその方法が面倒になってだな」

『へー』

 こいつ自分で質問したくせにもう集中力切らしてるし。まあ、こういう話は嫌いじゃないので一人で語り続けよう。

「で、個体同士の間にある塀を取っ払ったってわけ。アンドロイド専用のネットワークを作って、必要に応じて自由にほかの個体がもつデータにアクセスできるようになったんだ。もちろん匿名化されたデータだけどな。だから、サントを含めて人間を相手に働いているアンドロイドは日々成長していると思うよ。実際にその身で感じたことのない状況を前もって体験しているようなもんだからな。いちいちプログラミングするよりもずっと効率的だし」

 まあ、完璧なシステムってのはやっぱりなくて、この方法を批判する輩もいるんだがな。匿名性の解除コードを不正に作成し、自分のアンドロイドを使って制限がかかったデータを次々に収集したっていう事件もあったしな。それに、より優れたデータにアクセスが集中してアンドロイドの価値観が統一され、いつか人間のそれととってかわられるんじゃないかとおびえる人もいるし。実際にそんなことはないんだけどな。でも、現実ではサントみたいな異例が存在していたりする。

 俺がいま勤めている会社に提出した論文は、アンドロイド同士の絆に関するものだった。自分の意思でデータ収集ができるようになったら、そのなかでもより効率的な収集法を模索して、それぞれにアクセス時の癖のようなものが生まれるんじゃないか。最初はこういう問いから始まった。そして、サントの行動から、癖どころか特定の個体に対する好意まで抱く可能性を見出した。匿名化されたデータの海で、どうやってお互いを認識し、ああいう風に現実で接触できるようになったのかは、いまだにわからない。本当に偶然だったのかもしれない。

 いずれにしても、サントのような例はほかでは見られなかったらしく、俺の研究は面接のときに冷めた評価をくらった。しかし、お堅い役員のなかにも好奇心旺盛な人がいて、その人が俺を拾ってくれた。めでたく就職先が決まり、俺はいまその人のもとで働いている。

 と、ここで、ずっと聞いているのかいないのかわからない返答を繰り返していた弟が、口をはさんできた。

『てかさ、アンドロイドってデータで成長するって言ってたけど、そんな面倒くさいことしないで僕たちと同じように学習すればいいんじゃないの?』

「馬鹿、アンドロイドは人間とは違う脳をもってんだよ。だから同じものを見ていても、俺たちとは違う捉え方をしてんの」

 わかりやすく訂正してあげたのに、馬鹿って言わなくてもいいじゃん……と拗ねてしまった。やっぱりまだ子どもだな。なだめてやろうとしたら、弟は話を続けた。

『じゃあ、サントは僕と違う世界を見てるの?』

 ……こいつ、見ない間にちょっと成長したみたいだ。

「そうだよ。でも、できるだけ人間の捉え方を理解しようとしてる。アンドロイドに心はないけど、心のようなものはもっていて、俺たちの感じ方や俺たちが安心できることを日々模索してるんだよ」

 人間にだって難しいことを、彼らは毎日実践している。

『へー』

 理解してくれただろうか。してなさそうだな。

『ま、サントは僕の家族だし、なにも変わらないけどね。彼女連れてきたら、ちゃんと見定めてあげるし』

「お前は保護者か」

 ……サントに彼女か。ネットワークから離脱した彼女を求めて現実で探し回ったなんて、ちょっと信じがたいけど、なにがあいつをそうさせたんだろうな。どのデータよりも彼女を選ぶのはなぜなのか。あいつ自身、わからないと言っていたそうだが、わからなくて当然だろうと思う。

 だって、俺もわかんないし。

 数多く存在する異性を前にして、エミというたった一人の女性しか見ることができないというあの感覚は、まだどうしてもプログラミングできない。

 それに、人と人の間に生まれる絆を事細かに説明できる人間なんて、いないだろう。俺たちは考える動物だけど、思考が及ばない世界ももっているから。その人間が作ったアンドロイドが、その感覚をつかめなくて当然なのだ。

 でも、サントは『わからない』ことには気づいている。自分が非効率的なことをしているのに違和感を抱いている。好き、という感情が一番近いと言っていたらしいが、それだってわからない。彼らの間では、ものすごいスピードで俺たちとは違う世界が拡張されているだろうから、俺が勝手に表現した『恋人』という印象も、実際はまったく当てはまっていないかもしれない。

 それでもいいと思うけどね。

「いつか、トウがサントの考えていることを予測する日が来るかもしれないな」

 俺の言葉に、意外にも弟は素直にうなずいた。

『うん、僕、頑張って読み取るよ』

「へえ」

『だって、サントは毎日一生懸命僕の気持ちを読み取ろうとしてるんだもん。今度は僕の番だよ』

 どこからそんな優等生じみた思考をパクってきたんだ、と言ってやりたくなったが、たぶん、これが弟の本心なんだろうとも感じた。あいつは俺よりも優しいから。きっとそうだ。

 話がひと段落したところで、また睡魔が襲ってきた。

「じゃあ、俺寝るから」

『えー、昼なのに。だらしない。社会のゴミだぁ』

「お前それどこで覚えた」

『教えませーん。じゃ、またかけるね!』

「ちょい……」

 ブツ、と通話が終了した。

 自分でかけといてなんなんだあいつ。もういっぺんかけ直して説教してやろうかと、また大人げないことを考えたが、俺は携帯をもとの位置に戻した。まあ仕事に忙殺されている俺を気遣ってのことだったかもしれないし。でも社会のゴミはねえだろ……。

 残りのコーヒーを飲んで、缶を潰した。びっくりするほど頭が覚醒しない。やはり、そうとう疲労がたまっているみたいだ。

 トウには言わなかったが、ここ数か月の間に、いまの新しい情報収集の形式に反対する勢力が徐々に力をつけ始めていて、俺はそいつらの対応に追われている。一部の過激化しているやつらは見境なくアンドロイドを破壊したり、対アンドロイド用のウイルスを開発したりとやりたい放題だ。彼らは、アンドロイドが人間のように価値観を共有することに反感を覚えていて、人間の尊厳を冒涜していると豪語している。やつらには自分が神かなにかに見えているらしい。そして、世界の中心で物事の価値を生成していると思っているようだ。

 人間みんな、似ているようでどこか違う世界をもっているのにな。

 やつらが一方的に暴れているのが、なによりの証拠じゃないか。

 ともあれ、アンドロイドに、それぞれの世界が芽生える日は来るのだろうか。

「ま、いまのところはあり得ないけどな」

 サントとその彼女さんのような例はまだ、皆無に等しいだろう。いつか、どこかの大天才が人工知能をいまよりもグレードアップさせてくれないかな。それか、アンドロイドたちが自律的に進化してもいい。でも、人間のために作られた彼らには欲ってもんがないから、それは難しいかもしれない。

 欲があったら、人間のために働かなくなるだろうから、俺のこういう考えに反対する人は多いだろう。さっきの過激派もそうだが、結局は、自分たちの手に負えなくなるのが嫌なのだ。自分たちの世界が崩されていくのが怖くて、批判をする。人口減少をストップさせるために、子供を産みやすい環境を作ろうと登場したアンドロイドだったが、仕事をしなくてもいい環境に、人間の方がついていけなかったから。

 当然だろう。明日から仕事に来なくてもいいから、子供を作りなさいと言われて、誰が快く応じるだろう。どう考えても国は焦り過ぎた。一方で、アンドロイドは便利過ぎた。人の仕事を完璧にこなしてしまった。

 だから、俺は思う。アンドロイドにもちょっとくらい、人間味があってもいいのではないか。この社会に、二つの巨大な価値観があっても別にいいのではないか。

 俺には、彼らが赤ちゃんのように思える。なんにも知らない、無垢な存在。彼らに欲が生まれたら、きっと苦しむだろう。自分のために生きたいのに、社会に埋め込まれた歯車として心を殺してでも働く、そのジレンマに。でも、そうやって成長していけばいいのだ。うまくいかないことを学べばいいのだ。いっぱい悩んで、いっぱい嫌いになって、いっぱい殴って、いっぱい愚痴って、いっぱい挑戦して、いっぱい怒られて、いっぱい泣けばいい。高速で物事を処理する彼らには、大量の成果が積まれていくだろう。そうして出来上がった人間みたいな存在に、社会はいったいなにを批判するのか。

 ……俺は人間だから、アンドロイドはできる限り人間に近づいてほしいとどうしても思ってしまう。これはきっとエゴだ。いままで、彼らに感情が芽生え、人間がよくも悪くも混乱するというストーリーの映画を大量に見てきた。エミとも見た。彼らの現実なかみをいじくって、そんなことはあり得ないと知っても、俺はまだ夢を見ている。社会がどうのと言ったけれど、根元にあるのは、ただの純粋な好奇心かもしれない。

「……寝よ」

 彼らが自分のために生きる世界を描いて、再びベッドに戻った。

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