第2話
彼の第一印象は、インテリ系の根暗オタク。いつも成績トップでありながら、クラスでは底辺もいいところ。たまにオタクの輪に入ってわけのわからない会話をするくらいで、だいたいは携帯をいじっていた。彼と接触するのは授業のグループワークくらいだったが、そのときでさえ教室の空気の方が目立っていたかもしれない。
だが、普段は存在感が無に等しいくせに、考査のたびにトップへ躍り出る。その極端さが鼻についたのか、ある日、グループのリーダー格の女子が言ったのだ。
「あいつと付き合ってさ、勉強なんか知りませーんってくらいにイチャイチャして、成績落とさせて、そのあとフッたら面白そうじゃない?」
結構残酷なこと言う彼女に、みんなはエーヒドーイと反応しながらも笑っておだてた。みんな冗談だと思ってのリアクションだった。しかし、予想外にも盛り上がってしまい、様々なエグい仕打ちがぽんぽんと挙げられ、最終的に引っ込みがつかなくなってしまった。
「じゃあさ、じゃんけんで負けた人が実行しよ? ね?」
この提案にはドン引きしたが、参戦せざるをえなかった。雰囲気を壊してリーダーが機嫌を損ねたら、このグループから追放されて居場所がなくなってしまう。
「じゃーんけん――……」
そして負けた。心から神を呪った瞬間だった。
「エミ、頑張ってね!」
他人事だと思って、と内心舌打ちをしながらわざと悪女みたいな表情を作って、見送る彼女たちに手を振った。もうあとには引けない。だけど、作戦通りのことをする必要はないのだ。これまでの経験から、リーダーの興味は移り変わりやすい。手こずっていると報告し続けていれば、関心も薄まり次のトレンドに切り替わるだろう。
それまでの我慢、のはずだった。
「夏見君」
屋上の手前まで階段を登ると、ちゃんと彼は待っていた。昼休みの間に、放課後待っているように無理やり約束させたのだ。ほぼ命令に近かった。
「あのさ、私と付き合ってくれない?」
待たせてごめんも、言いたいことがあるんだけど……もなかった。やけくそになった私は堂々と、しかも少し苛立った口調でそう切り出したのだ。静まり返った階段によく響いたのを覚えている。いま思えば彼にはまったく非はない。私以上に被害者だった。
私の単刀直入すぎる告白に、階段の下からキャイキャイと騒ぐ声が聞こえた。間違いなく彼女たちだ。バーカ聞こえてるわ、と神経をピクピクさせながらも、彼の反応を待った。
「…………」
「だめ?」
予想以上に黙り込んだので、私はなるべくか弱い女の子みたいな声を出して攻めよった。どうせオタクはこういうのが好きなんだろ、早くオーケーしろよと思いながらしたことだったが、いまでは思い出したくもない。
だがそれでも彼は動かなかった。こいつ聞こえないのか、とさすがにイライラし始めたとき、彼は一歩こちらに近づいて、ぼそぼそした声で言ったのだ。
「君さ、いつもあの人たちと一緒にいるけど、生きづらくない? ボスザルみたいな女の様子をうかがって、機嫌とってさ。俺をここに呼び出したのも、あいつに命令されたからでしょ? もしこれが初告白なら、相手がこんな俺で申し訳ないね。お互いのためにもこのことは忘れよう。その方が幸せじゃないか? 人間だけに許された特権だよ、忘却は。大いに使おうじゃないか。とはいっても、このまま別々に帰ったら君はあのボスゴリラにぼこぼこにされるんだろ? 玄関までは同行するから。それでいいよね?」
「な……」
なにが起こったのだ、と思った。あの根暗オタクだったはずの夏見イチトがこうも流ちょうに言葉を発するなんて。しかも、言っていることはだいぶまとも。正論だ。いままでからんできた同級生の誰よりも正しい。そう感じた。
これは私にとってビッグチャンスだった。このくだらないゲームを、裏ルートを使ってクリアできるかもしれないのだ。しかも誰も傷つかないやり方で。
ただ、当時の私には余裕がなかった。提案に賛成するかしないかという以前に、彼の言葉がグサグサ心に刺さって苦しんでいたのだ。私がいままで考えないように我慢してきた不満をずばずばと言い当てられ、挙句の果てには同情までされた。しかもこのオタク野郎に。
私は毎日戦っていた。日々の機嫌取り生活が土俵だとしたら、相手の力士が私の不満だ。「もういやだ、疲れた、リーダーくたばれ」とつっぱりをしてくるので、土俵の外にはじき出されないように私はそれに対抗していた。しかし、観客席で観戦をしているクラスメイトや先生や親のなかで、一人立ち上がって私の奮闘を止めさせようとしている人がいる。それが夏見イチト。彼は背後から「無意味だ、やめなさい、辛いだろう」と声をかけてくる。私はその言葉とつっぱりに挟まれて身動きができない。もう少しではじけ飛んでしまいそうだ。
たとえが年寄り臭いが、こんな構図が頭のなかに展開されていた。
「どうするの? ボスマントヒヒが下で待ってるぜ?」
「ボスボスうるせえな」
「え?」
プチンと頭のどこかが切れる音がした。本当に切れてはいないだろうけれど、そんな感覚がした。板挟みにされた私は、上がるところまで上がった花火みたいに爆発して、両国国技館を隅々まで燃やす。もとより私は我慢強いタイプではなかった。
「黙って私と付き合えよ! バカ! オタク! バカバカバカ!」
突然怒りの矛先を向けられてしまった夏見はポカンと口を開けていた。
「偉そうに説教しやがって、なんにも知らないくせに! オタクのくせに!」
罵倒だけならまだよかったのに、私はそれこそ相撲取りのように線の細い夏見に向かって突進していった。うぎゃ、と声がしたが、もう止まらない。彼の胸におでこを押し当て、両肩を右手と左手で殴った。それこそか弱い女の子のようにポコポコ叩くならまだかわいげがあったのに、フルパワーでボコスカ殴った。自分のこぶしが悲鳴をあげていた。
「痛い、痛いって、やめ、ひぃ」
夏見は徐々に後退したが、ついに壁まで迫られ逃げ場を失った。私の暴力は止まらない。
「わかった、付き合う! 付き合うって! 俺が悪かった!」
無心で殴り続けていた私にはもはや彼の声さえ届かなくなっていた。彼が手首をつかんで止めてくれるまで、サンドバッグが夏見だということも忘れていた。
「付き合うから!」
「え?」
涙と鼻水でぐっちゃぐちゃになった顔をあげ、彼を見上げた。
「汚い。拭いて。はいカバンもって、手つないで。階段降りて」
それからことはスムーズに運んだ。放心状態となった私は素直に夏見の指示に従い、手をつないで一階まで降りて、待ち構えていた彼女たちにまた悪女みたいな視線とブイサインを送り、靴を履き替えてからまた手をつないで校門を出た。まるで幼稚園児のお遊戯会のようだった。
学校の敷地を出たころには自我を取り戻していた。彼女たちもここまでは尾行してきてはいなかった。私はさっさと帰ろうとする夏見を引き留めて、殴ったことを謝った。それとブレザーをクリーニングに出すから渡してほしいと頼んだ。だが彼は遠慮するばかりで全然取り合ってくれない。じゃあ肩の治療費を出すと言うと、
「それはちょっとほしいかも」
と振り返って笑った。
私のなかで、燃え尽きて炭と化した両国国技館の再建が始まっていた。数々の我慢や偏見、諦めが一度に吹き飛んだせいか、かなりクリアな瞳で彼を見ることができた。
「あのー、私と付き合ってくれませんか?」
思ったことが自然と声になった。
「え、もういいでしょ」
彼はなにを言っているんだこいつはという顔をして鼻で笑った。
「いや、本気で」
「本気って……、君もしかしてあいつらに脅されてるの? 弱みでも握られちゃってんの?」
私は首を振って夏見に歩み寄った。
「まじで付き合いたくなったの」
「まじで?」
「そう」
「俺と?」
「そう」
えーとそれは、と彼は言葉をにごし、右手で口元をおおって、目を泳がせた。
「俺に好意を抱いているということ?」
「そう」
うなずくと、彼はなんとも言い難い表情をしてさらに顔をおおった。私はその口が言葉を発するまでじっと待った。
結局、そのときは断られた。
あれだけの暴言と暴力を浴びせたのだから当然のことかとあとになって気づいたが、諦める気にはなれなかった。その後もしつこく言い寄って、最終的にイエスをもらうことができた。言わせた、の方が表現として適切かもしれないけれど。
こうして交際することになったのだが、クールなイメージだった彼は、びっくりするくらい態度が柔らかくなり、恋は人を変えるのかねなどと他人事のように考えた。しかし、彼が私について真剣に考えてくれたことはおそらくないだろう。
なぜなら彼は、超がつくほどのアンドロイドバカだったからだ。
デートをしているときは、ショーケースのなかのアンドロイドに気を取られ、すきを狙って無理やりキスしたときはなぜか女性アンドロイドの唇に使用されているシリコンの種類を調べ、無防備な背中に抱き付いたらまたなぜか女性アンドロイドのアームと関節のパーツを調べ、部屋に呼んだときは夜通し古風なアンドロイド映画を見させられた。
こいつはアンドロイドにとりつかれている。そう思った。
その疑いを確信へと変わらせるものとして、私への誕生日プレゼントが挙げられる。あの日、彼は非常識な大きさの箱にぐるぐるとリボンではなくガムテープを巻き付けて、私の家にやってきた。
「なにこれ」
「まあ見てみて」
不審がりながらもテープを取ってゆく。それだけで五分ほど要した。地味に疲弊したが、箱を開けた瞬間そんなのは山の向こうまで吹き飛んだ。
「エミだよ!」
彼は子どもみたいに無邪気に歯を見せて笑った。
そこに収まっていたのは私に似ていると言えなくもない中型のロボットだった。
「見てくれ、この顔のシリコン。本物みたいだろ? 唇の弾力がすごいんだ。あと、手も見て。しわも爪も頑張って再現してみたよ。それからこのアーム。ハグ機能とタコ殴り機能が搭載されているんだ。動きのスピードもエミとほぼ同じなんだぜ。ちなみにそれぞれ二五九回がリミットだから気をつけて。俺的にはかなり傑作なんだけれど、等身大にできなかったのと知能を搭載できなかったのは残念だったかな。それに売られてるやつと比べ物にならないくらい中身が簡略化されてるから全体的に動作が機械的になっちゃった。でもここの胸のところにキーボードをつないで決まった文章を打ち込むと返事をしてくれるよ。声はエミそっくりに合成してプログラムしたんだ」
「…………」
もはや、言葉が出なかった。
「一八歳、おめでとう」
「ほざけ」
え、と半笑いのまま停止した夏見の頭をぶん殴った。
「痛い……」
「どんな気持ちでもらえばいいんだよ」
「え、それは、その、喜んでもらえたら嬉しいなあと……」
「喜ぶと思ったのか?」
「え、はい。ごめんなさい」
こいつはおかしい、こいつはやばい、こいつはおかしい、と頭のなかでサイレンが響き渡った。なにを言っても通じないような気がしたので、その日は家から追い出して電話も無視した。
それから間もなく、私は彼に別れを切り出した。彼はかなり嫌がったが、私の意思が固すぎると気づいたのか、ぱったりと連絡がこなくなった。学校でも目を合わせることさえなくなった。
フッたことが正しかったとは、いまでも思えていない。ただ、タイミングとしてはベストだった。夏見と別れてからわずか一週間後、工場、主に農産物の加工工場で使われる部品を作る会社にいた父親がリストラされ、私は家族とともに東京へ引っ越すことになったのだ。それを夏見に告げようか告げまいか散々悩んだ挙句、新居に到着してからメッセージを送った。返信はないだろうと思っていたが、「無理すんなよ」と一言だけ返ってきた。不覚にも、そのときは泣いてしまった。結局処分することなく一緒に上京した中型ロボットの『エィミちゃん』を抱きしめてその晩は眠りについた。
いま、私は大学に通っている。父親の再就職がうまく行き、無事進学することができたのだ。将来のことはまだ決めていないけれど、接客はやめた方がいいなと感じている。あいかわらずストレス耐性が低いので、ムカつく客を殴ってしまいかねない。ストレスといえば、大学に入ってから数名の男と付き合ったが、どいつもこいつも自分の欲ばかり満たそうとするので我慢できずにもれなく殴って別れを告げてしまった。いまさらだが、夏見はかなり優しいやつだったんだと気づいた。アンドロイドに対する執着は異常だが、あのロボットを超えるものをプレゼントしてくれる人はいまだにいない。
あのときはただ嫌悪感が先に立ってしまったが、よく考えればあれは彼なりの愛情表現だったのだろう。好きな人に手作りの人形をプレゼントするように、彼はアンドロイドまがいの人形を作っただけなのだ。私も工学については多少知識があるので、それがどんなに大変なことかは十分知っている。しかも限りなく私を再現しようとしてくれた。結果的に顔面と手首から先がやけにリアルな三頭身ロボットになってしまっていたが、それだけ私のことを考えてくれていたのだといまは感じる。
あの頃共有できなかった世界が、いまなら理解できる気がする。
風のうわさで、夏見が東京にある大手メーカーに就職したことを知ったときは思わずどぎまぎしてしまったが、この広くて複雑な都会で会うことなどないだろう。私と違っていま彼は仕事に忙殺されているところだろうし。どうか、健康であれと思う。まあ優しい彼ならきっと、幸せに生きていけるはずだ。
なぜいま彼のことを思い返しているのかというと、今日、大学の講義でアンドロイドに執着する人々について取り上げられていたからだ。説明されたのは精神的に依存しているパターンだった。夏見はアンドロイドに対する関心が強いだけで依存まではしていないが、彼の顔がパッと浮かんだのである。
正直、大学に入るまで、私はアンドロイドがそこまで好きではなかった。アンドロイドに恋人をとられ、さらに父親の仕事までも奪われたという印象があったからだ。しかし、新しい視点を学ぶごとに考えは変わっていった。人間はもう、アンドロイドなしでは安定した生活を送ることができない。高校までのバスを毎日運転してくれたのは、夏見の愛情を運んだのは、引っ越し作業を手伝ってくれたのは、そして父親の再就職先を選択してくれたのは、他でもなくアンドロイドなのだ。この国において生まれてから死ぬまで一切彼らの手を借りない人はいない。
まあ、夏見の作ったエィミちゃんは知能がないためアンドロイドとは言い切れないが。
せっかくだから、久々に起動してみようか。
背中にある電源をオンにし、キーボードをつないで『エィミちゃん、久しぶり』と打ち込んだ。
「オヒサー」
本物のアンドロイドと違って不自然な話し方をする様子がまた懐かしかった。なにか会話をしようと説明書を開くと、そこには彼がプログラムした文章がびっしりと書かれていた。これらひとつひとつに返答が用意してあるみたいだ。
『エィミちゃん、イチト君のこと好き?』
「スキー」
私によく似た彼女は、ぷるんとした唇の端を微妙に持ち上げた。不気味でかわいらしい。
『エィミちゃん、イチト君は私のこと好き?』
「好きだよ」
彼女のものではない男の声が返ってきた。いったいこれは、と首をかしげたが、すぐに録音された夏見の声だと気づき一人で苦笑した。
あいつの場合、愛はAIって書くんだろうな。
シリコンでできたエィミちゃんの頬をなでて、すべすべのおでこにキスをした。
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