04-17 断章
高度4万メートルの闇を、何者かが翔んでいた。
それは、金狼のようなウルフカットをなびかせ、白い詰め襟のような長ランをピッチリと着込んだ少年だった。
背中には、グライダーのような巨大な翼をたたえている。右の翼は白鳥のように白く、左の翼はカラスのように黒い。
少年の両隣には、白いドレスの少女と、黒いドレスの少女が、まるで骨抜きになった情婦のようにまとわりついていた。
肩に擦り寄っていた白いドレスの少女が、優雅な仕草で少年の頬に手を当てた。
そのまま自分の方をくいと向かせ、眼下の青い惑星を指さす。
「トーマス様……お見えになるかしら? あれが、アタクシとトーマス様が向かう、新たな世界ですわ」
不意に、少年の顔がぐいと引き寄せられる。反対側にいた黒いドレスの少女が力づくで取り返したのだ。
「何してんだモナ! トム様、こんなヤツほっといて、オレと一緒に……!」
「んまあっ、ルカ!? トーマス様を、トム様と呼ぶだなんて、馴れ馴れしい……!」
「モナさん、ルカさん、おふたりとも、落ち着いて……。僕のことは、トムと呼んで頂いてかまいませんよ」
今にも綱引きを始めそうなふたりの少女を、少年はまぁまぁとなだめる。
「で、では、トム様……トム様は、アタクシとルカ、どちらをお選びになるんですの?」
「もちろんオレだよな! トム様!」
「……僕は、どちらも選びませんよ」
少年は人なつっこい笑顔を浮かべたまま、平然と答えた。
「えっ!?」「そんなっ!?」
「僕は、選びません……あるもの全てを愛したい。モナさんとルカさんから示されたメニューを、全部を希望したものそのためです」
わずかではあったが、笑顔に寂しさが混ざる。
「僕は、おふたりの全てが欲しい……。ですが、モナさんもルカさんもまだ、僕をめぐって喧嘩している……モナさんがルカさんを嫌う気持ち、ルカさんがモナさんを嫌う気持ち……それすらも僕は嫉妬する。僕以外の人間には無関心でいてほしい。嫌いな気持ちすら抱いてほしくないんです……」
少年の金色の瞳孔が、捨てられた子猫のようにクリクリと輝く。その瞳は、年端のいかない少女たちの母性までくすぐるほどの、不思議な魅力があった。
キュン、と心臓を掴まれたように、ふたりの少女は同時に胸を押さえる。
「あぁん、そんなお顔、なさらないで……わかりました。ワタクシの全てを捧げ、トム様に尽くします……そうしたら、愛してくださいますか?」
「お……オレも! トム様にだったらなんだってしてやるぜ! だからそんな顔するんじゃねぇ! 嫌なヤツはオレがぜんぶブッ殺して……そうだ、トム様を殺したやつをブッ殺してやってもいいぜ!」
「……おふたりとも、ありがとうございます。もう前の世界に未練はありませんので、復讐は結構ですよ」
白いドレスの少女は虚空に視線をやり、閻魔帳の内容を思い出していた。
「えっと……たしか、
「はい。僕が希望して、実験用の無人運転のトラックに轢いてもらいました」
少年の答えに、黒いドレスの少女は酸素の足りない鯉のように口をあんぐり開けた。
「えっ、なんでそんなことを!? あっ、でも……トラックってことは……」
「そうです、異世界に行きたかったのです。人体実験は初めてだったので、アメリカ大統領からはずいぶん止められましたけどね」
「アメリカ大統領に止められるだなんて……さすがはトム様だぜ……!」
「僕は、大統領のご令嬢と婚約していたので、父親として行かせたくなかったのでしょう」
「そんな輝かしい地位をお捨てになってまで、なぜ、異世界に……?」
「僕のモノにしたいのに、全然思いどおりにならないモノがあって……それは、ずっと僕が大事にしてきたにも関わらず、僕を裏切って、異世界に逃げたんです。だからこうして、完全に僕のモノにするために追いかけているんです」
「じゃあアタクシたちは、トム様がそのモノを手に入れられるようにお力添えをすればよいというわけですわね」
「いいえ。……言ったでしょう? 僕は、あるもの全てを愛したいと……きっと異世界に着いたら、ぼくはその世界が欲しくなってしまうと思うのです」
「わかったぜ! トム様が世界の王になれるよう、オレたちがひと暴れすればいいってわけだな! それなら任せとけ! オレたちには魔術師千人分くらいの力があるからな!」
「そうですわね。アタクシたちがその気になれば、ありとあらゆる天変地異を操れます。隕石、噴火、地震、落雷、大嵐、洪水、疫病、飢饉……小さな国くらいでしたら、滅ぼすことも造作もございませんわ」
「そうですか……では、手始めに、僕たちが暮らすための王国をひとつ、頂きましょうか……」
「かしこまりました」「がってんだぜ!」
とある国の謁見台。誕生日を迎えた王が、詰めかけた民衆に向かって手を振っていた。
空には今にも雨が降りそうな暗雲に覆われていたが、広場を埋め尽くすほどの人々が詰めかけ、王の誕生を祝っていた。
そこに、白い羽根と黒い羽根が、紙吹雪のようにひらひらと降り散る。
きっと、王を祝福しているんだ、とその場にいる誰もが思った。
ふと、地面からタンポポの綿毛のような光がわきたつ。
肌寒かった広場は、春のようなあたたかさに包まれた。
暗雲に次々と穴があき、雲間からまばゆい日脚が漏れる。
やがて広場の上空だけをくり抜くようにぽっかりと大穴があき、まばゆい光が降り注いだ。
広場はまるで、天国のような輝きに満ちあふれる空間へと変貌していた。
花壇は季節はずれの花が咲き乱れ、妖精のような蝶たちが飛び交う。
木には果物が鈴なりに実り、枝には天使のような鳥たちが唄うようにさえずっていた。
その美しさに人々は戸惑い、空を見上げる。
曇り空は大穴を中心として台風のように渦を巻いており、広場からは渦の内部が見えた。
渦の向こう、遥か上空から幾重にも重なる光の輪が降り、絶え間なく広場の中央におりはじめる。
おのずと民衆は、その場をあけわたした。
光の輪をくぐり、何者かが降りてくる。人ならざるその姿に、民衆はざわめいた。
それは、クジラのように巨大な翼を持つ少年だった。
ふたりの幼い天使を引き連れた、大天使のような少年……悠然と、そしてゆっくりと、広場に降臨した。
その姿に、人々は自然と膝を折る。
もはや誰も、王を見る者はいなかった。
「みなさん……今日から僕が、この国の王です……よろしくお願いしますね」
少年は……全ての者の心を和ませる、人なつっこい笑顔を浮かべた。
ジャイアント・マウス 佐藤謙羊 @Humble_Sheep
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