雪の日

@aoibunko

第1話

 姑が亡くなり、通夜、葬儀、四十九日、相続や諸々の手続き、遺品の整理をしていたら、あっという間に一周忌を迎える時期になりました。姑は真冬に亡くなったものですから、お葬式の日はそれはそれは寒く、出棺のときはちらつく雪が吹雪となり、参列した皆さまは雪だるまのように真っ白になりながら見送ってくださったものです。今年の冬は主人が風邪をこじらせて入院し、私は毎日病院に通いながら、法事の手配をしなければなりません。子供たちは皆結婚して遠くに住んでおりますから、あてにできる人が誰もいないのです。


 檀家になっているお寺にご挨拶にあがり、ご住職と法事の打ち合わせをして寺門を出ますと昼過ぎから降りはじめた雪があたりをすっかり白くしています。傘をさしオーヴァーコートの襟をあわせてとぼとぼ歩きはじめると、後ろからしわがれた静かな声に呼び止められました。

「初子さん。初子さんじゃありませんか。」

ふりむくとそこには暖かそうなダウンコートに赤いポンポンのついた毛糸の帽子をかぶった男がにこにこと立っていました。皺だらけの顔、真っ白な眉と無精髭、背中が少し曲がっていますが、間違いありません。昔、私の実家に居候していたWです。


私の父は高校教師でしたが、趣味が多く、短歌俳句郷土史囲碁将棋とあちらこちらの集まりに顔を出して、顔が広いと言えば聞こえはよいのですが、悪く言えば八方美人で愛想を振りまいているせいで、我が家は父の教え子から、その道では大先生と呼ばれる方まで毎日のように人が出入りするようになりました。しがない教師が妻子を抱えて住めるのは小さな家でしたが、そこに大人が何人もどやどやと、しかもほとんど毎日やってきて大騒ぎですから、母は台所に、私たち子どもはその脇の寒い板の間でひっそり小さくなっているほかありません。その上、父は客人が帰ろうとすると「まあ少し食べていきませんか」と食事をご馳走したがるのです。この言葉に甘えて客人が居座ることが決まると、母は黙ってくるくると動きます。「お客さんにだすものがない」などと拒否することは許されません。買っておいた魚もお豆腐もみんなお客さんの口に入ってしまいます。若い食欲旺盛な人がいれば父は遠慮せずもっと食べろとすすめ、母におかわりを持ってこさせます。こんな日は母と私たち子どもの食べるものもなくなり、ごはんとお漬物がお夕飯ということも珍しくありませんでした。父の前では口にできませんでしたが、私はお客が大嫌いになりました。


 Wがうちにきた時は、確か21か22ぐらいだったでしょうか、最初は客人の一人にすぎませんでした。それが毎日のようにうちにあらわれ、いつのまにか家族に混じって夕食を食べ、物置にしていた三畳間に布団を敷いて寝泊まりするようになっていました。父はWをいたく気に入っていて夕食のあとも囲碁を打ったりなにやら議論を戦わせたりと賑やかに騒いでようやく眠りにつきます。Wは何か研究していてそのために今一生懸命勉強しているのだというような話でしたが、詳しいことはよく知りません。朝食を食べると父の出勤と共にWも出ていき、父の帰宅するころにうちに帰ってくるのですが、そのうち、私が学校から帰ると座敷で昼寝していたり、Wの友人が集まって昼間から酒を飲んだりと図々しい行いが見られるようになりました。


 Wは背の高い、顔立ちの整ったどちらかと言えば物静かな男でした。私を見ると「初子さん、お邪魔してます」「初子さん、お騒がせしますよ」と子供相手でも丁寧に挨拶しました。最初は父の言う通りなにがしかを成す立派な男に見えましたが、すぐに自堕落な自分をごまかすための慇懃無礼な態度と気づきました。母は父の言うがまま、Wを世話していましたが、やがて台所でため息をつくところをよく見るようになりました。決して多くない給料をやりくりして家族とWの面倒を見るのは苦痛だったろうと思います。やがて母と長女の私はひそかに結託します。父のいない時、母と私はWを無視しました。わざと物音を立てて掃除しました。昼食をねだられると冷たいご飯と漬物を出しました。それでもWは私たちに丁寧な態度を崩しませんでした。好青年だったWはある日突然いなくなりました。父の持ち物を質に入れたのが露見したのでした。


 Wは年老いていたものの、あの物静かな好青年の面影を残していました。

「今日はひどい天気ですね。初子さんお寺参りですか?」

と聞くので、そうですねと返すと、Wは笑顔になり、

「お時間あればちょっと喫茶店にでもよりませんか。コーヒーお嫌いですか?」

と言うのです。あわてて急いでおりますのでと反対方向に早歩きはじめました。積もった薄い雪をサクサク踏み、しばらく歩いたところで止まり、もう一度寺の前に戻りました。Wが歩くうしろ姿を見つけました。Wは赤白縞模様に赤いポンポンをつけた帽子でひょこひょこ歩いています。あの帽子は手編みでしょう。私たちをさんざん食い散らかし放逐されたあの男はどうやら家庭を持ち、家族に囲まれてぬくぬくと暮らしているに違いありません。不意にWが小さな東京タワーに見えてきました。私はタワーの頂点に手を伸ばし、タワーをぎゅっと握りつぶしました。


雪はやみ、道の雪は解けかかっています。私はW憎さに子供じみた復讐を想像した自分にあきれながら、とぼとぼと家路を急ぐのでした。

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