無駄のない時代
アール
無駄のない時代
ジリジリジリジリジリ。
壁の時計が7時の針をさし、連動している目覚装置がけたたましく音を鳴らし始めた。
私はそれに対抗しようと、布団を頭までかぶったが音の力には抗えない。
いやいやベッドから起き上がった。
視界はまだ眠気でぼやけているが、こうしてはいられない。
今日の天気や、市場の株価、それに深夜に行われていた野球の試合結果など、確認すべきことは山ほどあるのだ。
私は慌ててパジャマの袖をまくると、腕に取り付けられてある装置に目をやった。
すると、私の視線を感知した装置が小さな画面に、望んだ情報を映してくれる。
「現在の天気は晴れか……。
傘は要らないな」
私は画面を見ながら、そう独り言を呟いた。
別に現在の天気など、
すぐそこに取り付けてある窓の外を眺めれば
分かることなのだが、
自分の目である情報よりも、この装置が
映してくれる情報の方が信憑性が高い。
だからこっちの方が無駄がないと言うものなのだ。
やがて私は朝食を取るためにリビングへ向かう事にする。
だが、その寝室からリビングへのわずかな移動時間も無駄にしてはいけない。
私は俯き、画面を眺めながらベッドから床へ降り立った。
一昔前ならば
このような「ながら行動」は行儀が悪い、そして危ない、などといった理由で注意されたものだが、今はもう違う。
各家庭に普及されたベルト廊下があるからだ。
これに乗るだけで、後は勝手にリビングまで連れていってくれる。
画面に注意を向けすぎて前方を見ておらず
壁にぶつかってしまう、と言った事は
もう無いのだ。
やがてリビングに到着し、自動的に機械の手が私をテーブルに着席させてくれる。
その時、近くの席からもガタンッという着席の音がした。
どうやら妻も起床してきたらしい。
「おはよう」 「おはよう」
私達は画面からは目を離さずに、挨拶の言葉を口にした。
思えば最後に妻の姿を
見たのはいつ頃だっただろうか。
もう何年も見ていないかもしれない。
だがそれも無駄がなくなった今の時代、仕方のない事なのだ。
そんなことを考えていると、テーブルの上には機械が調理してくれた朝食が並ぶ。
だがこの朝食というのも、今の時代に合わせて改良されている。
普通、画面を見ながら食べ物を口に運ぼうとすると、色々と手間取ってしまうものだ。
スープのような液体だと、画面見ながら食べようとするとスプーンの間からこぼしてしまう。
なので朝食は今の時代、
全てゼリー状に加工された。
自動ストローが
私の口まで伸びてきて、食べるのに適したスピードで喉の奥へゼリーを流し込んでくれる。
だから私は安心して全ての神経を画面に集中させられるというものだ。
今や全ての事がこの腕に取り付けられた小さな装置で済ませられてしまう時代。
生活の時間、そのほとんどを画面と向き合う事に
割かなくては生きていけないのだ。
やがて朝食を全て吸い終わると、再びベルト床は動き始めた。
「じゃあ、仕事に行ってくるよ」
私はそう妻に向かって言ったが、返事はなかった。
少し妻の様子が気になったが、わざわざ画面から目を離して確認する気にはなれなかった。
そんな僅かな時間すらも惜しい。
多分妻は、画面に流れているワイドショーにでも夢中になっているのだろう。
気にしていてもしょうがない。
やがて私は機械の手にスーツを着せられ、玄関ドアから外へと運ばれていった。
もちろん家の中だけではなく、外の世界にも
ベルト道なるものが普及している為、画面から目を離して歩く心配はないのだ。
ただ、乗っているだけで会社に到着できる。
私は小さな画面に映る世界情勢についてのニュースを眺めながら、ベルト道を乗り換えた。
やがて会社の入り口をくぐり、自分のデスクにまで運ばれていく。
デスクと言っても、机の上はキレイさっぱり散りひとつない。
仕事に必要なものはこの装置一つで十分だからだ。
着席した途端、画面には何件ものメールが受信されたことを示すマークが表示される。
「はぁ……。
今日も仕事は山程か……」
私はため息をついたが、すぐに気持ちを切り替えた。
そして何時間もの間、小さな画面と睨めっこし続ける。
そのうち退社時間となった。
またベルト道に乗り、家へと帰宅する事にする。
「やれやれ。
無駄という無駄が全て削られ、この画面一つで済んでしまう。
本当に凄い時代になったものだなぁ……」
画面に映る明日の天気を眺めながら、私はふと、そんな独り言をついた。
妻の姿も周りの風景もここ何年と見ていない。
だが、別に構わないのだ。
風景映像が見たければ、
この装置で検索すればいいのだし、
妻の顔だってデータとして写真が保存されてある。
とまぁ、そんなことを考えていると、突然
首に強烈な痛みが走った。
いや、首だけではない。
腰にも、まるで電撃のようにその痛みはくる。
一日中、俯いた体勢で画面を見ていたせいだろう。
体にガタが来てしまったのだ。
しかし私は動じない。
医者を呼んで直して貰えば良いのだ。
画面を操作し、医療センター連絡を繋ぐ。
「はい、こちら医療センターです。
いかがなされましたか?」
画面に受付嬢らしき顔が映し出された。
「ええと、首と腰がとても痛いのです。
このままでは明日からの業務に支障をきたしてしまいます。
すぐに医者を派遣してもらえませんか?」
私はそう画面先の相手に懇願する。
だが受付嬢は申し訳なさそうに首を振った。
「申し訳ありません。
現在、人手不足なのです。
実は、それと同じ症状を訴える方が他にも大勢おられまして…………。
本当に申し訳ございません。
またのご利用をお待ちしております…………」
無駄のない時代 アール @m0120
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